第4章(3)
入れ違いに、藤田と彼女が入って来る。
「お疲れ様です。大した猫被りでしたね。」
「あぁ、疲れたぜ…。俺も、社交界と全く縁が無い訳でも無いからな。あれ位の対応なら、まぁ何とかな…。」
そう言うと、俺は煙草を出した。
すかさず、彼女が火を付けてくれる。
普段そんな事をしない彼女の行動に、少し戸惑い、
「…済まない。」
と言うが、彼女は何も答えぬまま一礼した。
「何か、情報は?」
「稔が食った、饅頭の出所が分からない。あと、瑠嘉の義理の母親が、妊娠中に亡くなっている。瑠嘉が犯人かも知れないという話だった。」
「わかりました。双方情報を集めます。」
「宜しく頼む。」
俺はソファーに身を沈め、紫煙を吐いた。
「市村が、瑠嘉の担当になりました。」
「そうなのか?」
俺は彼女に視線を移したが、彼女はテーブルの上を片付け、そのまま退室した。
「?」
「今夜、初めて接触したそうですが、余り良い感触では無かった様ですね。」
「それで、気にしてるのか?」
「いえ、その様な事は無いと思いますが…。」
「そうか…。」
屋敷内に居る時には、あくまでもメイドとして対応するつもりなのだろう。
翌日、昼食が終わって庭を散歩していると、芝生の上に這いつくばっている彼女を見つけた。
「何をしている?」
声を掛けると、驚いた様に顔を上げた。
その時、
「何をしている、さっさと集めろ!」
と言う子供の声。
見ると、東屋に少年が座っていた。
髪は、金色に近い栗毛。白い肌に赤い唇、そして金茶色の目。
少年は、俺を見ると立ち上がった。
「はじめまして、西園寺さんですよね?僕、大鳥瑠嘉です。宜しく。」
「宜しく、西園寺です。体調は如何です?」
「ふふふ、嬉しいな。貴方は、僕を大人として扱ってくれるんですね?ありがとう。もう、大丈夫なんです。」
瑠嘉は、そう大人びた挨拶をした。
「ところで、彼女は何をしているんです?」
「あぁ、あれは落とし物を探しているんですよ。」
「落とし物?」
そう話している所に、彼女がやって来た。
服も手も、泥で汚れている。
「坊ちゃま、探して参りました。」
そう言って見せたのは、緑色のビードロ玉。
彼は、その玉の数を数える。
「…18、19、20。うん、全部あるね。なんだ、泥だらけじゃないか。じゃあ、綺麗に洗って来るといいよ。」
そう言うと、今度は池の中にビードロ玉をばらまいた。
そして、顎をしゃくって彼女に命じる。
彼女は、何も言わずに池の中に入り、ビードロ玉を探し始めた。
何て事しやがる!
俺は、怒鳴りたい衝動を抑えて、務めて冷静に言った。
「酷い事を成されるのですね。」
瑠嘉は、ふふふと笑うと、
「あれは、昨日きたメイドなんだ。僕の所有物だもの。僕に従順じゃないとね。」
「テストなんですか?」
「そう!わかってるじゃない。先ずは、第1関門は突破したんだ。だからこれが、第2関門。」
「因みに、第1関門は?」
「聞きたい?」
と、瑠嘉は薄く笑った。
「ええ、是非…。」
「夕べね、テストしたんだ。服を全部脱がせてね、ベッドに入る様に言ったんだ。」
嫌な予感が的中した。
俺は、後悔しながらも話を聞いた。
「あの女、悲しそうな顔して裸になってさ。でも、体中傷だらけなんだよ。背中なんか凄い傷でさ。思わず痛かった?って聞いたら、黙って抱き締めてくれてさ…。」
「…。」
「あんな女、初めてだよ。大概大騒ぎするか、体を投げ出して来るのに、あの女、僕の髪撫でて子守唄歌うんだもの。」
「それで?」
「なんだぁと思いながら、気持ち良くて寝ちゃったよ。」
俺は、内心安堵した。
コイツは、あくまでも子供なのかもしれない。
「テストは、いくつ有るのですか?」
「後、1つ。大概、2つ目で音を上げるんだけどね。」
「3つ目の時も、是非同席させて頂けますか?」
「ああ、いいよ。でも多分、数日掛かると思うよ。池の中のビードロ玉なんて、そうそう見つからないからね。じゃあ、そろそろ僕は失礼します。」
「見ていなくて、良いのですか?」
「あの女は…ズルしたり、人の手を借りたりする女じゃ無いと思うよ…あなたは、手伝いたそうだけどね…。」
そう言うと、ふふふと笑って邸内に入って行った。
誰も居なくなったのを確かめて、彼女に声を掛ける。
「大丈夫か!」
池の中で這いつくばった彼女は、顔を上げ頷いてみせる。
「待ってろ、俺も行く。」
彼女は、慌てて大きく被りを振り、
「駄目です!」
と拒否をした。
確かに、ここで瑠嘉の信頼を勝ち得る事は、必要かもしれない。しかし…。
「大丈夫です。」
彼女は、キッパリと言った。
「…無理するな…。」
そう言って、俺は藤田の所に行き、事の顛末を話した。
「風呂と、着る物を用意してやってくれ。」
「了解しました。」
「それと…夜遅くても良いから、俺の部屋に来る様に言ってくれ。」
「承知しました。」
しかし、その晩も次の晩も、彼女が現れる事は無かった。
彼女の池さらいは、3日間を要した。
4日目の昼、俺は瑠嘉に呼び出され、庭の東屋に行った。
テーブルの上には、小さな器にビードロ玉が入っている。
「見てよ、西園寺さん。彼女、全部集めて来ちゃったんだよ。」
「その様ですね。」
「今まで、このテストにちゃんと合格した者は居なかったんだけどね。」
「ちゃんと、とは?」
「助っ人呼んだり、探したふりしてビードロ玉買って来たり…。」
「成る程。」
「でも、彼女は自分1人で探したみたいだよ。夜中も池に入ってたからね。ふふふ。」
この野郎!と思いながら、平静を保つ。
そこへ、彼女が紅茶を入れたカップを3客運んで来るのが見えた。
「このテストは、通った者が居ないんだ。」
瑠嘉はそう言うと、俺にウィンクした。
彼女が東屋に着くと、瑠嘉は優しい声を出して言った。
「桜、本当にご苦労だったね。僕の大切なビードロ玉を見つけてくれて、ありがとう。何かお礼をしたいんだ…。そうだ、ちょっと待ってくれる?」
そう言って、東屋の裏手の花壇に入って行って、一輪の大きな花を摘んで来た。
あの紫の花は…!
「綺麗でしょ?僕、この花好きなんだよ。知っている?トリカブトって言うんだ。」
そう言うと、摘んだばかりの茎を握り締める。
茎からポタポタと雫が滴り落ち、下に置いてあった紅茶の中に入った。
「この花を君に送らせてもらうよ。でも、気を付けてね。この花、猛毒なんだ。牛なんかも、コロッと死んじゃうんだって。」
そう言って、彼女に花を渡す。そして、こう言った。
「僕等のこれからの信頼の証に、一緒に杯を上げようよ。お酒と言う訳にいかないから、紅茶で…ね、いいでしょう?」
そう言うと、トリカブトの雫の入った紅茶を、彼女に勧める。
彼女は、じっと瑠嘉の顔を見ていた。
「…馬鹿馬鹿しい、止めろ!」
「西園寺さんは、黙っててよ。これは、桜と僕の信頼の話なんだから。」
悲しそうな顔をして、桜はなおも瑠嘉を見つめる。
「やっぱりね、みんな嘘ばかりさ。誰も僕を信じちゃくれない。お前も、他の皆と一緒さ!さぁ、出て行けよ!」
そう瑠嘉が叫んだ時、彼女はカップを持ち上げた。
「あ…桜…だ…」
「止めろ!!」
俺が叫ぶのと、彼女が紅茶を口に運ぶのが一緒だった。
次の瞬間、俺が彼女のカップを叩き落とすのと、彼女が紅茶を飲み込むのが、スローモーションの様に見えた。
カップが落ち砕け散った瞬間、彼女の体がのけぞる。
「くそったれ!」
俺は、彼女を抱えると、指を彼女の口に入れて紅茶を吐かせにかかる。
「吐いちまえ!胃の中の物、全部吐くんだ!」
そして、怯える瑠嘉に向かって怒号を吐く。
「馬鹿野郎がっ!!一体テメェは何やってんだ!」
「あ…あ…ぼ僕…」
「すぐ大人を呼んで来い!それと、医者と水だ!急げ!」
瑠嘉は、足をもつれさせながら、邸内に走って行く。
俺は、残った紅茶を彼女に無理やり飲ませ、また口に指を入れて吐かせる。
彼女の体が震え、痙攣を繰り返す。
「お前も、馬鹿野郎だ!桜、しっかりしろっ!吐くんだ!」
邸内から、藤田が走って来る。
「口にした毒は?」
「アコニチンだ。胃洗浄しか手はねぇ!」
「水を!」
水さしの水を飲ませようにも、彼女は歯を食いしばって飲めた状態じゃない。
藤田と頷き合うと、彼女の口を無理やり開けて、水差しから大量の水を流し込み、彼女を抱えると胃を押さえて無理やり吐かす事数回。
「今、俺達に出来るのは此処までだ。」
「医者には、既に連絡を取りました。」
「わかった。」
そう言うと、俺は遠巻きに様子を伺う瑠嘉の元に行くと、有無を言わさず平手打ちを食らわせた。
「っつ!」
「命を賭事なんかに使うんじゃねえ。信頼が欲しけりゃ、信頼に足る行動を自分がしてからほざけ!それから彼女は、お前の玩具じゃねぇ!よく覚えておけっ!」
頭の上から、どなり散らした。
「西園寺様!」
藤田が叫ぶ。
彼女は、呼吸困難を起こしていた。
「まずいな…。」
俺は、彼女の胸元を緩めると、抱え上げた。
「俺の部屋に運ぶ。」
瑠嘉が、走り寄る。
「ぼっ、僕の部屋に…。」
「何…?」
「さっ、桜は、僕の物だ…。」
「お前、まだそんな事…。」
「いやだ!桜は僕の物だ!桜は、桜はっ…。」
「…わかった。お前の部屋に案内しろ。藤田、家政婦長に彼女の着替えをさせる様連絡しろ。後は医者が来たら、瑠嘉の部屋に寄越せ。」
「承知致しました。」