第7章『風のない日々』(28〜36歳) P-025 胸の影 ― 誰も知らない埋葬のこと
地下の空気が、少し乾いていた。
配電区の訓練を終えて戻る通路で、
リラが工具袋を置いたまま、壁にもたれて俺を見た。
「ロッカ。少し、話がある」
その声は、
“機械の調整”の声じゃない。
“人間のほうの調整”のときの声だった。
ミカは少し離れた場所で水を飲んでいる。
聞こえるか聞こえないかの距離。
けれどリラは気にしなかった。
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リラが静かに言う。
「……あの日のこと、あなたは一度も話さなかったわね」
呼吸が止まる。
「ミラも、ルカも、タクミも。
そして……レイのことも」
義手が、わずかに震えた。
温度は一定なのに、内側だけが冷える。
「……話す必要はない」
「必要はあるわよ」
リラの目は、機械よりも鋭かった。
「あんたが黙ってる限り、
“何があったか”誰も知らない。
でも――」
その目は、痛みをよく知る色だった。
「黙っていても、
“あなたが止まってた”ことだけは分かった」
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視界の端に、
灰色の穴が四つ並ぶ、風のない広場の光景が閃く。
(……見てない。
誰も見てない。
あそこで止まったのは、俺だけだ)
耳の奥で、
ミラの笑い、ルカの声、タクミの息。
――レイの叫びだけが欠けたまま。
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リラは続ける。
「外へ出るって言葉を飲み込むたび、
胸の奥が痛んでるの、丸分かりよ」
「……違う」
「違わない。
あなた、また誰かを――
ミカを失うのが怖いんでしょう?」
その瞬間、
少し離れていたミカの手が止まった。
「やめろ」
「やめない。
あなたは“恐怖”を“判断”に言い換えてるだけよ」
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ミカが歩いてきた。
胸に風鈴の欠片を握りしめて。
「……ロッカさん」
声が震えていた。
「わたし、置いてくの?」
「違う。まだ――」
「じゃあ聞くけど」
ミカはまっすぐ俺を見る。
「なんで、わたしに訓練させたの?」
言葉が出ない。
「走って、息を数えて、風を覚えて……
“外に行くため”だと思ってた」
ミカが一歩近づく。
「違うの?」
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胸の奥が軋む。
「……違う。
お前を守るためだ。
外に出すためじゃない」
ミカの顔がくしゃりと歪んだ。
「それ……守ってないよ……!」
胸骨の裏に刺さるような声だった。
「“守る”って、閉じ込めることじゃないよ……
ロッカさん……!」
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リラが言う。
「この子はもう、守られるだけの子じゃないわ」
「分かってる!」
声が荒れた。
義手の指が震え、胸の中で詩の影が蠢く。
「でも……
これ以上、もう一人でも失ったら……
俺は……」
喉の奥で、言葉が崩れた。
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ミカが涙の声で言う。
「じゃあ……
“来るな”って言って!」
胸が止まった。
「言える?
“お前は来るな、置いていく”って……
本当に言える?」
静寂。
風も、機械も、呼吸も止まったような空気だった。
俺は――言えなかった。
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ミカはゆっくり涙を拭い、
それを答えとして受け止めた。
リラが最後に一言落とす。
「半年後。
灰針が最も弱まる日。
その日までに――
“本当に守りたいもの”を決めなさい」
ミカが義手に触れる。
「ロッカさん。
わたし……離れないよ」
その小さな温度だけが、
胸の奥の死んでいない風を揺らした。
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〈ロッカ記録ログ025〉
・リラ:俺の沈黙=喪失の未処理と指摘
・ミカ:同行意志を明確化
・自覚:“命”ではなく“存在”を守りたがっている
・課題:半年後までに答えを出すこと
・風:胸の奥で、まだ動いている
> ――風よ、逃げる言い訳を奪え。
俺に、向き合わせろ。




