第7章『風のない日々』(28〜36歳) P-021 義手の温度 ― 風を感じる機械
地下の朝は静かだ。
風がない朝は、とくに静かだ。
金属の扉を叩く軽い音。
一拍おいて、声。
「開けるわよ、ロッカ」
リラだ。
扉を開けると、
工具袋を肩にかけたリラが立っていた。
今までは、会うのを避けてきた。
ミラとルカの親友――顔を見た瞬間、いろんな気持ちがいっぺんに込み上げてくるからだ。
昔より少し痩せている。
けれど、目は強いままだ。
「……元気になったって聞いたからね。
ほら。やっと出来たわよ。本物」
彼女は灰色の布に包まれた箱を持ち上げた。
動作は軽いのに、表情は重い。
その重さが、何年分なのか分かる。
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作業台に箱を置くと、
リラは息をついた。
「遅くなってごめん。
材料、足りないわ、灰針は荒れるわ……。
でも、これは妥協したくなかったの。
あんたの左手は、この形以外にしたくなかったのよ。」
ロッカの胸に、
何年も触っていない痛みがゆっくり灯る。
ミカが隣から覗き込む。
「リラさん、これ……動くの?」
リラは笑う。
昔の、優しい方の笑顔だ。
「動かすんじゃないの。
感じるのよ、ミカ。風も、温度も、人の息もね。
ロッカ、座って。つけるわよ。」
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俺は机に腰を下ろす。
リラが器具を並べる音。
地下の“機械の朝”の匂い。
肩口を露出させると、
古い傷が空気に触れて疼く。
焼けた皮膚。
焦げた断面。
あの夜の赤い風。
ミカが心配そうに指先を寄せる。
「……痛い?」
「大丈夫だ」
リラが手を止めずに言う。
「痛いに決まってるでしょ。
でも“生きてる痛み”なんだから、文句言わないの。」
その言い方が、ミラに似ていた。
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布をめくると、義手が姿を現す。
関節ごとに細い管。
基部に埋められた淡い青。
“皮膚のない腕”。
なのに、妙にあたたかい。
リラは静かに義手を肩口へ合わせる。
「……動かす前に言っとくわよ。
あんた、また勝手に外へ出ようなんて考えないで。
今度はミカもいるんだから。」
ミカがうなずく。
「そうだよ、おじさん」
金属が皮膚に触れた瞬間、
低い音が鳴る。
> カチリ。
胸の奥で、何かが揺れた。
焼けた夜の感覚。
でも今回は違う。
あのとき握っていたのは命令。
いま握っているのは、願いだ。
リラが細かく締め具を調整する。
「よし。ロッカ。ゆっくり、上げて。」
俺は義手を持ち上げる。
関節が驚くほど静かに動く。
青いセンサーが淡く点滅する。
空気の流れが伝わってくる。
温度、湿度、圧。
数字じゃない。
感覚として。
「……風だ」
リラは目だけで笑った。
「でしょ。
言ったじゃない。
あんたは機械になんてならない。
風を感じる“人”のままよ。」
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ミカが義手に触れる。
青い光が、少しだけやわらかく揺れた。
「おじさんの手、あったかいね」
俺は何も言えない。
声を出したら、壊れそうだった。
ミカは笑う。
「ほらね。
風の匂いって、“生きてる匂い”なんだよ。」
義手の振動が、
胸骨の下の鼓動とゆっくり重なっていく。
> ――風よ、いまはただ、触れさせてくれ。
風は音にならない。
けれど、返事をした気がした。
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夜。
ミカの呼吸が静かに眠っている。
義手のセンサーが、
その呼吸を拾って微かに震える。
“生きている風”のゆらぎ。
俺は金属の指で、ミカの髪をそっと撫でる。
驚くほどやさしい動き。
「……ありがとう、リラ」
小さく呟いた声が、
夜の空気に溶けた。
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〈ロッカの記録ログ021〉
・義手受領。感覚伝達成功。
・ミカ:接触時、心理安定。
・自己観測:“風”=温度と呼吸の重なり。
・結論:俺は機械ではない。
風が、まだ中にある。
> ――風よ、命令ではなく、触覚で在れ。
これが、俺の“赦し”の形だ。




