第2章『約束の風』(20歳) P-006 家族の始まり ― 白い風の庭 ―
朝の光が、静かに窓を抜けてくる。
灰はもう降っていない。
音も、匂いも、冷たさも――すべてが薄い。
ミラが台所でお湯を沸かしている。
鉄のポットが鳴る音が、塔の心臓みたいに響いた。
「ねぇ、ロッカ。今日も外、風があるよ」
「分かってる。音が違う」
「そう。あの“灰の風”じゃないね」
「柔らかい」
「うん。ようやく、生きてる」
俺は椅子に腰をかけ、息を吐く。
白い湯気が上がって、消えた。
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(※自然説明)
戦争は沈静化し、塔の活動も落ち着いていた。
アーカムの監視も止まったように見え、人々は再び“地上”に戻り始めていた。
風が流れる――それだけで、世界がまだ続いていると感じられた。
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昼。
診療所の裏庭で、ミラがしゃがんで花壇を作っている。
灰と土を混ぜた地面に、小さな芽が並ぶ。
「これ、咲くと思う?」
「風次第だな」
「じゃあお願いしなきゃ」
ミラは笑ってスコップを置く。
額に灰がついていた。
俺はそれを指でぬぐって、
「風よ、護れ」と小さく呟いた。
ミラが目を細めた。
「また、詩を使った?」
「……癖になってる」
「いい癖だよ」
風が流れて、ミラの髪を持ち上げる。
その柔らかい揺れを見ているだけで、胸があたたかくなる。
風に揺れながら、芽は伸び、色を覚えていく。
光の角度が、少しずつ変わっていった。
小さな産声が、部屋の空気を震わせた。
「――生まれた」
ミラが両腕で抱いている。
額に汗。唇に微笑み。
その腕の中で、赤ん坊が息をしていた。
小さな指が、空を掴もうとする。
「……風を、感じてる」
ミラが囁いた。
「レイ」
「名前か」
「うん。灰の上でも、光るように」
俺はその名前を繰り返した。
レイ。
光の線のように短く、まっすぐな音。
呼ぶたび、胸の奥で風が動いた。
> 『風よ、護れ。この光を。』
その言葉が、自然に出た。
祈りというより、願いだった。
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夕暮れ。
弟のタクミと、ミラの妹ルカがやってきた。
ルカの腕にも、小さな包み。
「見て兄貴! 俺たちにも!」
「……おめでとう」
「名前はミカ。ルカが決めた」
ミラが赤ん坊を覗き込む。
「かわいい……レイと同い年ね」
「双子みたいだな」
風が二人の間を抜けた。
音もなく、でも確かに“通じた”。
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夜。
俺たちは庭で簡単な食事をした。
乾いたパン、温いスープ。
風鈴を吊るして、灰に埋もれた鉄骨の音を利用した。
ミラが言う。
「この音、好き」
「俺も」
「この音があれば、きっと何があっても帰ってこられる」
「……ああ」
その瞬間、風鈴が鳴った。
灰の匂いが、ほんの少しだけ消えた。
> チリン。
それは白い音だった。
柔らかく、静かで、まるで風そのものが息をしたみたいに。
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寝室。
レイがミラの胸の上で眠っている。
小さな呼吸。
そのたび、ミラの髪がわずかに揺れる。
俺はそっと手を伸ばす。
レイの手が俺の指を掴んだ。
弱いけど、確かな力。
「……生きてる」
呟いた。
ミラが笑って目を閉じた。
「風が、ちゃんと通ってる」
俺は頷いた。
外では風鈴が鳴り続けている。
灰の夜を、風が縫っていく。
> 『風よ、続け。
この息が絶えぬように。』
この話は、「風=命の連なり」というテーマの初発。
レイとミカの誕生によって、“風の詩”が世代を超える物語になります。
ミラの「この音があれば帰ってこられる」は、
後の『灰の塔で息をする』で、ミカが塔の中で口にする「風が導く」の原型です。
戦争で失った“声”を、家族が取り戻していく。
灰から花壇へ――世界が“再生”へと動き出した象徴回です。




