第8章『灰上の再会』(37歳) P-028 リターン班、灰上に立つ
白い人形の残骸が、灰と一緒に地面へ沈んでいく。
息がまだ荒い。
肺の奥が、すこし焼けるみたいに痛む。
八年ぶりの外で、三体は正直きつかった。
(……鈍ってるな、やっぱり)
ダカーを布で拭きながら、そう認める。
右手が震えているわけじゃない。
ただ、昔の“余裕”が一枚はがれている感覚。
義手のセンサーが、危険の揺れが消えたのを告げる。
風はまた、ただの“死んだ空気”に戻った。
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灰の幕が割れ、影がひとつ歩いてくる。
背が高い。肩幅が広い。
焦げた鉄とコンクリの塊みたいな棍棒を、片手で肩に担いでいる。
灰を蹴り上げながら、その顔がはっきりする。
ヴィクター。
白い人形の頭部を片手で握りつぶしたまま、ニヤリと笑う。
「八年ぶりに地上出て、これかよ。
筋肉が泣いてんぞ、兄貴」
俺は、思っていたより素直に笑えた。
「……筋肉で喋るな、ヴィクター」
「筋肉は正直なんだよ。お前の反応速度、三割減ってるわ」
「数字で出すな。俺の何を計ってんだ」
「兄貴の“サボり具合”」
「八年ぶん殴るぞ」
「ほら、力は残ってる!」
「ってかその腕のピカピカ、カッケェーな!くれ!!」
「お前のその丸太みたいな腕には合わない」
「ガハハハ、だな」
くだらないやり取り。
でも、そのくだらなさが、喉の奥の固まりを少しだけ溶かした。
白い風景の中で、ヴィクターの輪郭だけがやけに濃い。
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「ロッカ!」
別方向から、もう一つの声。
灰の中を切り裂いて、細身の影が駆けてくる。
フードを深く被り、端末を胸に抱えた男――カインだ。
足を止めるやいなや、俺の肩、胸、義手の接合部を順に確かめる。
目は前線のまま、冷静で忙しい。
「頭部、異常なし。胸部外傷なし、義手の接合も問題なさそうだ」
「診察早いな、医者になったのか」
「お前が相変わらず無茶をするから、観察だけは上手くなった」
カインの口元がわずかに緩む。
「……無事で何よりだ。ロッカ」
俺は軽く肩をすくめた。
「そっちこそ。よく灰針の中で生き残ったな」
「生き残る以外に選択肢はなかった」
「理屈は変わってねぇな」
「お前もな」
会話の端々に、八年ぶんの“安堵”が混ざっていた。
それを言葉にはしない。
代わりに、カインの肩を一度だけ叩く。
それだけで、十分だった。
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ヴィクターが棍棒を地面に突き立てる。
「ほら、見ろカイン! な? 俺の言った通りだろ?
兄貴は死なねぇって、ずっと言ってたろ?」
カインは肩を竦める。
「“筋肉理論による生存予測”は、統計的裏付けに欠ける」
「おい、筋肉バカにすんな!」
「事実だろ」
「兄貴も何か言え!」
「……お前の筋肉にだけは、感謝しとく」
「だろ!? 聞いたかカイン! 公式に感謝された!」
カインは深く息を吐き、しかし目は楽しそうだった。
「……まったく。
お前たちが揃うと、灰の上でも訓練場と変わりないな」
八年前、塔の前で笑っていた時間の残り香が、ふっと蘇る。
もう二度と戻らないはずの時間なのに――
三人が立つだけで、風景の色が少し変わった気がした。
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「さて、本題に戻るぞ」
カインが端末を開く。
仕事モードの声になる。
「リラの言っていた補給地点はここで間違いない。
このコンテナ……番号 ARC-M7。医療資材とフィルター類だ」
「地下の連中が一番欲しがってたやつだな」と俺。
「俺らの方の基地にも同じものが必要だ」とカイン。
「今回は総勢20人で物資を運ぶ。両基地に十人ずつ振り分ける。それが今日の任務だ」
「よっしゃ任務!」ヴィクターが棍棒を担ぎ直す。
「リターン班、再始動ってやつだな!」
「……誰がそんな名前付けた」
「兄貴じゃねぇ? カイン、ログに残ってない?」
カインは端末を軽く操作し、眉を寄せる。
「“非公式呼称:リターン班(命名:ヴィクター)”とあるな」
「お前かよ」
「俺か!」
「正式採用されてねぇじゃねぇか」と俺。
「心の中では正式だろ!」とヴィクター。
そこで何か思い出したように、手のひらを打つ。
「カイン、お前が8年かけてこねくり回してたあれ、兄貴に渡してやれよ」
「そうだな、大分やられてたみたいだから飲ませたほうが良い」
カインがポケットから錠剤を取り出した。
「名付けて先生の雫」
「なんか怪しい名前だな」
「成分は申し分ない。Δ1プロトタイプ――」
「長い」
(……まあ、カインが八年いじくり回してきた結果だ。飲まない理由もない)
くだらないやり取りをしながらも、手は動き続ける。
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三人でコンテナを引き出し、
中身を手押し車に積み込んでいく。
フィルターユニット、パック詰めされた抗生物質、酸素カートリッジ。
どれも地下では“寿命が決まりかけていた”ものだ。
「こっちが、お前らの地下基地分」とカインが仕分ける。
「残りは俺たちがいた方へ回す。
片道で二往復は無理だ。灰針が上がる前に戻らなきゃならん」
「ああ」
俺は頷きながら、手押し車の軸を義手で確かめる。
耐荷重はぎりぎり。
だが、灰の上ならタイヤはそこそこ回る。
ヴィクターはコンテナを一人で持ち上げながら、相変わらず騒がしい。
「おおおお……っしゃああ! 重てぇ!!」
「うるせぇ。灰が余計に落ちる」と俺。
「筋肉が喜んでんだよ!」
「筋肉、さっき泣いてたろ」
「泣きながら笑うのが筋肉だ!」
「……意味が分からん」とカイン。
「感覚で生きろよカイン!!」
いつも通りの三角関係。
その中心に立っている自分が、まだ信じられない。
八年。
地下で錆びていた時間が、少しだけ剥がれていく。
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全て積み終えた頃、風がわずかに「止まった」。
義手が震える。
指先のセンサーが、空気の揺れを拾う。
さっきの白い人形とは違う。
もっと細かい。
もっと速い。
(……何か来る)
俺は手を上げて、二人を制した。
「待て」
カインが即座に銃を抜き、
ヴィクターは棍棒を構える――ふりだけして、俺の後ろに半歩出る。
「おい兄貴、どっちだ」
「まだ、“どこから来るか分からない”」
灰の匂いが、一瞬だけ変わる。
鉄の匂いに、油の焼ける匂いが混ざった。
義手のセンサーが、地面近くの空気の“えぐれ”を感知する。
足元。
低い位置。
四つ――いや、三つか。
「……地面、見ろ」
俺が言うより早く、灰を切り裂いて“何か”が走り出た。
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灰を払って現れたのは、細長い影だった。
人間より低い。
だが、異常に速い。
四足。
骨のようなフレーム。
表面装甲は剥がれ、筋肉の代わりに細いケーブルが束になっている。
頭部は三角形。
前傾姿勢。
尾が長く、バランスをとるように左右にしなっていた。
「……なんだ、あれ」
思わず口をつく。
関節の構造は完全に“獣”。
だが、動きはあまりにも“計算された直線”だ。
カインが息を呑む。
「獣型AI兵器……? いや、俺の知っているどのデータとも違う……」
影は三体。
灰の海を滑るように、三方向からこちらを円形に囲むように走ってくる。
ヴィクターが目を見開き、嬉しそうに叫んだ。
「おいおいおいおい……兄貴、カイン!
なんだよ、あの“強そうなシルエット”はよ!!」
「落ち着け」と俺。
「命の危険時にテンション上がるの、昔から変わらんな」とカイン。
「これは名前付けるしかねぇだろ!」ヴィクターが棍棒を握り直す。
「細ぇ足でシャッシャ走って、歯ァめっちゃ鋭そうで――」
「お前、まだ戦ってもないのに名付けんのかよ」
「名前付けねぇと、殴りづらいだろ!」
そう言いながらも、俺の指は既にダカーにかかっていた。
(人型より、速い)
義手のセンサーが、三つの“風の傷”を描き出す。
それぞれが違う軌道で、同じ一点――俺たちの喉元を狙っていた。
カインが短く言う。
「気をつけろ。
何が出てくるか、俺たちは本当に“分かっていない”」
風が、一瞬だけ死んだ。
次の瞬間――灰を割って、獣型の頭が飛び出した。
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〈ロッカ記録ログ028〉
・地上:補給地点 ARC-M7 到達。医療資材・フィルター類の回収成功。
・合流:ヴィクター/カイン、生存確認。会話・動作ともに問題なし。
・自分:初外任務にて人型AI 4体を撃破(内1体は支援により)。
・部隊:三名による“リターン班”再編(非公式)。
・新たな脅威:
- 獣型AI兵器と思しき四足歩行体、三体と遭遇。
- 既知のデータベースに該当なし(カイン談)。
- 小型・高速・低姿勢。風の“傷”として感知。
・補足:「先生の雫」を服用。
――気のせいか、初戦の疲れが少し軽くなっていた。
> ――風よ、まだ名前も知らない敵がいるらしい。
だったらまず、俺たちが“出会い方”を決める。




