第9章『塔の脈動』(37歳) P-032 欠片の声 ― ARC01メモリの解析
ロッカさんの服は、灰の匂いがした。
でもそれは、もう怖い匂いじゃなかった。
「……ただいま」
その一言が、地下の空気を“戻す”音だった。
ミカは腕を離せないまま、ロッカさんの胸に額を押し当てる。
鼓動は遅く、重く、確かだった。生きている音。
右手が背にある。
力は強いのに、触れ方は不器用で――それでも、あたたかい。
「……外、どうだった?」
聞きたいことは山ほどあるのに、出てきたのはそれだけだった。
ロッカさんは一拍置いて、
「……死んでた」
とだけ答えた。
それで十分だった。
“生きて帰ってきた”事実が、言葉よりずっと重い。
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後ろで、わざとらしい咳払い。
「はいはいはい! 感動の再会は一旦ここまでな!
兄貴ィ、そのままじゃ灰が地下に落ちる!」
ヴィクターさんが腕を組んで笑う。
「ミカ、あとで俺にも抱きつけよ!」
「しない」とロッカさん。
即答。
「冷てぇ!!」
カインさんが端末を軽く掲げた。
「まず除染だ。外気の灰は肺とフィルターに残る。
……ミカ、離れろ。手が汚れる」
「だ、だいじょうぶ……」
そう言いながら、名残惜しく腕をほどく。
指先が、ロッカさんの袖を掴んだままになった。
ロッカさんは、それを振りほどかなかった。
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医療区画
照明は白く、風は弱い。
リラさんが手袋をはめ、ロッカさんのマスクを外す。
一瞬だけ、地上の匂いが流れ込む。
ミカの喉が、きゅっと縮んだ。
(……外の匂い)
「吸い込み量は少ない。今日は“弱い日”だからね」
聴診器を当てながら、淡々と続ける。
「でも油断はしない。肺音、聞かせて」
ロッカさんが息を吸うたび、ミカは無意識に呼吸を止めていた。
カインさんが数値を読み上げる。
「SpO₂良好。炎症反応は軽微。
義手の接合部も腐食なし……ただし筋疲労は濃い」
「ほらな兄貴! 鈍ってんだよ!」
ヴィクターさんが笑う。
「焦げコーヒーが足りねぇ!」
「黙れ」
「元気じゃん!」
リラさんがロッカさんの頬の裂傷に薬を塗りながら、ミカを見る。
「今日はもう仕事はしない。
……ロッカが戻っただけで、あなたの体温が上がってる」
「え……分かるの?」
「分かる。私はそういうのが分かるの」
最後に、義手に触れて目を細める。
「……ちゃんと“拾ってる”。良かった」
ロッカさんは短く、
「……ああ」
と答えた。
その声が、ミカには少しだけ救いに聞こえた。
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除染が終わると、補給品の仕分けが始まった。
医療資材、フィルター、酸素カートリッジ。
地下の人たちの声が、少しずつ明るくなる。
でもロッカさんの目は、笑っていなかった。
どこか、遠いところを見ている。
(……外で、何か見たんだ)
そのときだった。
「ロッカ。こっちだ」
カインさんの声が、仕事の声に変わる。
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指令室
機械の匂いが濃い。
古いモニターの光が、影を青く切っている。
ミカは入口で立ち止まる。
入っていいとは言われなかった。
でも追い出されもしなかった。
リラさんが、そっと肩を押す。
「聞いておきなさい。
これは……あなた達の話でもあるから」
ミカは、小さく頷いた。
ロッカさんは椅子に座らない。
義手の指を、ゆっくり開閉しながら立っている。
カインさんが画面を切り替えた。
「塔〈ARC-01〉について、確定事項が増えた」
「“まだ生きてる”とかか?」とヴィクターさん。
カインさんは頷く。
「……近い。塔は完全停止していない」
ロッカさんの視線が、わずかに鋭くなる。
「根拠は」
「今まで、地下で観測を続けた。
灰針層の脈動と、塔周辺の微弱電流が同期している」
画面に、規則正しい波形が並ぶ。
「弱いが、周期がある。……脈だ」
ミカは息を飲んだ。
(塔が……脈を打つ?)
「今日、地上に出て確信した。
外の環境が弱いとき、塔の反応が一段はっきりする」
カインさんは言い切った。
「……塔は、まだ“環境と繋がっている”。生きてる側だ」
ロッカさんが低く言う。
「……起こせるのか」
カインさんは、すぐに答えなかった。
「可能性はある。
だが、それを“証明できる材料”が足りなかった」
視線が、ロッカさんの腰元に向く。
「お前が持っているものがあるだろ」
ロッカさんは黙ったまま、ポーチを開く。
小さな金属音。
掌に収まったのは、黒いメモリ。
「ARC-01メモリ……
――祈り層の記録だ」
机に置かれる。
「タクミから受け取った。
あいつが、ルカから受け取って……俺に渡した」
その名に、ミカの胸が締め付けられた。
カインさんは、触れずに言う。
「……やはり持っていたか」
「黙ってたんじゃない」
ロッカさんが言う。
「封じてた」
リラさんが小さく息を吐く。
「触れたら、戻れなくなると思ってたのね」
沈黙が、それを肯定した。
「解析する。いいな」
「……壊すな」
「壊すなら、俺が先に死ぬ」
「ロマンだな!」
「黙れ」
接続音。
画面が乱れ、文字が浮かぶ。
〈ARC-01……停止……不完全〉
ロッカさんの呼吸が、一拍止まる。
「ほらな」
カインさんが静かに言う。
〈再起動……条件……未確定〉
〈……入力……〉
「入力……外からの何かだ」
「命令詩か?」ヴィクターさん。
「違う」
カインさんは首を振る。
「命令は上書きだ。
塔が求めているのは……同期に近い」
沈黙。
「塔を動かさない限り、灰は止まらない」
「だが起動は、全てを消す可能性もある」
ロッカさんの義手が、ぎ、と鳴った。
ヴィクターさんが言う。
「何もしないで死ぬか、やって死ぬかだろ」
「……まだ決めない」
ロッカさんの声は低い。
カインさんが締める。
「次の“弱い日”まで、長くて一年。短ければ、もっと早い」
「ログを復元し、文献を洗い直す。
……ようやく、スタートラインだ」
リラさんが頷く。
「起こすなら、戻る道も作る」
ミカは、その意味が少しだけ分かった。
(帰ってくる道)
ロッカさんが言う。
「……今日はここまでだ」
カインさんは画面を閉じた。
「塔は生きている。
……そして、灰は待ってくれない」
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〈ミカ記録ログ032〉
・塔:完全停止ではない(長期観測+地上での確信)
・ARC01メモリ:ロッカが封印していた祈り層の断片
・判明:〈停止=不完全〉〈再起動条件=未確定〉
・期限:次の“弱い日”まで約一年
・結論:
希望は見えた。
でもそれは、刃みたいに危ない。




