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RE:TURN ― 風よ、赦せ  作者: TERU


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第6章『静かな墓標』(26歳) P-016 絶望 ― 地下で途切れる息

灰が濃い。

朝でも夜でもない色。

匂いは鉄と焦げ。

風は、いない。


詩は、今は使えない。

使えば、命令になる。


そのかわりに、ログを残している。

「記録」が、祈りの代わりになるなら、それでいい。

願いを詠む代わりに、“覚えている”ことで守る。

生き残るための、詩の別の形だ。


俺は北へ歩く。

昨日つけた直線は、もう埋まっていた。

それでも覚えている。

足で、覚えている。


〈避難列車 No.7〉の標識は、さらに傾いていた。

矢印の先に、崩れた出入口。

地下への口。

熱で歪んだ扉が、半分だけ開いている。


息を整える。

四拍。

胸骨の裏に鍵。

詩は、使わない。


階段へ降りる。

空気が冷える。

湿度が皮膚に貼りつく。

音が吸われる。


照明は死んでいる。

懐中の円が、壁を泳ぐ。

避難誘導のピクトは、煤で黒い。

矢印だけが、かろうじて白い。


一段、降りるごとに、過去が厚くなる。

埃が靴の溝に詰まる。

呼吸が浅くなる。

心臓の音が、階段全体に広がる。


最下段。

空気の重さが変わる。

圧だ。

風がない分、圧だけが残る。


耳が拾う。

微かな布の摺れ。

人の高さ。

まだ、いる。


光を絞る。

床。

血の跡。

乾いて、黒い。

その先に、背。


「……タクミ」


弟だ。

胸に暗い花。

左脇の深い裂け。

止血の帯が、途中で終わっている。


目は開いている。

遠い。

でも、俺を見ると、少し近づいた。


「兄貴……」

声は薄い紙の音。

俺は膝をつく。

肩を支える。

軽い。

嫌な軽さだ。


「遅れた」

言葉が砂の上を滑る。

謝るための声帯は、まだ生きている。


タクミは首を横に振る。

それだけで息が荒くなる。

俺は背中に手を入れて、肺の揺れを楽にする角度を探す。

訓練で覚えた角度。

生きるための角度。


「……ミラと、レイと、ルカは」

喉が固まる。

言うな。

言わせるな。

それでも、聞くしかない。


タクミは、ゆっくりと目を閉じた。

眉の間に小さな深呼吸。

開く。

そして、ほんの少し、首を振る。


四時三分で止まった時計台が、頭の奥で揺れる。

世界が呼吸を忘れた刻限。

俺は奥歯を噛む。

詩を浮かせないように。

噛んで、沈める。


「ミカは」

絞り出す。

タクミが視線で示す。

暗がり。

布の膨らみ。


近づく。

小さな顔。

灰。

唇のひび。

胸が、弱く上下している。


「ミカ」

指で頬の灰を払う。

冷たい。

でも、温度は消えていない。

生きてる。

息がある。


抱き上げる。

軽い。

骨の形が腕に当たる。

自分の体温を、布越しに押し当てる。

俺の四拍に、彼女の息を乗せる。


「兄貴」

タクミが呼ぶ。

戻る。

片膝で、弟の前。

ミカは胸で眠るふりをしている。

眠るしかない。


「……カード」

タクミが胸元を探る。

焦げたメモリ。

縁が割れている。

塔の刻印。ARC-01。


「ルカが……拾ってた。……塔のログだ。祈りの……層が……」

言葉が切れるたび、血の味が空気に混ざる。

俺は頷く。

受け取る。

指の腹で、金属の温度を確かめる。

まだ、温かい。

弟の体温が残っている。


「読む」

短い約束。

それだけが、いま出来る戦いだ。


タクミは微かに笑う。

目尻が少しだけやわらぐ。

咳。

血。

俺は背を支え、流れを外へ逃がす。


「……兄貴」

「いる」

「怒るな。……誰も」

「怒ってる。ずっと」

「なら……その火で、照らせ。……焼くな」

弟の言葉は、いつも雑だ。

でも正しい。

昔から、そうだった。


「ミカを……頼む。……上へ」

「上は灰だ」

「……それでも、風はどっかで、息をしてる」

タクミが、俺の胸を二度叩く。

・・

帰れ、の合図。

生きろ、の合図。


「分かった」

喉が砂を飲む。

それでも、返す。

約束は、声で結ぶ。


タクミは目を細める。

遠くを見る。

その顔は、あいつの笑顔だ。

ミラが好きだった笑い方に似ている。

胸が割れる。

詩が浮く。

噛む。

沈める。


呼吸が浅くなる。

胸の上下が小さく、小さく。

時間が遅くなる。

音が消えない。

風がいないからだ。

すべてが、耳に残る。


「……兄貴」

最後の呼びかけ。

俺は額を近づける。

「いる」

タクミの唇が、ひらく。

「風を、繋げ」

それだけ。

白い息が、ふっと俺の頬を撫でた。

冷たくて、温かい。

音になりきれないまま、静かに消えた。


胸の上下が、止まる。

静かだ。

本当に、静かだ。

世界が、ひとつ分、狭くなる。


泣かない。

泣けば、詩が出る。

出せない。

俺はミカを抱き直す。

タクミの額に指を置く。

温度は薄い。

でも、まだ少し残っている。

その少しを、覚える。


「行く」

声が石段に落ちる。

音だけが残る。

俺はカードを胸ポケットへ。

心臓の上。

鼓動が金属を叩く。

約束のリズム。


通路の端。

非常口の扉は歪んで閉まらない。

隙間から、地上の灰の匂いが落ちてくる。

上へ、戻る道だ。


俺は暗がりの片側に、布と瓦礫で小さな丘を作る。

時間はない。

でも、形はいる。

帰る場所の印。

四角ではなく、丸。

風が戻ったら、なぞれるように。


名は刻まない。

命令になる。

俺は丸をひとつ、指でなぞる。

もうひとつ。

いくつも、なぞる。

誰のでもある丸。

そして、俺たちの丸。


ミカが、喉の奥で、小さく鳴く。

俺の胸に顔を押しつける。

温度が伝わる。

四拍を小さく刻む。

合わせる。

俺の四拍に、小さな四拍を乗せる。


立ち上がる。

膝が鳴る。

肩が重い。

でも、立てる。

詩は封じた。

歩幅で、進む。


階段を上がる。

地上の光は白くない。

灰色の明るさ。

天井みたいな空。

風はない。

それでも、外だ。

道がある。


入口の脇に、タクミ用の印をもうひとつ。

丸。

小さく、深く。

指先が黒くなる。

それでいい。

俺の黒で、あいつを囲う。


「……また来る」

誰に向けてでもない。

言葉は地面に沈む。

灰がすぐに覆う。

それでも、俺は覚える。

覚えることが、いまの祈りだ。


肩の上で、ミカの呼吸が少し安定する。

体重が、ほんのわずか増える。

生きてる。

この腕が、証明だ。


俺は歩き出す。

基地へ戻る。

治療、食糧、記録。

すべてが必要だ。

いまは、全部が次の一歩の燃料だ。


途中、転がる金属板に何かが刻まれている。

〈列車発車:04:02〉

時計台の針。

四時三分。

一分の差。

生と死の隙間。

喉の奥で、砂が鳴る。

噛む。

沈める。


崩れたトンネルの上で、灰が一度だけわずかに流れた。

風じゃない。

熱の収縮。

それでも、右へ。

俺は右へ一歩広く取る。

偶然でも、癖でも、道は道だ。


> 『……風よ、聴け。怒りを燃料にするな。道に変えろ。』




声にしない。

胸の中。

形だけ。

命令ではない。

祈りでもない。

願いの手前。

それでいい。


基地の廊下が見える角で、一度だけ振り返る。

地上の口。

地下の闇。

丸。

青い紐の色。

風がないのに、色だけが生きている。

色は、沈黙に負けない。


扉へ向き直る。

足を一歩。

二歩。

三歩。

四歩。

四拍で吸う。

四拍で吐く。


俺は歩く。

息で、歩く。

ミカの重みが、前へ押す。

それで、十分だ。



---


〈ロッカの記録ログ016〉

・キーワード:絶望=名を刻まない墓/託されたカード

・今日の気づき:“泣き声が出ない夜でも、四拍は道になる。”

・受領物:ARC-01メモリ(祈り層ログ)


・約束:ミカを上へ。ログを読む。記録を残す。


> ――風よ、いまは聴くだけでいい。

怒りを燃やさず、道にしてくれ。

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