第9章『塔の脈動』(37歳) P-037 祈りの適正 ― 行く者の名
指令室の空気は、重かった。
誰も声を荒げていない。
それなのに、ここにいる全員が
“戻れない線”の前に立っていると分かっていた。
古いモニターの光が、壁に影を落とす。
その中央に立っているのは、カインだった。
「……整理する」
その一言で、場の温度が変わった。
感情を置く場所ではない。
判断を下す場所だ。
「まず、塔についてだ」
カインは端末を操作する。
画面に映し出されたのは、歪んだ地形図と、幾層にも重なる古い記録。
「我々は、塔を
“環境維持のために建てられたAI塔”だと教えられてきた」
一拍。
「だが、その前提自体が怪しい」
俺は、義手を握り込む。
「文献を洗い直した。
地下に残る最古の記録、そのさらに下層もだ」
カインは淡々と続ける。
「結果、塔は――
“建てられた形跡”がない」
ヴィクターが眉を上げた。
「は?」
「正確には、
最初から、そこにあったようにしか見えない」
沈黙。
「年代測定が合わない。
文献が語るよりも、ずっと古い。
まるで――地層と同じ扱いだ」
リラが、静かに息を吐く。
「……構造物じゃなく、器官みたいね」
「近い」
カインは頷いた。
「次に、獣型兵器について」
画面が切り替わる。
断片的な映像。破損したフレーム。解読不能な刻印。
「情報は多くない。」
「そもそも、
超大型の骨格を持つ存在が
地上に“いた”という話は知っているな」
「今回遭遇した獣型兵器は、
その記録と――骨格が一致している」
「説明!」
「進化した形じゃない。
“設計された骨格”だ」
「おい博士。
その“ホネのやつ”って、
かなり昔の物なんだろ?」
「大昔の奴らはあのホネホネをペットにして遊んでたのか!」
ヴィクターの冗談みたいな声が止む。
(……繰り返してる。俺たちは、ずっと)
俺は、喉の奥で錆びた息を飲み込んだ。
「……まるで何度も繰り返してるみたいだな」
カインは、はっきり言った。
「我々は、何も分かっていない」
沈黙。
誰も否定しなかった。
――その沈黙を、無遠慮な音が割った。
「……ちょっと待て」
ヴィクターだった。
いつの間にか、紙カップを手にしている。
中身は、色も匂いも“飲み物”とは言い難い。
「お前ら、顔こわすぎだろ」
そう言って、俺の前にカップを置く。
「焦げコーヒーだ。
今日のはな、特に自信作」
「……いらん」
「嘘つけ」
即答だった。
「そういう顔の時のお前、
昔からこれ飲んでただろ」
カップから立ち上る匂いは、相変わらず最悪だった。
焦げた豆と、鉄と、少しだけ油。
だが――
胸の奥で固まっていた何かが、わずかに緩む。
カインが溜息を吐く。
「場違いだぞ、ヴィクター」
「分かってる」
ヴィクターは肩をすくめた。
「だから今だろ。
何も分かってねぇなら、
せめて胃袋は戻しとけ」
誰も笑わなかった。
それでも、空気はほんの一段、戻った。
「……続ける」
カインが言った。
「そして、01メモリだ」
視線が、俺に集まる。
「これは、塔内部――祈り層に触れるための鍵であると同時に、
塔そのものの“過去のデータ”だ」
俺は腰のポーチに触れる。
「今の端末では、ほとんどが断片だ。
だが――」
カインは画面を指した。
「塔内部の機械を使えば、
全ログを確認できる可能性がある」
つまり。
行かなければ、何も分からない。
「……次だ」
カインは、一度だけ言葉を切った。
「ミカについて」
胸の奥で、嫌な音がした。
「観測と仮説を重ねた結果、
結論に近いものが出た」
カインは、俺をまっすぐ見た。
「ミカは、風使いだ」
場が静まり返る。
「しかも――
祈りじゃない、呼吸で使える」
「……ふざけるな」
思わず、声が低くなる。
「ふざけていない」
カインは一歩も引かない。
「仮説だがな。
ミラとルカが01メモリを持っていたこと、
ミカの呼吸と風の反応」
「それらを繋げると――」
言葉が、落ちる。
「塔に関わる何らかの系譜の末裔である
可能性がある」
頭の中で、過去が軋んだ。
「――じゃあ」
沈黙を破ったのは、ミカだった。
「ミカも、塔に行きます」
「ダメだ!」
反射的に声が出た。
「外は――」
「通信士は必要だ」
カインが遮る。
「ミカである必要はない!」
「ある」
断言だった。
「ミカとリュウしかいない。
リュウを連れて行って、
もしリターン班が失敗したら――」
一拍。
「地下が死ぬ」
言葉が、刃みたいに刺さる。
「……でも……」
言い返そうとして、言葉が見つからない。
そのとき。
ミカが、俺を見た。
「おじさん」
その呼び方に、胸が詰まる。
「レイくんも、生きてる」
息を吸う。
「ミカが風使いなら、
ミラおばさんの子どものレイくんも、
どこかで生きてる」
声は、震えていない。
「塔を起こして、
灰針を止めて、
一緒に探しに行こ?」
……卑怯だ。
そんな言い方をされたら。
(そうじゃない。俺が決める。守るために――連れて行く)
「ミカは、外に出るための訓練もしてきたわ」
リラが言う。
「もう、子ども扱いはやめなさい」
ヴィクターが腕を鳴らす。
「俺の筋肉に替えて守るぜ」
最悪の冗談のはずなのに、
なぜか――少しだけ、安心した。
俺は、深く息を吐いた。
焦げコーヒーに口をつける。
苦い。最悪だ。
でも。
身体は、確かに“戻る”。
「……これからは」
視線を、ミカに向ける。
「詩も教える」
場が静まる。
「やることは少なくないぞ」
ミカは、力強く頷いた。
「はい!」
……ああ。
もう、戻れない。
だが。
「帰るために行く」
それだけは、決めた。
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〈ロッカ記録ログ037〉
・塔:建造物ではない可能性
・獣型兵器:「人類史に回収されていない遺産」
・01メモリ:塔で完全解析の可能性
・ミカ:風使い/祈りではなく呼吸
・補足:焦げコーヒー=判断前の体温回復
・結論:
命令ではなく、
祈りを持って行く
――風よ。
俺は命令しない。
帰るために、息をする。
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