第8章『灰上の再会』(37歳) P-027 初撃 ― 白い人形とダカー
地上の風は、やっぱり死んでいた。
階段を上がった瞬間、肺の中の空気が一度、固まる。 匂いは、昔のままだ。灰と鉄と、焦げた血の残り香。 でも、なにかが違う。
(……音が、ない)
八年前。 塔の前線で吸った風は、うるさかった。 爆発の余熱、命令詩の残響、叫びの切れ端。 いまは、その全部が剥がれて、風の“骨”だけが残っている。
義手が震える。 金属の指先が、空気の密度をなぞる。
「針は……薄い」
口の中が鉄っぽい。 それでも、息はできる。 一歩、地上へ踏み出す。
灰が浅い。 足首までは埋まらない。 空の灰層が、今日は“沈んでいる”。
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基地の武装庫は、半分埋まっていた。
外壁に積もった灰と瓦礫をどかして、鉄扉を押し開ける。 中の空気は冷たい金属の匂い。 湿度が低く、埃が薄い。 戦争の“残骸”が整列している。
壁際に、古いライフル。 ラックに、拳銃。 ケースに、ナイフ。 奥の棚に、俺のダカー。
義手でケースを撫でる。 金属の蓋越しに、重さが分かる。形も分かる。 身体が先に、持ち主を思い出している。
フックを外して、蓋を開ける。
鈍い色の刃。 普通のナイフより一回り長く、分厚い。 刃の根元に、昔付けた小さな傷が残っていた。
「……久しぶりだな」
声に出すと、喉が少し熱くなる。 右手で柄を握り、左の義手で刃の背を軽く押す。
義手のセンサーが、刃の冷たさと重さを伝えてくる。 それは昔、肉の手で持っていた感覚に近かった。
(まだ、いける)
ホルスターにダカーを差し込み、 腰に拳銃を一丁。 古いけど、手入れはしてある。 リラの性格だ。
マガジンを一度抜いて、装弾を目で確かめる。 錆はない。 動作に抵抗もない。
「……牽制には、足りる」
呟いて、マガジンを戻す。 ボルトを引く。 金属音。 それだけで、昔の心拍が戻ってくる。
装甲板は最低限のものだけ。 動きが鈍る装備は切り捨てた。
外へ出る前に、振り返ることはしない。 地下にミカがいる。 見たら、足が止まる。
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補給ルートは、灰の谷間になっていた。
灰で半分埋まった道路。 傾いた信号機。 折れた電柱。 その間を縫うように、補給車用の溝だけが辛うじて残っている。
義手をわずかに上げる。 風の“乱れ”が分かる。 八年ぶりの外だが、身体はまだ戦場の地図を覚えていた。
(この先、風がねじれている)
曲がり角を一つ抜けたところで、足を止める。
静かだ。 静かすぎる。
風がないのに、“そこだけ空気が避けている場所”がある。 義手のセンサーが、微かな“空洞”を撫でた。
(……いる)
右手が勝手に銃へ伸びる。 ホルスターから抜く動作に、ぎこちなさはない。 でも、心だけが一瞬遅れる。
息を四拍に落とす。 吸う。 吐く。 吸う。 吐く。
空気の密度が、一拍だけ変わる。
その瞬間、そいつが灰の中から“立ち上がった”。
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真っ白な人型だった。
塗装でも布でもない。 白い骨組み。 表面装甲はほとんど剥がれ、細いフレームだけがむき出しになっている。
人間の骨格とは違う。 膝が逆に曲がる。 肘の関節が、外側に折れる。 首だけが、異様に滑らかに動いた。
顔の位置には、二つの“穴”。 目の代わりの白い光。
瞳孔がない。 ただ真っ白に光るセンサーが、俺を捉えていた。
口はない。 喉もない。 でも胸の内部で、なにかが小さく震えている。
> カタ……カタ……
人間の呼吸音を、下手に模倣したような機械のノイズ。
気持ち悪い。
(……これが、“爆弾運搬のなりそこない”か)
本来なら内蔵爆弾を抱えて走り、人間ごと吹き飛ぶ兵器。 いまは主を失い、ただ“突っ込む”癖だけが残っている。
白い脚が、ぐにゃりと沈んだ。
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地面を蹴った。
言葉の前に、身体が反応する。 横へ一歩。 膝を落とす。 視界の端を、白い残像が駆け抜ける。
速い。 人間の短距離走の“全力”が、こいつの“歩き出し”だ。
白い腕が、空を裂く。 手のひらの骨組みが変形し、刃のような形になる。
義手で受ける。 金属同士が当たって、鈍い火花が散る。
重い。 純粋な推進力と質量の塊。
ガードを滑られれば、そのまま首をもっていかれる。
右手だけが、冷静だ。 銃口を、わずかに下へ。
一発。 足首のフレームを撃つ。
> キン。
金属の悲鳴。 白い脚が、わずかに軸を崩す。
(……牽制でいい)
完全に止める必要はない。 一拍、遅らせるだけでいい。
身体が昔のリズムを思い出し始める。
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奴は止まらない。
脚を引きずるようにして、すぐに体勢を立て直す。 足首のフレームが折れているのに、全体のバランスで“前へ倒れないよう”補正している。
白い顔が、かくん、かくんと角度を変えた。 目にあたるセンサーが、瞬きもせずにこちらを追ってくる。
胸部のフレームが一瞬だけ膨らむ。 爆弾起動の癖が、まだ残っている。
だが爆発はしない。 代わりに、白い腕が四つに増えた。
いや、そう見えただけだ。 関節の角度が、ありえない方向に折れ、 軌道が四つに分裂して見える。
まともに見ていたら避けられない。
(見るな。感じろ)
義手に意識を預ける。 金属の骨に伝わる空気の振動が、腕の軌道を描いてくる。
すべてを避ける必要はない。 致命だけを外せばいい。
頬の横を白い刃が通り過ぎる。 皮膚が、紙一枚分だけ裂けた。
熱い。 でも、生きている。
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距離を詰める。
こいつは“当たるまで”止まらない。 ならば、当たる前に懐へ潜る。
再び足首に弾を撃ち込む。 今度は反対側だ。
白い脚が、両方とも軸を欠く。
瞬間、奴の身体が“前に倒れた”。
そこが、刃の届く間合い。
腰のダカーを抜く。 刃が空気を裂く音が、昔と同じだ。
俺は白い骨の胸を狙わない。 こいつの“心臓”は、もっと上にある。
首と胴が繋がる細いリング。 センサーから伸びるケーブルの束。 そこが“目と耳”の全部だ。
一歩。 踏み込む。 左義手で白い腕を外へ弾き飛ばし、 右手のダカーで、首の輪を払う。
> ザクッ。
手応え。 金属を切る“硬さ”と、 内部を走る光ファイバーの“柔らかさ”。
白い頭が、遅れて傾いた。
センサーの光がふっと消える。 四肢がひとつずつ力を失い、雪崩れるように倒れた。
粉塵が、静かに舞う。
息が荒い。 肺の奥が痛い。 でも、立っている。
八年ぶりの“敵”は、倒れた。
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ダカーを布で拭う。 白い金属の欠片と、灰色の粉がこびりついていた。 血はない。 代わりに、焦げたシリコンの匂いがする。
義手の震えが少しだけ落ち着く。 センサーが“危険な揺れは去った”と告げていた。
(まだ、やれる)
自分に言い聞かせる。 足の震えを、膝で殺す。
補給庫は、まだ先だ。 人型兵が一体だけで済む世界じゃない。
空気の密度が、再び変わる。
静寂の中で、また“空洞”が増えた。
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補給庫は、半分崩れた物流センターだった。
屋根が落ち、壁は片側だけ残っている。 内部の棚は倒れ、コンテナがむき出しになっていた。
リラから指定された番号のコンテナを探す。 義手を滑らせ、凹凸を読む。 ようやく目的の箱を見つけた。
封印タグ。 灰で見えにくくなったロゴ。 中身は、医療資材とフィルター類のはずだ。
(ここまでは、順調だ)
コンテナの位置をマーキングし、引き返す経路を視覚と足で覚える。
そのときだ。
義手が、嫌な振動を拾った。
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耳には、何も聞こえない。 でも空気が、うっすら“ざわついた”。
さっきのとは違う。 一体分の揺れじゃない。 三つ分。 三方向から、均等に。
(囲んでくる)
反射的に、柱の影に身を滑り込ませる。 背中を壁に預ける。 右手は銃へ。 左の義手は、ダカーの柄に添えた。
灰をかき分ける音。 肩の高さで、白い影が横切る。
一体。 もう一体。
天井の梁の上にも、一体。
(……三だな)
息を浅くする。 心拍が戦場の速度に変わる。
足音は軽い。 関節の摩擦音だけが、チリ、チリ、と空気を削る。
やがて、動きが止まった。
奴らは“待っている”。
“出てくるまで待つ”プログラムが、まだ生きている。
(なら、こっちから出る)
じっとしていれば、囲みが狭まるだけだ。
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まず一体。
梁の上の白い奴に、先に目をつける。 高所からの突撃は一番厄介だ。
右手の銃を、柱の影からほんのわずか出す。 頭は出さない。
弾の軌道で、“こちらの位置”を偽装する。
短く二発。 梁の端を撃ち抜く。
> ガン。ガン。
金属が割れ、細かな欠片が降る。
白い影が反応する。 梁の上で姿勢を変え、こちら側に身体を向けた。
(そこだ)
義手に頼るな。 目で捉える。 肩の角度。 脚の開き。 落下ライン。
奴が跳ぶ瞬間。
踏み込む。
梁から飛び降りる白い体と、 柱の影から飛び出す俺の体が、 空中で、かすかに交差する。
胸元へ銃を押し当て、一発。
至近距離。 火薬の熱が、自分の頬まで焼く。
胸部装甲が割れ、内部の骨組みが露出する。
落下の勢いが殺せず、奴の体が俺にぶつかった。 背中が床に叩きつけられる。 息が一度、抜ける。
(……重い)
だが、抑え込んだのは俺だ。
白い腕が顔に伸びてくる前に、 ダカーで首輪を裂く。 一つ目の光が消えた。
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二体目は、静かだった。
右側の棚の影から、忍ぶように近づいてくる。 肘と膝の関節が、蜘蛛のように曲がる。
俺はあえて立ち上がり、姿を晒す。
銃は撃たない。 代わりに、義手を“わざと”前に出す。
白いセンサーが、そちらへ引き寄せられる。 AIは、“金属の反射”に反応しやすい。
腕が伸びた瞬間、義手を引く。 空を切った刃が、体勢を崩す。
その脇腹に、ダカーを滑り込ませる。 力任せではない。 関節とフレームの隙間を、なぞるように。
刃が骨組みを切り、内部のケーブルを断つ。 二つ目の光が消える。
息が荒い。 脚が重い。 汗と灰が混ざって、視界が滲む。
(あと一体)
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三体目は、背後から来た。
気づいた時には、もう遅かった。
義手のセンサーが、“真後ろの空気の穴”を拾った瞬間、 背中に重さがのしかかる。
白い腕が肩を掴む。 力が異常だ。 筋肉では出せない“直線の出力”。
床に叩きつけられる。 肺から空気が逃げる。 視界が一瞬白くなる。
銃が手から滑り落ちる。 ダカーは握っている。 だが、振るうだけのテコがない。
白い頭が、真横にある。 センサーが、顔すれすれで光っている。
腕がもつれる。 関節が四つ、八つに見える。
こいつは、他の二つより“マシ”だ。 運ぶべき爆弾を失っても、 “敵を押さえ込んで動きを止める”癖だけは残っている。
喉に冷たいものが触れた。 刃の骨。 力を入れたら、そのまま頸動脈を断つ位置だ。
(まだ死ぬわけには)
体力も、集中力も、八年分の“鈍り”を誤魔化しきれなかった。 意識の端が、暗くなり始める。
それでも、腕の感覚だけは残っている。 義手の指先が、白いフレームの“微かな震え”を拾っていた。
こいつの軸は、胸ではない。 背中でもない。 首だ。 首を折れば――
喉の奥まで、詩のかたちがせり上がる。
(……ダメだ。あれをもう一度使ったら、今度こそ戻れなくなる)
ミカの顔が浮かぶ。
地下の薄い灯り。 「生きてる?」と笑う声。
(――ミカが、待ってる)
奥歯を噛み締め、詩を押し戻す。
そこまで考えたところで。
灰の向こうから、声が落ちてきた。
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「……弱ぇなぁ、兄貴」
時間が止まる。
耳が、その声だけを拾った。 懐かしいというより、“身体の奥に刻まれている音”だ。
次の瞬間、 白い頭が、横から吹き飛ぶ。
> ガンッ
鈍い衝撃音。 金属と肉じゃないものが砕ける音。
白い体が、俺の上からどかされた。
視界の端に、灰を蹴り上げる影。
長い棒――いや、棍棒。 焦げた鉄の塊。 それを肩に担いだ、でかい背中。
灰越しでも分かる。 こいつは、世界を焦がす側の筋肉だ。
「8年ぶりにこれかよ。 筋肉が泣いてるぞ、兄貴」
俺は床に手をつき、ゆっくり身体を起こす。 喉が焼ける。 それでも、笑いが先だった。
「……筋肉で喋るな、ヴィクター」
白い風景の中で、その名だけがやけに鮮やかだった。
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〈ロッカ記録ログ027〉 ・初外戦闘:人型AI兵器 1+3体 ・AI仕様:爆弾運搬兵の自立暴走/爆破機能は不活性/近接特化 ・戦闘所感: - 銃=牽制・軸ずらしに有効 - ダカー=関節部・首輪部への刺突で確殺 - 義手センサー=風の“空洞”と軌道予測に有効 ・体力:限界ギリギリ。三体目で背後を取られる。 ・救援:ヴィクター合流。棍棒による一撃でAI頭部粉砕。
> ――風よ、まだ俺は錆びてる。 でも、立ち直る時間はまだ残ってるらしい。




