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桜の刻   作者: Shellie May
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第4章(2)

俺は、自分が倒れた事を思い出した。

寝ている彼女の髪を撫でる。

心配させちまったな…。

小さなノックの音がして、灯りを持った男爵が顔を出した。

「起きていたのかね?」

彼女が寝ている事を気遣って、小さな声で囁く。

「少しいいかね?」

俺は頷いて、ベッドを出た。

そして、寝ている彼女を抱え上げ、今迄自分が寝ていたベッドに寝かせ、布団を掛けてやる。

男爵は、何も言わずに灯りを持って待っていた。



自室に招かれた俺は、男爵に失態の謝罪と礼を述べた。

「医者が、熱中症だと言っておったよ。昨日は暑かったし、君を興奮させてしまったからね。」

「ウチの者達は?」

「藤田君と川崎君は、帰ったよ。」

あの後、再び藤田と話し合い、明日藤田は本邸に入り、彼女は別荘で雇ったという事にして、一週間後に男爵と俺と三人で本邸に乗り込む算段だという。

「君は、優秀な部下を持っているね。」

「いえ、ウチの者達に上下は有りません。皆、仲間ですから。」

男爵は、目を細めて言った。

「そういう所は、相変わらずなのだねぇ。」

「は?」

「いや…君の仲間達は、本当に君の事を慕っているよ。」

と、にっこり笑った。

「彼女と、知り合いだそうですね。」

「あぁ、古い知り合いでね…。」

「どの様な知り合いか、お聞きしても宜しいですか?」

「彼女は、何も話してはいないのか?」

「はい。」

「そうか…。君が疑った様な関係では無いよ。彼女は、私の大切な友人だ。ある時を境に、ぷっつりと消息を絶ってしまってね。八方手を尽くして探していたんだが、正直生きているかさえも諦めていたんだ。」

遠い眼差しをしていた男爵は、俺に向き直り、

「君は、あの子が好きなのかね?」

と、聞いた。

「あ…いえ…彼女は、ウチの従業員で…仲間ですから。」

「でも、憎からず思っているのだろう?」

何もかも見透かす様な男爵の目に、俺は何も答えられなかった。

「今から40年程前になるか…維新の頃、私には共に戦う友人がいてね。戦う為に生まれて来た様な男だったが、その男にも想い想われる相手がいたんだ。」

「…?」

「その女性との幸せな生活を送る事も出来た筈なんだが、周りの信頼を一身に集めていた友人は、皆の想いを掲げて、そして一人で散ってしまった。残された女性の嘆き悲しみ様といったら…我々の胸は、えぐるられる様だったよ。」

「…。」

「西園寺君、女性を泣かせてはいけない。如何なる時にもだ!泣くのは…男だけで良いんだよ。」

真っ直ぐ向けられていた男爵の目が、ふっと和らいだ。

「彼女、泣いていたよ。君が倒れたのは、自分のせいだと自らを責めてね…。君の仲間達が、なだめるのに大変だったんだ。あんな彼女を見たのは、久々だった。」

「…そうですか…。」

「老人からの忠告だ。自分の心に素直になりたまえ。常に、一番大切なのは、何かを考えるんだ。」

「…はい。肝に命じます。」

「うちの孫達にも、君達の様な仲間が出来れば良いんだが…。」

「瑠嘉君の話は、聞いています。」

「あれも、色々思う所が有ると思うのだが、感情を面に出さない所があってね。」

「母親は?」

「子供を産んですぐに、本国に帰ってしまった。異国の生活は、耐えられなかったのだろう。」

「そうですか…。」

「…君の若い頃の武勇伝は、聞いているよ。かなり無茶をした様だね。」

「若気の至りです。」

「妙なきっかけだが、交流を持ってみてはくれないか?」

「わかりました。」



一週間後、俺達は本邸に向かっていた。

俺達の素姓を知っているのは、執事と家政婦長だけだという話だ。

本邸に着くと、主人を出迎える為に屋敷の者が一同に整列していた。

車を降りると、彼女はスッと奉公人の列に加わり、主人を出迎える為に深々と頭を下げる。

帰宅の挨拶をする執事に、男爵が、

「こちらは、西園寺歳文氏だ。暫く当家に滞在してもらうので、取り計らう様に。」

と、言った。

宜しくと挨拶をし、執事の隣の藤田と目配せをする。



客室に案内した藤田が、荷物を運んで入って来た。

「執事見習いが、板に付いてるじゃねぇか。」

「恐れ入ります。」

「で?今迄にわかった事は?」

「大鳥男爵の家族は、長男の奥方大鳥環30歳、その息子稔5歳。次男の息子瑠嘉12歳。以上です。使用人は、執事、家政婦長他メイドが8名、雑役夫が1人です。事件のあらましと、奉公人の履歴については、此方に…。」

と報告書を出した。

「素行に問題がある者は?」

「あえて言うなら、環でしょうか?夫の死後、社交場で浮き名を流している様ですね。」

「使用人は?」

「取り立てて、問題無いと思います。」

「その後、子供達の様子は?」

「特に何も…但し、性格がかなり屈折してます。」

「そうか…。」

「報告は、以上です。夕食は、食堂にて6時からになります。」

「わかった。建物の看取り図があったら借りて来てくれ。後は、市村を助けてやってくれ。」

「承知致しました。お客様。」

そう言うと、深々と一礼して藤田は退室した。

あいつ、すっかり成りきってやがる。

夕食まで、まだ間がある。

おれは、報告書に目を通した。


最初の被害者は、5歳の稔。饅頭を食べたところ苦しみ出し、直ぐに医者の手当てがされ大事に至らなかった。

饅頭には、猫いらずが入っていたらしい。

2番目の被害者、瑠嘉が被害にあったのは、同日の夜。

自室に置かれた水注しに、同じ様に猫いらずが混入されていたらしい。

症状としては、瑠嘉の方が重かったらしく、一時は死線もさまよった様だ。

猫いらずが置かれていたのは、屋敷の物置。

誰でも入手可能だった。

それ以降、事件は起きていない。


ノックの音が聞こえ、返事をすると、

「失礼します。」

と彼女が入って来た。

黒い詰め襟のワンピースに、ひだの付いた白いエプロン。

同じひだの付いた帽子を被りったメイド姿が眩しい。

真吾が見たら、大喜びしそうだ。

「此方をお持ち致しました。」

と、屋敷の見取り図を差し出す。

「問題は、無いか?」

「はい、今の所特に。」

「わかった、引き続き頼む。」

彼女は、深々と一礼して退室する。

藤田の奴、彼女を見せる為にわざと寄越しやがって…ったく。

そろそろ時間だ。

俺は、食堂に向かった。



食堂に入ると、男爵が俺を紹介してくれた。

席に居たのは、環と稔。

瑠嘉は、体調が万全では無いという事で、自室に居るらしい。

薄紫の綸子の着物に金糸の帯、髪を大きく結い上げた環は、自分が魅力的であるという事を十分知っているという様な女だった。

「西園寺さんって、西園寺公の…?」

「不肖の息子です。」

「まぁ、やはり。市井にいらっしゃるという噂は、聞いておりましたのよ。でも、こんな素敵な方だとは、存じませんでしたわ。」


「恐れ入ります。」

「後程、サロンの方で、一杯如何です?」

「喜んでお付き合い致しますよ、奥様。」

隣に座る稔は、先程からチラチラと此方を盗み見ている。

目を合わすと、はにかんで俯いてしまった。



食後、藤田にサロンまで案内され、紅茶を飲んでいると、今度は真っ赤なサテンのドレスにショールを羽織り、髪を下ろした環が登場した。

のっけから挑発するつもりか…、鬱陶しい…。

藤田が耳元で囁く。

「短気を起こさないでください…。」

わかってらぁ。

「ご機嫌よう。西園寺さん。」

俺は、立ち上がって一礼する。

彼女はクルリと回ると、

「如何かしら、このドレス。亜米利加国から取り寄せたのだけれど。」

「とても素敵ですよ。奥様。」

藤田は黙って2人分の洋酒を用意し、静かに出て行った。

「西園寺さんは、何をしにこの屋敷にいらしたの?」

隣に座った環は、杯を上げると俺の顔を覗き込む。

「男爵の此迄の功績や、ご家族の事を出版しようと思いましてね。取材をさせて頂いているのですよ。」

「まぁ、それでは、私達の事も?」

「そうですね…出るかもしれません。」

「この屋敷の事なら、私が一番詳しくてよ。」

「それでは、最近の事ですが、御子息が事故にあわれたそうで…。」

「あら、あの事も書くの?」

「一応、取材ですから。」

「そう…稔が饅頭食べたら、腹痛を起こしたのよ。」

「その饅頭は、どういう経路で稔君に?」

「さぁ?誰かから貰ったんじゃ無いかしら?あの子、食いしん坊だから。」

「貴女が、与えたのでは無いのですね?」

「違うわ!私は…その時、外出していたし…。」

「その夜、瑠嘉君も大変だったとか。」

「あぁ、瑠嘉ね。あの子は、度々問題を起こして皆を困らせるのよ。質が悪いの。あの容姿に人殺しでしょう?まるで、悪魔の子よ。」

「人殺し?どういう事です?」

「…これは、内緒よ。あの子は、義理の母親と、お腹の中にいた義理の兄弟を殺したのよ。」

「それは、それは…。」

「表向きには、事故って事になっているけどね。あの子がやったのよ!私見たもの!」

「何をご覧になったのです?奥様。」

「あの子が、死体の側に立っていたのよ。私が悲鳴を上げると、あの子走って逃げ出したのよ。それって、犯人って事でしょう?」

「さぁ、どうでしょうね?」

殺人未遂事件を調べていて、とんでも無い殺人事件迄出て来るとは…。

「私ね、西園寺さん。この家、嫌いよ…。」

そう言って環は、俺の首に腕を回す。

「酔われたのですか?奥様。」

「老人と子供だけの家に、何があるというの?私は、まだまだ女として輝けるのに、跡継ぎである稔に縛られて、この家を出る事も出来ない…。」

環は、俺の胸に顔を埋める。

彼女の香水が、俺にまとわりついた。

「酔いが回られた様だ。今宵は、此処までに致しましょう。」

そう言うと、俺は彼女の腕を外し、立ち上がって一礼する。

「そうね…。また、付き合って下さる?西園寺さん?」

「勿論です。奥様。」

環は、嫣然と微笑み、俺を残して部屋を出た。




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