第4章『灰の戦火』(26歳) P-010 開戦 ― 灰の風、赤に染まる ―
サイレンが鳴る。
赤い灯が回る。
空はまだ灰色。
けれど、匂いが違う。
鉄と火薬と、遠い血の匂い。
「全隊、塔防衛線へ!」
通話が弾む。
指が冷える。
息が浅い。
それでも歩く。
カインが隣に並ぶ。
端末を首から下げ、いつも通りの声で言う。
「風向、北東三十五。温度二十。湿度四十。」
「体感は」
「硬い」
「同意。――戦風だ」
ヴィクターが肩を叩く。
「兄貴ぃ、やっと暴れ時か!」
「暴れるな。守れ」
「守るために暴れる!」
「頭を使え」
「筋肉も使う!」
カインが咳をひとつ。
「君らの議論は毎回不毛だ」
「楽しいからいいんだよ先生!」
「先生ではない」
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塔脚へ向かう搬入路。
鉄骨の匂い。足音が反響する。
壁の標語が剥がれていた。
〈詩は祈り〉――線で消され、その上に書かれている。
〈詩は兵器(命令詩)〉
喉が、渇く。
地上へ出る。
灰が降る。空は低い。
塔〈ARC-01〉の外壁が青く脈打っている。
(塔の“心拍”は風色を吸い取ってしまう)
それは、まるで生きているみたいで――嫌な鼓動だった。
無線が弾む。
「第三連盟、東側から接近!」
「旧北方群、南から砲列!」
「詩構文、各国交戦状態!」
誰も止めようとしない。
命令が風より早く飛んでいく。
ヴィクターがつぶやく。
「兄貴、敵も味方も、全部混ぜ鍋だな」
「塔が主戦場だ」
「うわ、うまそうに言うなよ」
「うまくはない」
「食えるのは焦げだけか」
「静かに」
カインが指を立てる。
「風が跳ねた――始まるぞ」
轟音。空が裂ける。
初弾。
砲煙と灰が混ざり、世界の角が崩れる。
心拍が速くなる。
四拍に戻す。
吸う。吐く。吸う。吐く。
> 『風よ、流れを寄こせ。
味方の肺へ、先に入れ。』
息が軽くなる。
後列の兵の肩が下がる。
視線が前へ集まる。
カインが端末を見た。
「酸素分圧、零点二%上昇。君の祈りだ」
「願いだ」
「表現は任せる」
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黒い粒の群れ。敵ドローン。
低い羽音。血を知らない音。
ヴィクターが銃を構える。
「兄貴、右へ三、下に一!」
「了解」
引き金。
金属が割れる。風が弾道を撫でる。
二体、三体、落ちる。
「前へ!」
瓦礫の筋を進む。塔への接近路を確保するのが任務。
塔は、誰の物でもない。
けれど、誰もそうは思っていない。
風の所有権を争う、みっともない戦だ。
左翼の兵が膝を折る。灰が跳ねる。
「立て!」肩を貸す。
息が荒い。
「息が、重い……」
> 『風よ、肩を軽く。』
体重が半分になる。
兵が立ち上がり、走る。
「助かる!」
「走れ!」
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遠くで命令詩。
『風よ、裂けろ』
空が赤く割れ、風が血の味になる。
カインが舌打ち。
「命令詩、構文が硬い」
「止められるか」
「無理だ。避けろ!」
瓦礫の影へ滑り込む。
爆光。熱が背を舐める。
灰が雪みたいに降る。
でも、甘くない。舌が鉄になる。
> 『風よ、残れ。
俺たちの耳に、道の形を。』
爆音の余白が細い線になって立ち上る。
「角度三、距離十」
「了解!」
ヴィクターが跳ねる。
身体が軽い。筋肉が笑う。
こいつは戦場で生きてる。
塔の外壁が近い。
青の脈が赤に混ざる。
塔が苛立っている。
誰の声も、好きではないみたいに。
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無線。
「南側崩れ! 第二中隊、押し返せ!」
「北側、詩衝突! 空気が死ぬ!」
「医療搬送ルート確保!」
音が多すぎる。息が浅くなる。
寒い。指先が白い。
季節じゃない。代償だ。
詩を使いすぎて、体温が落ちていく。
カインが俺の手首を取る。
「白い息が出てる。下げろ」
「まだ行ける」
「ロッカ、命令の匂いが混ざってる。線を守れ」
「分かってる」
「願いで止めろ。命令で壊すな」
「……ああ」
(命令は世界を固める。願いは世界をほどく)
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ドローンが壁の影から湧く。
数が多い。
ヴィクターが罵る。
「クソ、多すぎる!」
「下がるな。俺がやる」
「兄貴、詩は抑え――」
「分かってる」
吸う。吐く。
喉の奥で震えが起きる。
命令にならないよう、短く願う。
> 『風よ、逸れろ。命令に触れるな。』
弾道の前に薄い膜。
刃が空を切り、角度が一度ずれる。
撃つ。落ちる。
金属片が雨になる。
膝が揺れる。背骨が冷たい。
熱が風に持っていかれる。
でも止めない。止めたら誰かが倒れる。
カインが計測する。
「ロッカ、体温三十四・九。限界だ」
「まだ二は使える」
「一でも多い」
「前へ出る。塔脚の門を閉じさせない」
「……分かった。ヴィクター」
「了解、先生!」
「ロッカが言葉を出したら、すぐ肩を貸せ」
「いつでも貸すよ。俺の肩、摩耗してるけど!」
「冗談は有効だ。士気が上がる」
「俺の士気は常にMAX!」
「騒ぐな」
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塔脚前。
重機の残骸。命令で積まれ、命令で忘れられた山。
そこに、人影。旧北方群の兵。
俺たちと同じ年頃。
銃口がこちらを向く。
互いに止まる。風が間で躊躇する。
「降ろせ」
兵は震える。
無線が割り込む。
『撃て』――どこの声かも分からない命令。
指が動く。俺も引き金に触れる。
ヴィクターが一歩出た。
カインが叫ぶ。
「やめろ!」
> 『風よ、止めないでくれ。』
危うい。命令に近い。
でも、言ってしまった。
風が間に入る。弾が逸れる。
一秒の静止。兵が銃を下げる。
「……通れ」
「生きろ」
ヴィクターが笑う。
「兄貴、あんなん好きになるに決まってんだろ。生かす方」
「俺は兵だ」
「兵の前に、人だ」
カインが短く言う。
「進め。感傷は帰ってから」
「了解」
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塔脚の門。護衛隊。
「ロッカ? お前生きてたか!」
「まだな」
「詩が飛び交ってる、空気が死ぬ!」
「門を閉じるな。避難民が来る」
「命令は閉鎖――でも、分かった。五分だけ開ける」
「十分頼む」
「五分だ!」
「後方、今だ。走らせろ!」
「了解!」
灰の中から人の列。押し車、赤子。
誰かの家族。守る形。
ヴィクターが叫ぶ。
「道空けろ! 右寄せ!」
カインが風を読む。
「呼吸は四拍。そう、合わせて!」
> 『風よ、連れて行け。
この列だけ、前へ。』
風が線になり、人が渡る。
足音が揃う。呼吸がひとつになる。
門が軋む。あと三十。二十。十。
最後の押し車が段差で跳ねる。
駆けて前輪を持ち上げる。
中には老人。生きてる。
門が閉まる。鉄の音。
息を吐く。白い。寒い。
膝が抜けそうになる。
ヴィクターが肩を差し出す。
「兄貴、はい肩」
「借りる」
「いくらでも貸す」
カインが額に手を当てる。
「三十四・六。限界だ」
「まだ二が残ってる」
「ゼロに近い。次を使うなら戻れなくなる」
「戻る」
「約束だ」
「約束する」
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空が鳴る。
東の地平。黒い雲。
違う。ドローンの群れ。
形が整いすぎている。
誰かが指揮している。
どちらの軍でもない。
鳥肌。風が死んでいる。
ヴィクターが目を細める。
「兄貴、風が嫌がってる」
「知ってる」
カインが顔をしかめる。
「詩信号、帯域外。誰の言葉でもない構文だ」
「塔か」
「断言はできないが、悪い“学習”の匂いがする」
「今は、目の前だ」
灰針の雨。
喉が痛い。肺が擦れる。
人が咳き込む。
俺は前へ出る。ヴィクターが並ぶ。カインが風を切る。
> 『風よ、丸く。
棘を、鈍く。』
針が鈍る。落下角が甘くなる。
それでも降る。体温が下がる。歯が鳴る。
視界の端が白い。
ヴィクターが吠える。
「来いよ! 焦げにしてやる!」
「焦がすな、削れ」
「焦げは正義!」
「黙れ」
「はい!」
笑う。笑って、少し暖かくなる。
最後尾が通る。
門の内から「ありがとう!」
知らない顔。生きた目。
頷く。言葉はいらない。
今日の任務は“通した”こと。
それでいい。
門が閉まる。外に残るのは俺たち。
空が暗い。塔の鼓動が荒い。
戦場の音が風の代わりに世界を満たす。
カインが言う。
「撤退線へ下がる。潮が変わる」
「まだ押せる」
「押せない。詩の密度が上がる。命令の匂いだ」
胸が痛む。
『止まれ』――あの夜の言葉。
言ってはいけない。
絶対に。
唇を噛む。血の味。忘れない。
ヴィクターが背を叩く。
「兄貴、帰ったら焦げコーヒーだ」
「飲まない」
「飲め」
「少しなら」
「やった!」
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退く。四拍。四拍。
灰の匂いを肺の手前で止める。
体温が戻らない。指が痺れる。
背後で爆光。振り返らない。
生きた。それでいい。
風が鉄の味になっていく。
命令の風。誰かが詩を硬くしている。
カインが短く言う。
「報告書を書く。ロッカ、使いすぎだ」
「知ってる」
「次は減らせ」
「減らす」
「約束しろ」
「約束する」
ヴィクターが割り込む。
「兄貴は約束破らねぇよ。俺が保証する」
「君が保証すると不安だ」
「なんでだよ!」
「実績だ」
「ぐぬぬ」
笑う。笑って、息が戻る。
白い息が透明になる。
塔の影が伸びる。夕方の色。
今日の風の色。
> 『風よ、覚えておけ。
通した列の呼吸を。』
(軽い言葉ほど、遠くへ届く)
願いは軽い。
だから届く。
命令にならない限り。
夜が落ちる。
塔の光が赤く染まる。
戦争の色。
でも俺の中の青は、まだ消えていない。
消させない。
明日も歩く。
願いで。
息で。
手で。
そして――まだ人で。




