第9章『塔の脈動』(37歳) P-033 届かない声 ― 役割のない場所
医療区画は、今日も息が忙しかった。
咳。端末の警告音。包帯の擦れる音。
派手じゃないのに、放っておけば死ぬ音ばかり。
ミカは入口の横で、少しだけ立ち止まった。
(……また、人が増えてる)
白い照明の下。 シアが、リラさんの横で端末を覗き込んでいる。
「昨日より、咳が深い人が多いですね」
「ええ。薄くても“刺さる日”がある。体は嘘つかない」
リラさんは淡々と答えながら、医療用パックを手渡す。 その動きは無駄がなくて、迷いがない。
シアは頷き、すぐにメモを取った。 字は少し癖があるけど、真剣だ。
(……シア、ちゃんと“学んでる”)
前は、子どもたちをあやして笑っていた人。 今は、ここで誰かの命を支えている。
ミカは一歩、前に出かけて――止まった。
「……あの、ミカも……」
声が小さすぎて、誰にも届かなかった。
リラさんが気づいて振り向く。
「ミカ。ごめん、今は人手が足りてるの」 「……うん」
否定じゃない。 追い出されたわけでもない。
でも、居場所じゃない。
ミカは小さく頷いて、区画を出た。
---
通路は静かだった。
送風ダクトの音だけが、低く鳴っている。 地下の風は安定している。 ――つまり、ミカの出番はない。
(わかってる)
ロッカさんは外に出る。 カインさんは塔を調べる。 ヴィクターさんは戦える。 リラさんは作れるし直せる。 シアは学んで、支えてる。
(ミカは……)
歩きながら、手を握る。
子どもじゃない。 でも、大人でもない。
(“待つ”だけは、もう嫌なのに)
---
通信室の前を通りかかったときだった。
扉の向こうから、カインさんの声が聞こえた。
「……またノイズか」
機械音。 低い電子音が途切れ途切れに響く。
ミカは、足を止めた。
扉は半開きだった。 中では、カインさんが古い通信端末を分解している。
画面には、細かい波形。 意味は分からない。 でも――
(……聞こえない声)
カインさんが独り言みたいに呟く。
「通信士が足りてないな……」
ミカの胸が、小さく跳ねた。
カインさんは、ミカがいることに気づいていなかった。 それくらい、自然な独り言。
「外と繋がる回線も、地下同士の連絡も…… 誰か張り付いて見てないと、すぐ途切れる」
少し間。
「……教えるか」
その言葉が、空気に落ちる。
ミカは、思わず一歩前に出ていた。
「あ、あの……!」
声が裏返る。
カインさんが振り向く。
「……ミカか」
驚きはない。 拒絶もない。
ただ、いつも通りの目。
「通信……ミカでも、手伝えますか」
ミカの心臓が早鐘を打つ。
(できるかどうか、分からない) (でも……)
カインさんは少し考えてから言った。
「専門知識は要る。地味だぞ」 「はい」 「派手な役割じゃない」 「……それでも」
ミカは、はっきり言った。
「何か、やりたいです」
一瞬。 カインさんの目が、ほんの少しだけ柔らぐ。
「そうか」
端末を閉じて、椅子を引く。
「じゃあ、座れ」 「……!」
「まずは“聞く”ところからだ」 「はい!」
椅子に座ると、画面が目の前に広がる。 数字と線だらけ。 意味は分からない。
でも――
(ここなら……)
誰かの声が、届くかもしれない。 誰かの「帰る」を、支えられるかもしれない。
通信室の奥で、低い音が鳴った。
地下の世界は、今日も静かだ。
でも、ミカの中でだけ、 小さく、確かに何かが動き始めていた。
ダクトの風が、ほんの少しだけ“方向”を変えた気がした。
---
〈ミカ記録ログ033〉
・医療区画:人手は足りている(=自分の居場所ではない)
・シア:医療班補助として学習中
・新規役割候補:通信士(訓練開始)
・感情:焦り → 決意(小)
・結論:
“聞くこと”も、守ることの一部かもしれない。




