最終章『塔へ』(38歳)P-043 灰風の咆哮― 呼吸の裂け目
最終章『塔へ』P-043(38歳)灰風の咆哮― 呼吸の裂け目
灰風が、世界を削るように吹いていた。
空は赤く濁り、風そのものが痛む。
吸い込むたび、肺の奥が軋む。
塔〈ARC-01〉の前。
地平が揺れ、大地が低く唸った。
――ズシン。
黒い影が、塔の足元に立ち上がる。
塔の半分ほどの高さ。
それでも、その圧は塔より重い。
巨大な獣の骨格を模した超大型AI兵器。
装甲を伝う灰が、金属を侵し、白い煙を上げている。
ヴィクターが、コンクリ片の棍棒を肩に担いで叫んだ。
「兄貴ィ!!
なんだよこのバケモン!?
足元のバネ、トラック並みに跳ねてんぞ!!」
俺はハンドガンとダガーだけを構える。
義手の指が、静かに開閉した。
「跳ねてるんじゃない……狙ってる」
獣型の眼孔が、蒼く光る。
次の瞬間――
ドッッ。
地面が爆ぜた。
尾の横薙ぎが、灰と空気をまとめて叩きつける。
俺は一呼吸で潜り抜け、銃で牽制。
ダガーを低く構え、その懐へ滑り込む。
背後で、カインの声が飛ぶ。
「動きが異常だ……!
獣型AI兵器か……
こんな規模のものが現存していたとは……!」
ヴィクターが、なぜか嬉しそうに吠えた。
「よし!
こいつの名前は――
ティラノサウルスに決定!!」
「……意味は?」
「なんか強そう!!」
「二秒で黙れ」
ティラノが吠えた。
灰風が、逆流するほどの振動。
世界が、一瞬だけ揺らいだ。
俺は地面を蹴り、頭部へ跳ぶ。
顎が開き、金属の歯列が火花を裂いた。
その背後――
リラとミカ。
ミカは、震えている。
リラは無言でその肩に手を置き、
前線を読み切る目をしていた。
この世界で、数少ない。
“まだ折れていないもの”の匂い。
警告音が鳴った。
「待て……!」
カインが叫ぶ。
「ティラノの喉奥、
粒子が収束している……!」
ヴィクターが吠える。
「兄貴ィ!!
絶対ヤバい!
あれ、ビーム吐く顔だ!!」
「言ってる場合か。踏ん張れ」
ティラノの喉奥で、
蒼白い粒子球が膨張する。
破裂寸前。
そのとき――
ミカが、一歩前に出た。
震えていた膝が、
音もなく地を踏む。
リラが息を呑む。
だが、止めない。
“あの子は、行くべき時に行く”
そう知っている目だった。
ミカの周囲だけ、風が逆流する。
灰が宙で止まり、
空気が光の形を取り始める。
俺が振り返るより早く、
ミカは前を向いたまま言った。
「……私がやります」
声は小さい。
だが、塔と獣の間の空気を裂くほど、強かった。
右手が上がる。
祈りでもない。
願いでもない。
命令でもない。
それは――呼吸の形。
ティラノの粒子球が弾ける、その刹那。
ミカの唇が震え、
世界の縁が蒼く裂けた。
『風よ、光をそらして……お願い』
次の瞬間。
粒子砲は、
直撃寸前で屈折した。
「ミカ!!」
「……ん、大丈夫。
でも……力、入らない」
「カイン!
リラとミカを連れて後退しろ!」
「了解!」
「ヴィクター、やるぞ!」
「おうよ!!」
俺は走った。
真正面じゃない。
半拍、ずらす。
ティラノの視線が、俺を追う。
眼孔の蒼が、わずかに揺れた。
「――今だ」
短く言う。
合図じゃない。
呼吸だ。
ヴィクターが、踏み込む。
「おおおおッ!!」
灰を蹴散らし、
巨体が“斜め”に突っ込む。
棍棒が振り上がる。
だが、振り切らない。
途中で、止めた。
(――誘い)
ティラノの重心が、前に出る。
追撃を狙って、尾がしなる。
「……そこだ」
俺は逆方向へ跳んだ。
銃声。
乾いた三発。
狙いは眼孔じゃない。
――関節。
火花が散り、
ティラノの前肢が、
一瞬だけ遅れる。
その刹那。
ヴィクターが、吠えた。
「隙ありだぜ!!
オラァァァ!!」
全力。
迷いなし。
棍棒が、
骨格装甲へ叩きつけられる。
――ガァンッ!!
手応え。
確かに、あった。
空気が割れ、
衝撃波が、灰を押し広げる。
「……!」
一瞬。
“いける”と、思った。
だが。
砕け散ったのは、
コンクリートだった。
「……マジかよ!?」
棍棒の先端が、
粉々に弾ける。
装甲には、
浅い傷ひとつ。
その瞬間。
空気が、裏返った。
ドガッ。
尾撃。
質量そのものが、
ヴィクターを叩き飛ばす。
ヴィクターの身体が宙を舞い、
後退していたミカたちの方へ
吹き飛ばされる。
「ヴィクターァァァ!!」
「カイン!
ヴィクターの状況は!?」
「まずい……
完全にキレてる」
「……っぺ」
血を吐きながら、
ヴィクターが立ち上がる。
「クソが……
スクラップにしてやる」
「ロッカ、
悪いが五分時間稼いでくれ!
武器取ってくる!」
「バカ言うな!!
おい! あのバカ聞いてない!!」
(……五分)
(この怪物相手に、よく言う)
俺は息を吸った。
「……風よ」
命令じゃない。
祈りでもない。
「俺に、まとってくれ」
一瞬、体温が奪われる。
(……これで、少しは戦えるか?)
「ロッカさん……顔色が……」
「詩の影響だ」
カインが言う。
「体温を、
ごっそり持っていかれている」
ティラノが、低く唸った。
音じゃない。
圧だ。
骨格全体が軋み、
巨体が、ゆっくりとこちらへ向く。
(……来る)
一歩。
二歩。
地面が沈むたび、
肺の中の空気が押し潰される。
俺は走らない。
止まる。
(逃げたら、終わる)
最初の突進。
――ドンッ!!
地面が爆ぜ、
衝撃波が背中を殴る。
俺は横に跳び、
即座に転がる。
尾撃。
灰が壁のように迫り、
視界が一瞬、真っ白になる。
(……まだだ)
立ち上がる前に、
銃を撃つ。
乾いた反動。
三発。
五発。
狙いは、
関節、眼孔、喉元。
効いていない。
だが、遅らせている。
次の瞬間。
前肢が振り下ろされる。
――避けきれない。
俺は身体を捻り、
肩から地面へ滑り込む。
衝撃。
骨が鳴る。
(……クソ)
息を吸う。
吸えない。
肺が、冷たい。
(……体温、落ちてる)
「……風よ」
声が、掠れる。
命令じゃない。
祈りでもない。
「もう一度立ち上がらせてくれ」
一瞬。
皮膚の感覚が消えた。
世界が、少しだけ遠くなる。
(……これで、あと何秒だ?)
次の突進。
跳ぶ。
転がる。
撃つ。
ダガーを投げ、
即座に拾い直す。
刃が装甲を擦り、
火花が散る。
時間が伸びる。
一秒が、三秒になる。
呼吸一回が、
永遠に近い。
ティラノの動きが、
わずかに変わった。
(……見えた)
首裏。
骨格の継ぎ目。
俺は踏み込む。
残っていた力を、
全部使う。
刃が走る。
金属を裂く感触。
「……やったか?」
喉が、
勝手に声を出した。
希望が、
頭をもたげる。
「ダメだ!!」
カインの声。
「ダミーだ!
フェイクコードだ!!」
(……やっぱり、そう簡単じゃない)
次の瞬間――
視界が、跳ねた。
体当たり。
俺の身体が宙を舞い、
地面に叩きつけられる。
空気が抜ける。
音が消える。
(……もう、持たない)
立とうとして、
脚が震える。
ティラノが、頭部を下げる。
蒼い光。
粒子が、再び集束する。
(……終わりか)
その横から――
ドンッ!!
世界が、横にずれた。
巨大な質量が、
横殴りに叩き込まれる。
ティラノの巨体が、
初めて、
はっきりとよろめいた。
灰の中から現れる影。
――メソニクス。
生きるために、ここまで来た
“群れ”の王。
咆哮。
それは命令じゃない。
生きろ、という声だった。
世界は、まだ終わっていなかった。
〈ロッカ記録ログ043〉
・接敵:ティラノ
・特性:高機動/粒子砲搭載/近接戦闘特化
・ミカ:呼吸による粒子砲偏向(初確認)
・自分:詩使用による体温低下/限界ライン
・想定外:メソニクス介入
・結論:
世界はまだ、命令以外の選択を残している
――風よ、
俺は、まだ折れていない。




