P-024 沈黙の鬼 ― ミカの修行日誌(3回目)
朝の空気が冷たい。
訓練場に入った瞬間、足が勝手に止まった。
だって今日も――
いや、**今日“こそ”**あの時間だ。
(……また筋トレだよね?
あの沈黙の鬼タイムだよね?
胃がキュッて鳴ったんだけど?)
ロッカさんは、いつも通り無言で立っていた。
腕を組んで、風向を見るみたいにじっとしてる。
こっちはもう緊張で汗かきそうなのに、
あの人は“壁”か“柱”か何かなんだろうか。
「ミカ。準備」
ひと言。それだけ。
なのにもう、逃げられない。
「は、はいっ。おじ……じゃなくて、ロッカさん!」
言い慣れてない。
完全に噛んだ。
恥ずかしすぎて風で顔を隠したい。
(おじさんって言いそうになったし!
いや、まだおじさんだけど!
でも私もうすぐ十六歳になるし!
呼び方くらい大人っぽくしたいし!)
ロッカさんは特に気にする様子もなく、
訓練メニューの紙を渡してきた。
三周走 → 腕立て → 腹筋 → 体幹 → 持久走 → 風避け姿勢の維持
「……これ、昨日より増えてません?」
「必要だ」
即答。
ちょっとは悩んでくれても良くない?
---
走る。
走りながら文句を言いたいけど、ロッカさんは無言で横を走るだけ。
歩幅が無駄にキレイ。
息も乱れてない。
この人ほんとに同じ生き物なんだろうか。
(ねぇ、三回目の訓練なんだけど!?
体が持たないってば!
しかも沈黙が一番つらい!!)
腕立ての途中、肩が悲鳴をあげた。
「……もうムリ……」
「まだいける」
ロッカさんが、淡々と言う。
いや、いけないんだよ!?
いける人の目してないでしょ!?
……って思うのに、その声に逆らえない。
(ぐぬぬ……これが“軍の重み”ってやつか……
ミカ、負けない……!)
---
最後の持久走。
足がもつれそうになったところで、
横から静かな声が聞こえた。
「ミカ。息を四拍に」
「……っ、できない……!」
「できる。合わせろ」
ロッカさんが少しだけ歩幅を落とした。
合わせやすいように。
その瞬間、
(……あ、この人……優しい……)
と思ってしまった自分が悔しい。
いや優しいのは分かってるけど、
“優しい鬼”っていちばんタチ悪いよね!?
四拍の呼吸。
吸う。吐く。吸う。吐く。
ロッカさんの背中のリズムと合っていく。
気づけば、足がまた前に出ていた。
---
訓練が終わると、ロッカさんが静かに言った。
「よくやった」
たったそれだけ。
でも、胸の奥がふわっとした。
「……ありが、とう……ございます。ロッカさん」
呼び方を言いながら、
やっぱりちょっと照れた。
(“おじさん”呼びから卒業……
したはず……たぶん……
いや、でも“おじロッカ”は言いやすいんだよな……
でも怒られそうだし……
ああもう!)
ロッカさんは少し首を傾けて、
「何か言ったか」
「いえ!!なんにも!!」
---
帰り道。
脚が震える。
でも、ちょっとだけ強くなった気がした。
(沈黙の鬼ロッカさん、今日も健在でした……
でも、ちょっとだけ“味方”に見えた……気がする。)
風がやわらかい。
胸の奥の呼吸が、少し大きくなっていた。
(……四拍で息を合わせたら、風って、こんなに近くなるんだ。)




