第7章『風のない日々』(28〜36歳) P-023 地下任務の日々 ― 義手の訓練
「修行、開始ー!」
ミカがそう宣言したのは、リラが去った翌朝だった。
地下の朝は相変わらず冷たいのに、 新しい義手だけが、じんと温い。
「……修行って、何をだ」
「ぜんぶ。 外の風に負けないための“ぜんぶ”」
ミカは紙束に「修行メニュー」と大きく書いて、 その下に小さな字を詰め込んでいく。
・地下任務をする
・風の鳴る場所をさがす
・こわいって言う練習
子どもの字なのに、 どれも俺には難しい。
---
午前。 配電区画。
金属の箱が並ぶ細い通路。 ランプの列が、地下の空を真似している。
「ロッカ、ここ、電圧落ちてる」
リラが端末を見ながら言う。 ケーブルの束を指差す。
俺は義手でケーブルを持ち上げる。 金属の熱。 絶縁被覆のざらつき。 わずかな振動。
センサーが、ふっと震えを変えた。
「……ここだな」
ケーブルの根元。 目には見えない“ほつれ”。 義手は、それをちゃんと拾っていた。
「やるじゃない」
リラが短く笑い、 その部分を交換する。
ミカはその様子をじっと見ていて、 帳面に書き込む。
《配電室 “ビリビリ風” おじさん+義手で発見》
---
次は送風管。
天井を這う管の列。 地下の“風の道”。
「ここ、“鳴ってる”」
ミカがぴたりと立ち止まる。
「どこだ」
「ここらへん。 おなかが痛いときの音に似てる」
変な例えだ。 だが、義手を当ててみる。
・・ ・・
低い震え。 ほかの場所より、波が乱れている。
「バイパス側に負荷が寄ってるわね」
リラがすぐに工具を取り出し、 弁をわずかに調整する。
振動が、静かになる。 ミカがおおげさに肩の力を抜く。
「なおった。 “痛い風”から、“息してる風”になった」
義手も同じ変化を拾っていた。
(こいつの耳と、この義手があれば―― 塔の中でも、風の道を見つけられる)
そんな考えが、一瞬だけ浮かぶ。
---
午後。 避難層の白線引き直し。
古い線はかすれて、 “走らないこと”の文字も読みづらい。
「ここ、狭い」
ミカが言う。
「どこだ」
「この角。 みんな逃げるときに、ぶつかる」
義手でメジャーを押さえ、 リラが長さを測る。
「……確かに、規定ギリギリね。 ここを少し広げる」
刷毛を握る義手は、思ったより繊細に動く。
床に新しい白線が走る。 ミカはその上を、こっそり小走りしてみる。
「うん、“ぶつからない風”になった」
「風がぶつかると、どうなる」
「苦しくなるでしょ。ここ」
ミカは胸を軽く叩く。 ・・
俺の胸も、同じ場所が少し鳴る。
---
その日の終わり。 工具を片付けながら、 リラはさりげなく聞いてくる。
「どう? 地下仕事、やってみて」
「……思ったより、できる」
そう答えると、 ミカが横から口を挟む。
「おじさんね、ぜんぜん“焦げそうな顔”してなかったよ」
「焦げそうな顔?」
「外にいたときの話。 前にしてくれたでしょ? “いつも焼けるみたいな風の中にいた”って」
あれは戦場の話だ。 口にした自分が悪い。
リラは少しだけ目を細める。
「今日のあんたの顔は、ちゃんと“地下にいる顔”だったわよ」
それが、褒め言葉だと分かるまで、数秒かかった。
---
夜。 寝台の上。
送風機の音。 遠くの話し声。 子どもの笑い。
全部が、薄い壁を通って耳に入る。
ミカは帳面を膝に、 今日の“修行”をまとめている。
「えっとね…… “ビリビリ風”一個、 “おなか痛い風”一個、 “ぶつからない風”一個」
「名前の付け方がおかしい」
「分かりやすいでしょ?」
ミカは笑い、 風鈴の欠片を指で転がす。
「外に出たときもね、 “こわい風”と“生きてる風”、 ちゃんと分けたいの」
その言葉に、 喉の奥が少し詰まる。
外の風は、ずっとひとつだった。 “死ぬかもしれない風”。
本当は、違ったはずなのに。
---
「ロッカ」
扉の向こうから、リラの声。
「入るわよ」
部屋に入ってきたリラは、 工具袋じゃなく、小さな端末を持っている。
「今日一日、見てたけどね」
そう前置きして、 俺たちを順番に見る。
「ロッカ。 義手、もう“武器の手”じゃなくなってる」
胸の奥がざわつく。
「地下の仕事、ちゃんとこなした。 壊さないで、直す方に使えてる。 ミカと歩くスピードも、合わせてた」
そんなところまで見ていたのか。
ミカは、少し誇らしげに胸を張る。
「ね? 修行の成果」
「まだ一日目よ」
リラは笑ってから、 ふっと表情を引き締める。
---
「……でも、見たかったのは“そこ”なんじゃない」
俺がそう言うと、 リラはわざとらしく肩をすくめた。
「さすが。 勘だけはまだ鈍ってないわね」
端末の画面には、灰針の出力グラフ。 波形がいくつも重なっている。
「上の灰層、ここ最近ずっと荒れてた。 でもね、計算上だと―― “半年後”に一度だけ、深く沈むはず」
それは、昨日聞いた話の裏付けだ。 次の“弱い日”。
リラは画面を閉じて、俺をまっすぐ見る。
「今日のあんたを見て、やっと思えたの。 “外に出しても、まだ戻ってこられる”って」
心臓が一拍、強く鳴る。
「……判断が、早すぎないか」
「まだ“仮決定”よ。 半年あれば、いくらでもひっくり返せる」
リラは言葉を少し切ってから、付け足す。
「でも―― 今日みたいな日が続いたら、“決定”にする」
ミカが、ぱっと顔を上げる。
「ってことは…… 修行、サボれないってことだね」
「そういうこと」
---
灯りが落ちる少し前。 リラは扉の前で立ち止まり、振り返る。
「ロッカ」
「なんだ」
「昔、あんたが言ってたでしょ。 “風のせいにしたくない”って」
覚えていない。 でも、言いそうな台詞だ。
「半年後、本当に外に出るなら―― 今度こそ、誰も“風のせい”にしないようにしなさい」
そう言って、リラは出て行った。
扉が閉まる音が、小さく響く。
---
夜。
送風の唸り。 ミカの寝息。
義手のセンサーが、そのリズムを拾う。 “地下の風”の波形。
俺は胸を二度叩く。 ・・
(半年後。 次の弱い日)
頭の中で、その言葉だけが何度も往復する。
こわい。
けれど、 完全に“こわい”だけでもない。
少し、息が深くなる。
「……修行か」
小さく呟いて、 端末を開く。
---
〈ロッカ記録ログ023〉 ・地下任務開始:配電/送風管/避難路整備 ・義手:異常振動・温度変化の感知精度、良好 ・ミカ:送風管の異常を“痛い風”として先行感知 → 塔内部センサーとの類似性、仮説レベルで認識 ・リラ:灰針波形を再解析 → “半年後”の弱化日を再確認 → 本日時点で「外任務候補」として俺を観察
> ――半年後の風に負けないために。 まずは、地下の風を全部覚え直す。




