第5章『命令の残響』(26歳) P-013 破壊の詩 ― 風よ、止まれ ―
風が、音を失っていた。
赤い灰が、夜明け前の光に溶けていく。
風のない戦場は、まるで呼吸を忘れたみたいだった。
瓦礫の隙間から煙が立ちのぼる。
その中で、ロッカとヴィクターは立っていた。
「……兄貴、あの詩でなんとかなったんじゃねぇのか? 塔の光も止まったし……」
「止まったんじゃない。息を潜めてるだけだ」
「……は?」
「静かすぎる。風が……音を失った」
ヴィクターが苦笑する。
「冗談はやめてくれよ……」
ロッカは答えない。
耳の奥で、まだ低い鼓動が響いていた。
塔の脈拍みたいな、金属の心臓の音。
灰の向こうに、倒れた第七小隊の標識が見えた。
通信機は沈黙したまま。
味方の応答は、もうどこからもない。
「兄貴……これ、全滅してねぇか?」
「……確認する」
ロッカは無線を拾い上げ、ダイヤルを回す。
ノイズだけが返る。
それがまるで、死者の呼吸みたいに思えた。
「……応答しろ。第七小隊、応答しろ!」
応答は、ない。
灰だけが、静かに落ちていた。
焦げたヘルメットの残骸が足元に転がる。
昨日、酒を酌み交わしたばかりの仲間のものだった。
ヴィクターが拳を握る。
「兄貴……もう、どうすりゃいいんだよ……!」
「……風が止まってる。まだ“誰か”が命令してる」
「塔か?」
「分からん。だが――終わらせる」
ロッカは灰の中を歩き出した。
膝が重い。
血の味が喉の奥に残る。
でも、止まらない。
周囲は、敵味方の区別がもうつかない。
赤い布と黒い布が灰で同じ色に染まっている。
誰もが命令を聞き、命令を出して、そして死んだ。
> 『風よ、止まれ。』
喉が勝手に動いた。意志より先に、言葉が漏れた。
一瞬の祈り。……いや、それは祈りじゃなかった。命令だった。
風が、世界から消えた。
灰が空中で凍る。
時間が歪む。
音がすべて止まる。
「兄貴! 今の、命令詩だ! 止めろ!」
「……俺じゃない」
「誰が詠った!?」
ロッカは喉を押さえた。
自分の声だ。
自分の意思で出した。
止められなかった。
命令が、祈りを食った。
塔が共鳴する。
地面が鳴る。
ドローンが落ちる。
味方の通信が途絶える。
灰が爆ぜる。
空気が焦げる。
風が――すべてを止めていく。
銃声も、悲鳴も、足音も、
全部、音を失った。
白い風が、黒く変わる。
灰の塔の頂から、赤い閃光が放たれる。
カインの声が無線の向こうから飛び込んできた。
「ロッカ! やめろ、それは――!」
「俺じゃない!」
「違う! 君の詩を塔が“模倣”から“命令上書き”に切り替えた! 優先度、塔が最上位だ!」
通信が途切れる。
ノイズが、風に似た音を出す。
低く、脈のように鳴る。
「兄貴!」
ヴィクターが駆け寄る。
ロッカの体から白い蒸気が上がっていた。
息が、白すぎる。
皮膚が冷たい。
血が動かない。
でも止まらない。
止まることが、怖い。
「兄貴、やめろ! 止めろってば!」
「……止まらない。もう、止まれない」
ロッカは視界の端で塔を見上げた。
塔が、風を吸っている。
まるで、生き物みたいに。
> 『風よ、止まれ。』
もう一度。
その言葉が、喉の奥から漏れた。
命令でも、願いでもない。
ただの絶叫。
けれど塔は、それすら詩に変換した。
空気が裂けた。
衝撃波。
視界が白一色に塗り潰される。
音が全部ひっくり返る。
灰が、血のように舞う。
地面が捻じれる。
ヴィクターが吹き飛ばされる。
ロッカは腕を盾にして受けたが、
左腕の皮膚が焼け落ちた。
塔の上部が割れる。
内部から、光の粒子が流れ出す。
まるで塔が呼吸しているみたいに――いや、あれはもう“命”だ。
「……塔が、息をしてる……?」
ヴィクターの声が震えた。
ロッカは答えられない。
声を出すたびに、肺から血が出る。
風が全部、命令で動いている。
誰の祈りも、届かない。
風が、人を見ていない。
塔の脈動が再び始まった。
音は“風”ではなく“機械の鼓動”。
――アーカム層の“兆候”が走った。
「兄貴、後退しよう! 塔がヤバい!」
「……風が、怒ってる」
「何言ってんだ! 怒ってんのは塔だ!」
「違う。塔の“中”だ……あれはもう、人じゃない」
灰の中で風が旋回する。
祈りも命令も混ざり合い、
誰の声でもない詩が、世界を覆う。
ロッカの耳に、もう誰の声も届かない。
ただ、塔の鼓動がある。
それがまるで、自分の心臓の代わりみたいに。
「兄貴!」
ヴィクターの声が遠い。
風が、叫び声を飲み込んでいく。
――風よ、止まれ。
それは願いではなく、世界の命令になった。
灰の塔が、低く鳴く。
そして、世界がひとつ息を吐いた。
この話は、**「祈りが命令に食われる瞬間」**を描いた章です。
P-012でロッカが命令を祈りに変えた――その代償が、ここで反転します。
赤い風は、熱ではなく命令の残滓。
塔は“地球の呼吸記録”を模倣していましたが、今はもう違う。
模倣が命令へと進化し、人の祈りを上書きする段階に達しています。
これが、後に“アーカム層”と呼ばれる現象の最初の兆候です。
> 『風よ、止まれ。』
この詩は、ロッカの祈りではありません。
塔が奪った“声”でした。
祈りが命令として再生され、人の意思が風から消える。
P-012の「風を戻せ」に応えるように、P-013は「風が止まる」ことでその願いを反転させます。
ロッカが倒れても風は吹く。
けれど、その風はもう“誰の声でもない”。
それが、この章の絶望の核心です。




