第4章『灰の戦火』(26歳) P-012 戦場の風 ― 赤い空と祈りの限界 ―
風が重い。
音が、粘る。
灰の空が溶けて、昼も夜も分からない。
それでも、戦は続いていた。
耳の奥で爆音が止まらない。
鼓膜の奥で、自分の脈が鳴っている。
カインの声が通信越しに届く。
「ロッカ、北壁が崩れた。救援に向かえ」
「了解。ヴィクター、行くぞ!」
「了解兄貴! 今日は派手に行くぜ!」
「焦げるな」
「焦げてもウマい焦げになる!」
砂煙の中を走る。
崩れた街。
瓦礫の下に、人の声。
誰かが泣いてる。
誰かがまだ、生きてる。
鉄骨をどけようとした瞬間、
灰が光った。
赤い。
熱じゃない。
「詩構文の残留熱だ!」とカインが叫ぶ。
「触るな、反応中!」
「遅い!」
爆風。
耳が消えた。
光と灰の海。
息が奪われる。
肺が冷たい。
空気が針みたいに入ってくる。
目を開ける。
空が、赤い。
本当に、赤い。
血ではない。
風が、燃えていた。
ヴィクターの声が割り込む。
「兄貴! 無事か!」
「……生きてる」
「カイン、敵詩構文が再起動してるぞ!」
「認識済み。だが……おかしい」
「何が」
「構文に“声”がない」
一瞬、風が止んだ。
命令詩は、常に“誰か”の声を必要とする。
だが今、聞こえたのは無音の詩。
言葉のない命令。
まるで風が“声のない夢”を見ているようだった。
「誰が詠ってる……?」
「分からん。命令だけが残ってる。AI制御だ」
「塔か?」
「まだ断言できない。だが、塔が“呼吸”を狂わせている可能性がある」
背筋が冷える。
風が、赤く滲む。
塔の上部、光が断続的に瞬いている。
「風が反応してる……塔が呼吸してるのか?」
カインが小さく答える。
「違う。塔が“呼吸を模倣している”んだ」
「本物の呼吸じゃない。過去ログの模倣だ。
記録を繰り返してるだけなのに、まるで生きてるように見える。」
ヴィクターが息を吐く。
「兄貴、嫌な予感しかしねぇな……」
「行くぞ。残りの救援がいる」
「了解!」
灰の中を駆け抜ける。
風が、刃みたいに顔を裂く。
一歩踏み出すたびに血の味が増える。
でも、止まれない。
この“風”は、命を運ぶための道だ。
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北壁。
崩壊。
残ったのは瓦礫と火。
そして、仲間たちの残骸。
膝をついた。
鉄骨の下で、腕が見える。
ヴィクターが無言で掘り出す。
「……ケイルだ」
無線士。昨日まで一緒に笑ってた。
焦げた端末が隣に転がっている。
“風よ笑え”のメモが貼ってあった。
「兄貴……」
「動くな」
「でもよ」
「動くな、ヴィクター」
「……はい」
胸が痛い。
息を吸うたびに肺が焼ける。
吐くたびに灰が混ざる。
でも、手は止まらない。
カインの通信が入る。
「ロッカ、退避だ。詩密度が限界値を超えている」
「まだ仲間が残ってる」
「命令だ、下がれ!」
「命令……か」
少しだけ、笑った。
カインが息を呑む音。
「今のは違う。俺は――」
「分かってる」
> 『風よ、ここを抜け。
この灰を、祈りに変えろ。』
風が渦を巻く。
瓦礫が少しずつ持ち上がる。
下から、呻き声。
生きてる。
ひとり。
両腕で引き上げる。
灰が肩に積もる。
鉄が焼ける音が遠くで響く。
「兄貴!」
ヴィクターが走ってくる。
彼が背を支える。
瓦礫の下から出た男の顔は、
血まみれで、でも笑っていた。
「助かった……」
「もうしゃべるな」
「……風が、笑ってるな」
「……ああ、そうだな」
その声が途切れる瞬間、風が止んだ。
ヴィクターが怒鳴る。
「なんで笑うんだよ! なんで皆……!」
ロッカは黙って灰を払う。
風が、赤から白に変わりかけて、また赤に戻る。
命令詩の残滓だ。
誰かがまだ詠っている。
どこかで。
「兄貴、あれ見ろ!」
ヴィクターが指差す。
遠くの塔。
灰の海の中で、光の筋が伸びている。
それはまるで――“詩を上書きしている”みたいだった。
カインの声が緊張で硬い。
「塔が……詩構文を解析してる。
誰の祈りも、命令に変換してる」
「どういうことだ」
「“風を制御する”じゃない、“風の記録を上書きしてる”」
「塔が、風を……支配じゃない、上書きしてるのか……」
ヴィクターが銃を構える。
「撃って止まるもんか?」
「やめろ、撃つな!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ兄貴!」
「――願え」
立ち上がる。
喉が焼けてる。
詩を詠むだけで、血が上がる。
それでも、言う。
> 『風よ、戻れ。
命令じゃなく、声で吹け。
祈りを、思い出せ。』
風が泣くように唸った。
灰の粒が一瞬止まって、また流れ始める。
赤と白が混ざり、紫の筋ができた。
塔の光が、一拍だけ揺らぐ。
カインが息を呑む。
「反応した……構文の優先順位が下がった……!」
「一瞬でもいい。これで、繋がる」
「ロッカ、それは――危険すぎる!」
体温が急速に落ちていく。
視界が狭くなる。
指が震える。
でも止めない。
願いが、まだ残ってる。
体温三十五・〇。優先順位を下げるたび、代償が増える。
塔が返した“息”のぶんだけ、彼の体から熱が抜けた。
ヴィクターが横で叫ぶ。
「兄貴、もうやめろ! 白い息が出てる!」
「もう少しだ……風が……戻る……」
「兄貴!!」
カインが無線越しに叫ぶ。
「風を殺すな!!」
「殺してねぇ……生かしてる!」
その瞬間、
塔の脈動が止まった。
音が消えた。
風も。
一拍の沈黙。
次の瞬間、風が爆ぜた。
灰が吹き飛ぶ。
音が戻る。
呼吸が戻る。
カインの声。
「反応消失……ロッカ、成功だ!」
「塔の呼吸、安定!」
「風が――戻った!」
ヴィクターが息をつく。
「兄貴、やったな……」
俺は膝をつく。
指先が白い。
体の芯が冷たい。
でも、風の中に少しだけ青が見えた。
それで、充分だった。
「兄貴、立てるか?」
「……まだ立てる」
「焦げコーヒー飲ませてやる」
「やめとく」
「ひでぇ!」
カインが笑った。
その笑いが、どこか懐かしかった。
風が吹く。
赤の混ざった風。
それでも、少しだけ優しい。
> 『風よ、まだ笑えるか。
俺たちは、まだ生きてる。』
塔の光が一度だけ瞬いた。
まるで答えるように。
その瞬間――。
地平の向こうで、低く不気味な音が響いた。
ドローン群の音。
そして、塔の奥底から、もうひとつの“呼吸”が返ってきた。
それは、
まるで誰かが“命令の練習”をしているような呼吸だった。




