第4章(4)
家政婦長がやって来て、彼女を使用人部屋に移すと言っても、瑠嘉は頑として自分の部屋で面倒を見ると、きかなかった。
流石の家政婦長も諦めて、着替えさせるから退室する様に言っても聞かなかったが、これは俺が抱えて連れ出した。
「何するんだよ!僕は、桜に付き添うんだ!」
「だから、着替えるって言ってるだろうが!」
「大丈夫だよ!僕は、桜の裸見てるもん。」
「馬鹿野郎!そんな事、ベラベラ喋るんじゃねぇ!」
「そうなの?」
あぁ、やっぱりコイツはガキだ…。
「彼女の名誉の為だ。黙っとけ。いいな?」
「…わかった。」
と、素直に頷く。
そこに医者が到着したので、引き続き俺達は廊下で待機していた。
しばらくして、招き入れられる。
「胃洗浄をしたのが早かったので、良かったですね。適切な処置でした。今の段階では、このまま様子を見るしかありません。急変する様であればご連絡下さい。直ぐに参ります。」
「わかりました…。」
「それにしても、一体何があったというのです?アコニチン中毒ともなれば、私も警察に届けなければならない。」
「事故です。」
俺は、言った。
「トリカブトの花と知らずに摘んだ花束の雫が、飲み物の中に混入してしまった様です。私が見ていたので、間違いありません。」
「そうですか…わかりました。」
訝しんだ様子を見せたが、医者は何も言わず帰っていった。
家政婦長は、俺に深々と礼をする。
「瑠嘉が駆け込んだ時に、誰がその場に居ましたか?」
「丁度、執事と藤田と私だけでした。」
「そうですか。それでは、一切他言無用に願います。彼女は、池さらいで熱が出たとでも…。」
「承知致しました。ただ、旦那様だけには報告させて頂きます。」
そう言うと、部屋を出て行った。
「僕を…庇ってくれたの?」
「馬鹿野郎、彼女を庇ったんだよ。」
「え?だって…。」
「確かにお前は、カップにトリカブトの雫を入れた。たが、それを毒と知りつつ飲んだのは、彼女の意志だ。」
「…。」
「それに、ガキを守るのは、大人の仕事だ。」
「やっぱり、僕ってガキだよね…。」
「自覚してりゃあ、それでいい。」
瑠嘉は、寝ている彼女の手を握り、俺に聞いた。
「どうして桜は、毒って分かってて飲んだの?」
「…お前の事を、愛してるからに決まってるだろう。」
「僕を?だって、僕は桜に酷い事ばかり…。」
「彼女は、お前の心の叫びを聞いた。狂おしい程愛して欲しいと叫ぶ声をな。だから、答えた。自分もお前を愛していると。」
「…。」
「お前は、自分が叫ぶばかりで、聞こうとしてねぇんだよ。さっきの家政婦長だって、執事だって、皆お前を愛してる。」
「…お祖父様も?」
「男爵が、一番お前を愛してるだろうが。」
「…そうなんだ。僕はてっきり、皆に疎まれているとばかり思ってた…。」
「やっぱり、ガキだな。」
「だって、環伯母様は僕の事…悪魔の子って…。」
「…あれは、誤解してるんだ。」
「僕はね…、僕の事を好いてくれているのは、稔だけだと思っていたんだ。稔はまだ小さいから、何も分からないからね。僕の髪も目も、稔だけは気味悪がらなかった。」
「…。」
「桜はね、最初の晩、僕の髪を撫でながら、綺麗ですねって言ってくれたんだ。僕の目も、お日様色の綺麗な目だって。自分は、月の明るい、満天の星空を切り取った様な色をした瞳も好きだけど、キラキラ輝くお日様色の僕の瞳も好きだって…。あれ、貴方の事でしょう?」
俺は、自分の目を押さえて聞いていた。
「…かもな。」
「お祖父様に聞いたんだ。貴方、僕と同じなんだってね。」
「あぁ。」
「苦しくなかった?自分が1人だと、思わなかった?」
「苦しくなかったなんて言わない。嘘になっちまうからな。でも、俺には赤ん坊の頃から俺を愛してくれる乳母が居たんだ。それに、ガキの頃からのダチも居たのが大きかったな。」
「ダチ…友達だね?でも、僕には出会う機会が無いよ。」
「一応、社交界で出会ったんだぜ。」
「えっ?」
「いきなり、向こうから喧嘩ふっかけて来たんだがな。その理由が、何だか気にいらねぇっていうんだから、笑っちまう。」
「へぇ…。」
「俺もこんなだから、社交界に顔出すのは億劫でな。でも、売られた喧嘩は買ってやるっていう、負けん気の強さは人一倍でな。それからは、喧嘩する為に社交界通いしたもんさ。お陰で、2人して鼻つまみ者さ。」
「喧嘩していて、仲が良いの?」
「あぁ、あれはいつだったかな?余り社交場ばかり荒らすのもって事で、俺んとこの別邸でな…」
そうだ、何故思い出さなかった?
この間、キヨが話してくれた伊豆の別邸の姉やの話。
俺達が喧嘩していた時、勢い余って深い池に落ちちまって。
慌てて姉やが飛んできて、2人を助けてくれた。
その後、一緒に風呂に入れられ、飯を食わされ、昼寝まで一緒にさせられ…昼寝から起きて、スイカを食べながら
「まだ続けられますか?」
って聞かれて、流石に馬鹿馬鹿しくなって…。
あれから、何をするのも真吾と一緒だった。
キヨに話を聞いた時は、うろ覚えだったが、こうして思い出すと、彼女にそっくりだ。
というか、生き写しじゃねえか!
「西園寺さん?」
「あぁ、いや…。」
「今も、仲が良いの?」
「あぁ、腐れ縁だ。ずっと一緒に居る。」
「僕にもね…小さい頃は、すごく優しくしてくれる人が居たんだ。色の白い、細い指の人だった。僕の兄弟を産んでくれるって言ったんだ。」
「…。」
「僕達は、手を繋いで庭の階段を上ってた…。もう直ぐ上りきる所で、僕は…僕は躓いて…。」
瑠嘉は、涙声になりながら、必死に続けた。
「僕を支える為に…今度は…その人がバランスを崩して…。僕は、その人の手を必死でひっぱった!でも…その人は…僕の手を離したんだ。」
そういう事か。
瑠嘉の目から、大きな涙が溢れれる。
「階段から落ちたその人は、いっぱい血が出てた。僕はびっくりして…。あの人は…大丈夫…僕のせいじゃ無いって…その時、叫び声が聞こえて…僕は…僕は…。」
瑠嘉は、とうとうしゃくりあげて泣き出した。
「それは、お前のせいじゃ無い。」
「でも…。」
「それは、その人が大人だったから、子供のお前を守ったんだよ。」
「えっ?」
「その人は、手を離したんだろう?手を繋いだままだと、お前も一緒に落ちちまう。だから、お前を守る為に手を離したんだよ、お前のお義母さんはな。」
「あ…。」
「お前は小さ過ぎたんだ。その事を誰かに話していれば、大人は分かってくれただろうに。怖くて誰にも話せなかったんだろう。」
瑠嘉は、頷く。
「これからは、誰かに何でも話すんだな。」
「桜がいる。これからは、桜に話すよ。」
俺の胸は、チクリと痛んだ。
捜査が終われば、彼女は屋敷から出て行く…。
「男爵に聞いて貰うといい。」
「お祖父様に?」
「メイドに話すのもいいが、身内が一番だしな。それに、お前の立場、身の処し方、一番分かってくれて、適切な助言をくれるのは、男爵だろう。」
「そうか、そうだね。男同士だしね。」
「そうだ。」
「貴方にも相談していい?」
「えっ?」
「僕、貴方にも相談したい!お兄様みたいで…駄目?」
「あぁ、構わないが、俺に適切な助言が出来るとは思わないがな。」
「良かったぁ!」
ノックの音がして、藤田が顔を出し、男爵が呼んでいる旨を伝えた。
「瑠嘉、彼女を頼んだぞ。もし様子がおかしくなったら、直ぐに藤田か家政婦長を呼ぶんだ。」
頷く瑠嘉と彼女を残し、俺は部屋を出た。
「所長、自分が残った方が良かったのでは?」
藤田が、小声で尋ねる。
「いや、大丈夫だ。彼女も、大分落ち着いた様だしな。」
「西園寺君、済まない。彼女の様子は、どうだね?」
「大分落ち着きましたので、ご安心を。」
「一体、何が起きたか話してくれるかね?」
俺は、事の顛末と、その後の瑠嘉との会話を男爵に話した。
「君に偉そうな事を言っておきながら、私は彼女を危険に晒してしまった。本当に申し訳無い。」
「彼女を、誉めてやって下さい。彼女は、瑠嘉の心を救った。」
「それは、君にも言える事だよ。本当にありがとう。」
「これからは、男爵の力です。アイツの心は、愛して欲しくて血を流している。思い切り、愛してると伝えてやって下さい。抱きしめて、間違った時には、叱ってやって下さい。アイツは、瑠嘉は、ただの子供だ。」
「そうだな…心で思うだけでは、伝わり様が無いな。」
「今の瑠嘉に必要なのは、男爵の愛情と、友達です。」
「うむ…。」
「男爵は瑠嘉の将来を、どうお考えですか?市井に出すおつもりですか?」
「彼の希望も有るだろうが、私はその方が良いと考えている。」
「ならば、最初から市井の者達と触れ合いを持たせるのも、良いかもしれません。」
「それならば…」
と、藤田が口を挟む。
「道場通いは、如何でしょう?」
「その手があったか!」
「はい。私の父は、市井で小さな道場を行っています。かなり厳しいのですが、其方で良ければ紹介出来ます。ただし、無党流ですが…。」
「失礼だが、お父上は?」
「藤田五郎といいます。以前、男爵が蝦夷地で御一緒だった方と、昔京都で一緒に働いておりました。」
「何だと!」
その反応に、俺の方が驚く。
「その頃の…お父上は?」
「斉藤一という名前で、市中見廻りを仕事としていた様です。」
「三番隊の斉藤君か!確か彼とは、会津で別れたと言っていた。」
「はい。」
「そうか、彼も生き延びたんだね。わかった。間違いあるまい。瑠嘉にその気があるならば、是非ともお願いしよう!」
「承知しました。」
男爵の部屋を辞した俺達は、再び瑠嘉の部屋に向かって歩いていた。
「お前の親父さん、そんな凄い人物だったのか?」
「父は維新の頃、男爵と同じ旧幕軍だったんです。たまたま同じ知り合いが居ただけの話しです。」
「そうか…。そういえば、この間男爵から、維新の頃の友人の話を聞いたっけな…。」
斉藤一…三番隊…。
何となく聞き覚えがあったんだが…気のせいか?
おれの父は新政府軍側だったから、旧幕軍時代の知り合いが居るとは思えない。
最も今じゃ、入り乱れているが…。