第7章『風のない日々』(28〜36歳) P-022 告げられる生存 ― 次の風が弱まる日
金属の床の匂いがまだ冷たい。
昨夜つけた新しい義手の接合部が、じん、と鈍く温い。
ミカは少し離れた机で紙束を抱え、指先でページを揺らしていた。
工具の音。
布が擦れる音。
そして――足音。
「ロッカ。起きてる?」
振り返ると、リラが立っていた。
袖をまくる癖は変わらない。
「義手の調整、見せてもらうわね」
「……ああ。頼む」
肩の接続部に触れる指は冷たい。
でも、その奥にある感情は昔のままだった。
地下に初めて落ちた日――仮の義手をつけてくれたのも、リラだった。
誰も、ミラ達の名を出さなかった。
出したら、誰かが崩れてしまうと分かっていたからだ。
今日、その沈黙がほどける。
---
調整器具の音が止む。
リラが工具を置き、深く息を吸った。
「……ロッカ。あなたに、ずっと黙ってたことがあるの」
空気が変わる。
ミカもページをめくる手を止めた。
「なにをだ」
リラは目を閉じ、
喉に沈めた“覚悟”をそのまま言葉にした。
「――カインとヴィクター。生きてるわ」
世界が止まった。
胸の奥で、義手が僅かに震える。
「……どこに」
「隣の基地。
灰針が弱まる“日”だけ、外に出て物資を調達してる。
その日しか無線が通らない。
灰層の波が、一度だけ深く沈むから」
淡々とした声の裏に、長く積もった重さが滲んでいた。
「二人とも……生きてたのか」
リラの表情が揺れた。
強いはずの女が、あの日からずっと抱えてきた痛みを隠せていなかった。
「黙っててごめん。でも……黙るしかなかったの」
---
「理由を言え」
リラは短く息を吐いた。
「――あなた、あの頃……息が消えてたからよ」
喉が詰まる。
「外に出たら、すぐ死ぬと思った。
義手も未完成だった。
灰針の弱化は本来は“周期的”に来るのに、ここしばらくはまったく来なかった。
その反動で、次の弱化は“半年後”になる。
その一度きりを、あなたの死で終わらせたくなかった」
言葉のひとつひとつが、長い時間の重さそのものだった。
ミカがそっと近づいてきた。
「……でも、いまは違うよ。
おじさん、生きてるよ。ちゃんと」
ミカの声が、胸の奥の止まっていた風を揺らした。
---
「……で、次の“灰針の弱い日”はいつだ」
リラは静かに答えた。
「――半年後。
その日に外へ出られる。
カインとヴィクターとも合流できる」
息がふるえた。
遠いと思っていた未来が、ようやく手を伸ばせる場所に降りてきた。
「準備する。全部」
ミカが拳を握り、笑う。
「じゃあ修行だね。
外の風を聞けるように、おじさんとわたし、二人で強くなるの」
リラは小さく笑い、肩をすくめた。
ほんの少しだけ、昔の“姉の顔”に戻る。
「いい顔になったわ、ロッカ。
あの頃のあなたじゃ、絶対その言葉は出なかった」
---
作業灯の明かりが、義手のセンサーを青く光らせる。
ミカの影が揺れる。
リラの深い息が落ちる。
全部が、久しぶりに“生きた音”に聞こえた。
俺は義手を胸に当てた。
金属と心臓が、同じ拍で鳴る。
半年後。
次の風が弱まる日。
その日に――すべてを取り戻す。
---
〈ロッカ記録ログ022〉
・リラより:カイン/ヴィクター生存確認
・通信可能日=灰針弱化日に限定
・次回の弱化日は“半年後”
・外へ出る準備開始
・ミカ:風の訓練開始
・自己観測:呼吸の再起動
> ――風よ、半年後の“解放”に備えろ。俺も備える。




