第9章『塔の脈動』(37歳) P-035 触れる手 ― 技術士の選択
作業区画の夜は、昼より明るい。
照明を落とせない。
手元が狂う。
狂ったら、人が死ぬ。
金属の匂い。油の匂い。滅菌液の匂い。
医療区画の“生”と、整備区画の“機械”が、ここでは同じ空気を吸っている。
私は手袋を外し、指の関節を一つずつ伸ばした。
(今日の手は……震えてない)
震えたら、原因はだいたい二つ。
疲労か、恐怖。
疲労は慣れで誤魔化せる。
でも恐怖は、誤魔化すほど事故に繋がる。
だから私は、ちゃんと怖がる。
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机の上に並ぶのは、塔へ向かうための“生還装備”のリスト。
・外気遮断マスク(予備フィルター含む)
・針風よけ布(繊維の織り直し)
・簡易除染パック
・通信端末(旧規格/短距離)
・内部侵入用の手動ロック解除具
・ケーブル、バッテリ、遮蔽板
どれも派手じゃない。
でも――派手じゃないものが、最後に生き残る。
私は古い端末のカバーを外し、基板の上を覗いた。
(まだ動く。……動くけど、嘘が多い)
配線の一部が、焦げていないのに焦げたふりをしている。
生き延びた機械がよくやる癖だ。
壊れたことにして、触られないようにする。
「……可愛くない」
小さく呟いて、迷いなく半田ごてを当てた。
ジュッ、という音。
それだけで、気持ちが少し落ち着く。
(私は、こういう手しか持ってない)
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扉が鳴った。
ノックじゃない。
“中に人がいるのが分かってる”叩き方。
「……開いてる」
返事は短く。
入ってきたのはロッカだった。
汗じゃない。灰でもない。
訓練のあと独特の、乾いた熱を纏っている。
目つきだけで分かる。
(痛かったわね、ヴィクターに)
でも私は言わない。
慰めは、今いちばん要らない。
ロッカは作業台の端に視線を落とした。
「……準備してるのか」
「当たり前でしょ」
工具を置かずに答えると、ロッカは一拍だけ黙った。
「俺は――」
「“お前は来るな”って言うつもり?」
半田ごての先を置いてから、顔を上げる。
視線だけで刺す。
ロッカは否定もしない。肯定もしない。
その沈黙が答えだった。
私は息を吐く。
「ねぇロッカ。あなたが外で戦って帰るなら、私は中で“戻る道”を作る」
「……危険だ」
「危険じゃない仕事なんて、この地下にある?」
言い切ってから、ほんの少しだけ声を落とす。
「塔は壊れてる。完全には止まってない。
止まってない機械は――人の都合なんて聞かない」
ロッカの義手が、小さく鳴った。
(分かってる顔)
分かってるのに、止めたい顔。
それも分かる。
私は視線を作業台に戻す。
「だから私が要る。
あなたの拳じゃ、塔は開かない」
ロッカが低く問う。
「……ミカは」
その名前で、胸の奥が少しだけ硬くなる。
「ミカは、入り口の前までは来てる」
私は続けた。
「でも――“入って戻る耳”は、まだ途中」
ロッカの眉が、わずかに動く。
「通信、教わってるんでしょ。カインに」
「……知ってたのか」
「地下で秘密は長生きできない」
工具を持ち替えながら、淡々と言う。
「役割が欲しい年頃なのよ。
待つのが上手すぎる子は、いつか壊れる」
ロッカは何も言わない。
私は言葉を選んだ。
正確じゃなくていい。伝わればいい。
「あんたのせいで壊れた世界じゃない。
でも――あんたは“自分の手で直そうとする”癖がある」
ロッカの視線が、一瞬揺れる。
「それは良い癖。
……でも、一人でやる癖は悪い癖」
端末のカバーを閉じ、彼を見る。
「だから決めて。
塔に行くなら、私も行く。
“戻る道”の担当は私。これは譲らない」
ロッカは短く息を吐いた。
「……分かった」
それは許可じゃない。
覚悟の共有だった。
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作業台の隅に、小さなケースがある。
中身は、古い規格の端子と、鍵みたいな形の金具。
塔の内部――人が入れる場所のロックを開けるためのもの。
私はそれを掌で撫でた。
冷たい。
(冷たいのに、あの塔は脈を打ってる)
生きてる機械ほど、冷たい。
熱を捨てて、静かに生きる。
その静けさが、いちばん怖い。
ロッカが言う。
「一年で準備する、とカインが言ってた」
「一年なんて、すぐよ」
端子を指で押し込みながら答える。
「その一年で、道具も、人も、作り直す。
ロッカは拳。私は道。ミカは耳」
「……詩は」
手が止まりそうになって、止めない。
「必要になるなら最後。
使わないで済むなら――それが一番いい」
「……ああ」
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私は息を吸い、もう一度手袋をはめる。
触れる。
直す。
繋ぐ。
それしかできない。
でも、それでいい。
塔が生きてるなら――
人間側も、生きてる形を選ぶしかない。
作業灯を、少しだけ強くした。
「さ、帰りなさい。
明日からやることが山ほどある」
ロッカは踵を返しかけて、立ち止まる。
「……リラ」
「なに」
「……ありがとな」
胸が、ほんの少しだけ熱くなる。
でも表情は変えない。
変えたら、手が狂う。
「礼はいい。戻ってきて」
そう言って、私はまた工具を取った。
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〈リラ技術ログ035〉
・目的:塔アタック準備(侵入/通信/生還装備)
・方針:ロッカ=前線/リラ=“戻る道”構築/ミカ=通信訓練継続
・留意:塔内部は停止状態ではない(=安全ではない)
・結論:
触れるなら、覚悟の順番を間違えないこと
> ――機械は冷たい。
でも冷たいまま、生きてる。
それなら私たちも、
震えた手のまま、生きて戻る。




