第8章『灰上の再会』(37歳) P-029 小さな獣 ― 灰を裂く足音
灰を払って飛び出したそれは、人間より低かった。
だが、速かった。
四つの脚。 骨だけを残したみたいな細いフレーム。 表面装甲はほとんど剥がれて、ケーブルの束がむき出し。 頭は前に尖った三角形で、顎のラインに沿って細い刃の歯が並んでいる。
尾が長い。 走るたびに、空気を切る音がした。
「……なんだ、あれ」
思わず口に出る。
三体。 灰の海を“滑る”ように、弧を描いて走ってくる。 体高は俺の腰くらいだが、速度はさっきの白い人形よりずっと上だ。
カインが息を呑む。
「獣型AI兵器……? いや、こんなの、記録にない……!」
奴らの足が、同時に止まる。 灰が宙に浮き、あとからふわりと落ちた。
三つの頭が、ぴたりとこちらを向く。
---
義手が震えた。
風がないのに、空気がざわつく。 三つ分の“風の傷”が、視界の外側でうごめいている。
低い位置。 足元から喉元までのライン。 すべて“殺しの高さ”だ。
(人型より、いやらしい)
カインが端末を構えながら、早口に言う。
「重心が低い。機動特化型だ。装甲は薄いが……あの速度は、人間では追えん」
「ってことは――」とヴィクター。
口元をニィッと上げて、棍棒を握り直した。
「俺の得意分野だなぁ!? よし、名前決めた!」
「まだ戦ってもないのにか」と俺。
「名前がねぇと、殴るイメージが入らねぇだろ!」
ヴィクターは前のめりに獣型を睨みつける。
「細ぇ足でシャッシャ走って、牙ギラギラで、群れで狩る感じ……
――よし、“ラプトル”って呼ぶ!」
カインが半眼になる。
「意味は?」
「なんか速そう!」
「根拠が速度から離れたことがないな、お前」
「速けりゃ正義だろ、兄貴!」
「……うるさい。動くぞ」
笑いながらも、指はもうダカーにかかっていた。
---
最初に飛び出したのは、右の一体だった。
灰を蹴る音はほとんどない。 地面に触れる時間が、常識より短すぎる。
右へ回り込むと見せかけて、急に低く潜ってくる。 狙いは、膝の裏。
「兄貴、右!」
ヴィクターの声が飛ぶより早く、義手が“空気のえぐれ”を拾う。
膝を一歩前に出して、足を入れ替える。 次の瞬間、さっきまで俺の足があった場所を、金属の顎が掠めていった。
顎の根元の関節が、ギシ、と鳴る。
(……関節は、ちゃんとある)
銃を落としたくはない。 だから、足を止める。
腰を落として、ラプトルの横腹に、牽制の一発。
> キン。
弾が装甲を弾く。 だが、狙いは貫通じゃない。 速度を半拍、遅らせる。
ラプトルの体勢がわずかに沈んだ。 そこへ前進。 距離を詰める。
ダカーを抜く。 右手の重さが、昔の重さに近づいていく。
---
ラプトルの爪が閃いた。
前脚のフレームが変形し、指先が刃の形になる。 四本のラインが、一度に俺の顔と喉と胸を狙ってきた。
(全部は避けられない)
義手を前に。 刃の洪水を、“面”で受ける。
金属同士が擦れて、火花が飛ぶ。
重い。 だが、押し切らせない。
義手で受けた衝撃を、肩、背骨、足裏まで逃がす。 そのついでに、一歩踏み込む。
ラプトルの胸骨のフレーム。 そこから脇腹へ走るケーブルの束。 ダカーの刃先で、その一本を撫でるように切る。
> ザクリ。
感触は軽い。 だが、動きが鈍った。
ラプトルの動きに“ブレ”が生まれる。
「遅い」
もう一歩。 首の根元。頭と胴をつなぐリング。
白い人形と同じ構造だ。
ダカーをそこへ叩き込む。
刃が金属を裂き、内部の光ファイバーを断つ。 ラプトルの頭が、ぶらりと垂れた。
勢いそのまま、地面に転がして灰を被せる。
一体目――停止。
---
息を一度だけ吐く。
すぐに、空気の密度が変わる。
左。 残り二体。 あいつらは“一体目を囮にした”だけだ。
灰を跳ね上げて、二体目と三体目が同時に襲いかかってくる。
一体は正面から。 もう一体は、死角ぎりぎりの位置から足を狙って。
「くそ……」
間に合わない。
義手は正面の牙を受け止められる。 だが、横からの足払いまでは拾えない。
ラプトルの前脚が、俺の脹脛を薙いだ。
分厚い布の上からでも、衝撃が骨まで届く。 膝が崩れかけた瞬間――
---
> ドゴッ!!
鈍い衝撃音とともに、 横から飛び込んできた鉄の塊が、ラプトルごと視界から吹き飛んだ。
灰が爆発する。 骨とフレームが、バラバラに砕けて宙に舞う。
ヴィクターの棍棒だ。
あのバカみたいに重い、コンクリ付き鉄棒を全力でフルスイングしたらしい。
「よっしゃああああ!!! 当たったァァァァ!!!」
本気で嬉しそうな声が灰の中に響く。
俺は地面に片膝をつきながら、息を吐いた。
「お前……今の、狙ってたのか」
「当たりゃ全部、狙い通りだろ!!」
「……それは違う」とカイン。
端末も見ずに、冷静にツッコむ。
「さっきから五回空振りして、一回だけ命中しただろう。命中率二割だ」
「筋肉ってのはロマンで動くんだよ!! 数字で語るな!!」
灰の中、ヴィクターが棍棒を肩に担ぎ直しているのが見えた。
たしかに、“当たった時の破壊力”だけは笑えない。
ラプトル二体目は、頭と胴がどこかへ吹き飛び、いまもって動かない。
---
残り、一体。
こいつは、賢かった。
仲間が粉々にされた瞬間―― 一度だけ速度を緩め、間合いを取り直してきた。
低い姿勢。 頭を左右に振りながら、俺とヴィクターとカインの距離を測っている。
カインが短く分析する。
「さっきまでの二体より、挙動に“躊躇”がある…… 学習型かもしれない。気をつけろ」
「兄貴ー」とヴィクターがぼやく。
「これ、マジで重い。振り回そうとすると、俺がブレる」
「知ってる」
「知ってて黙ってたのかよ」
「俺が言っても聞かないだろ」
「ぐぬぬ……!」
ラプトルが再び走り出した。 今度は最初からヴィクター狙いだ。
あの金属とコンクリの塊を、“危険物”として認識したのかもしれない。
ヴィクターの周囲に、灰の円が出来る。
あの重量を持ったまま、まともに回避はできない。
「……そのバカデカいの、置け」
思わず、声が出た。
ヴィクターが一瞬だけ止まる。
「あぁ?」
「置け。お前の腕は、それがなくても武器だ」
ラプトルが踏み切る。 灰を蹴って、一気に懐まで入り込んでくる。
時間は、一秒ない。
---
ヴィクターは迷わなかった。
棍棒を、足元へ落とす。 太い鉄の塊が地面にめり込む音と同時に――
前に出た。
筋肉の塊みたいな上半身が、ラプトルの軌道にねじ込まれる。 普通なら“突っ込まれて噛み千切られる”距離だ。
ラプトルの顎が開く。 細い歯が、喉を狙っていた。
「おそい」
その声と一緒に、ヴィクターの右拳が跳ねた。
> メキメキッ。
骨でも金属でも、あまり聞かない壊れ方の音だった。
拳がラプトルの首のフレームを粉砕し、そのまま地面に叩きつける。
残った慣性でラプトルの身体が宙に浮き、灰を巻き上げながら一回転して落ちる。
関節が変な方向に曲がったまま、動かない。
カインが、とどめの一発を頭部へ撃ち込む。
白いセンサーの光が消える。 最後のラプトルも、ただの“鉄屑”になった。
---
静かになった。
灰がひとしきり落ちきってから、呼吸の音だけが残る。
俺はダカーを収め、周囲を見渡す。
砕けたフレーム。 転がる顎。 尾の一部。
獣の骨格に似ている。 けれど、俺たちが知っているどの“生き物”とも違う。
カインがしゃがみ込み、破片を拾い上げる。
「……骨のように見えるが、これは金属とセラミックの複合だ。 関節の構造が……いや、これは……」
「どうだ、博士」とヴィクター。
「俺の“筋肉ラプトル”強ぇだろ」
「“筋肉ラプトル”という単語を新たに作るな」
カインはため息をつき、破片をポケットにしまう。
「こんな構造のAI兵器、記録では見たことがない。 タイプ自体は相当古そうだが……設計思想が、俺たちの戦争のものではない」
「ってことは」と俺。
「帰ったら、過去の文献を全部洗い直す必要があるな」とカイン。 「もしかすると――俺たちは、本当に“最後の世代”なのかもしれない」
それ以上は言わない。 今ここで答えを出しても、意味はない。
俺は足元のラプトルの頭を軽く蹴った。
「……とりあえず、今はこいつらに道を塞がせねぇことだけ考える」
「賛成」とヴィクター。 「ラプトルだろうが何だろうが――
俺らの帰り道を邪魔するなら、全部ぶっ壊す」
「その物騒な宣言、ログに残していいか?」とカイン。
「残せ! 筋肉の軌跡だ!」
「お前の筋肉ログで端末を埋める気はない」と俺。
くだらない会話。 だが、さっきより息がしやすい。
---
手押し車のところまで戻り、コンテナを確認する。 倒れた拍子に、何個かずれていたが、中身は無事だ。
義手で軸を押さえ、きしみ具合を確かめる。 まだ動く。帰りの重さには耐えられる。
「灰針が上がるまで、あとどれくらいだ」と俺。
カインが空を見上げる。 赤く濁った灰雲。 その向こうに、俺たちがいた頃の青空が、まだあるのかどうかも分からない。
端末を一瞥して、カインが答える。
「あと三時間前後。今回は短い。
やはりここから二手に分かれて両地下基地に物資を回す」
「俺とヴィクターも今回そっちの基地に行く。大事な話しがある」
「そうか…なんにせよありがたい。ミカも喜ぶ」
「しかし急がねーと時間ギリギリだな」
「ギリギリで終わらせるのが、お前らリターン班の悪癖だ」
「悪癖って言うなよ」とヴィクター。
「ギリギリのスリルが筋肉を育てるんだって」
「筋肉で全部まとめるな」
手押し車の取っ手に手をかける。 義手が、金属の冷たさを拾ってくる。
(“帰る”方向を、掴んだ)
地下には、ミカがいる。 リラがいる。 二つの基地に、生き残った人達がいる。
どれも、もう簡単には失えない。
「行くぞ」
俺が前に立ち、手押し車を押す。 ヴィクターは棍棒を肩に担ぎ直し、カインは後方警戒にまわる。
灰の上に、新しい三人分の足跡が並び始めた。
---
〈ロッカ記録ログ029〉 ・新規交戦対象: - 四足獣型AI兵器(仮称:ラプトル)、三体。 - 小型・高速・低姿勢。連携行動あり。 - 装甲は薄いが、顎と爪の威力高。 ・戦闘: - 一体目:ダカーにて首輪部切断。 - 二体目:ヴィクター棍棒の直撃により頭部粉砕。 - 三体目:ヴィクター素手による頸部破壊+カインの射撃で停止。 ・考察: - 構造は金属+セラミック複合。 - 設計思想が現行戦争技術と異なる。古層文明の遺物の可能性。 ・自覚: - 人型相手と比べ、速度への対応に遅れあり。 - とはいえ、義手センサーと身体の“昔の癖”は生きている。
> ――風よ、まだ名前も分からない敵がいる。
だが、先に“帰る道”だけは、俺たちで決める。




