[知識]人に優しくするのは自分のため?
私は、違うと思う。
「人に優しくするのは自分のため」という言葉。
そして、単純な「自分のため」という言葉。
この2つには、確かに「自分のため」という共通点がある。けれど、中身は全く別物だ。
少し分解して、考えてみる。
【人に優しくする のは 自分のため】
これは、「人に優しくする」と「自分のため」が、「〜のは〇〇だ」の形で結ばれた文章だ。
【自分のため】
これはシンプルに、「自分のため」という目的や意思がある言葉だ。
ここで、中学の数学で習った「共通項を消す」という考え方を使ってみる(簡単。イメージ重視)。
(人に優しくする + 自分のため) vs (自分のため)
両辺から共通する「自分のため」を消してみると、左側には「人に優しくする」という行動だけが残る。
つまり、人に優しくするときに『自分のため』という気持ちがあったとしても、「優しくされた誰か」という結果や存在は確かに残っている。
ただ、「自分のため」だけに行動する場合とでは、「優しくされた人」という結果がある以上、決定的に結果が違うはずだ。
心に雨が降っているときに、見知らぬ誰かが差し出してくれた傘に、もし自己満足の意味が含まれていたとしても、傘を受け取った人の心が、雨に打たれ続ける時間は減るはずだ。
◇
「人に優しくするのは自分のため」
この言葉を知ってから、私は人に優しくすることを躊躇うようになった。難しく考えすぎて、優しさの1歩が踏み出せなくなった。
この言葉が誰かの優しさを縛り付けてしまうのは、社会にとっての損失だと思う。
もっと素直に、優しくしていい。
私はそう信じている。
【あとがき】
私は「人に優しくするのは自分のため」という言葉が足枷になって、おそらく、人を見殺しにしたことがある。
コロナの時期の夜中、かなりの肥満体型の人が、壁にもたれかかって、凄く苦しそうに胸を抑えながら、顔と首が真っ赤になっていた。
私はすぐに、心筋梗塞を疑った。
でも、周囲に人が多くて「自分のために人に優しくしようとしてる」という批判が頭に浮かんで、そのまま通り過ぎてしまった。
その肥満体型の人は、今までも何度も見かけていた。
ある意味で、顔見知りの人だった。
その日以降、1度も見ていない。
だから私は、命を殺しかねない「人に優しくするのは自分のため」という呪いの言葉が大嫌いだ。




