7.ずっと欲しかった言葉
「え、え、え、エヴェリーナッ!?」
「ごめんなさい……。ですが、わたくし……」
ジェラルドは目に見えてうろたえていた。
エヴェリーナはそれを申し訳なく思いながらも、後から後から勝手にあふれ出す涙は止められない。
(人前で、こんなふうに泣くなんて)
己を叱咤し、歯を食いしばって我慢しようとしても無駄だった。
それでエヴェリーナは泣きやむのを早々にあきらめて、涙が流れるに任せることにした。
淑女にあるまじき、みっともない振る舞いだとは思う。
けれど今は、幼い子どものように素直に自分の感情に従いたかった。ジェラルドのくれた言葉を噛み締めていたかった。
『俺には、お前のことを気にかけてやる義務がある』
(……今まで誰も、気にかけてなんかくれなかったのに……)
両親を亡くしてからずっと、エヴェリーナはたった一人で戦い続けた。
愛する弟だけは側にいてくれたものの、彼はエヴェリーナにとって全力で庇護すべき相手。頼ることなどできるはずもなく、むしろ弟が不安がらないよう、「強い保護者」を演じるのに必死だった。
(ずっと一人きり、気を張って生きてきた――)
きっと今の自分の顔はぐちゃぐちゃで、見られたものでないに違いない。
それでもエヴェリーナは泣き濡れた顔を上げ、まっすぐにジェラルドを見上げた。どれだけみっともなくても、この上もなく優しい言葉をくれた彼に、感謝の気持ちを伝えたかった。
たとえ雇用主の義務なだけだとしても、己の騎獣であるライオネルのついでだとしても、エヴェリーナははっきりと嬉しかったのだ。
胸に手を当て、心からの笑みをふわりと浮かべる。
「……っ」
「ありがとうございます、ジェラルド殿下」
ジェラルドは真っ赤になっていた。
きっとジェラルドの側にいくらでもいる、育ちが良く美しい令嬢たちとは大違いで驚いているのだろう。
いい年をしてドレスや化粧で着飾ることもせず、子どもみたいに大泣きをして、騎獣舎で働きたがるような変わり者の女。
それなのに、ジェラルドは自分の望みを叶えてくれた。
大好きなライオネルの側に置いてくれた。
憧れていた空に連れて行ってくれた。
それだけでも充分すぎるほどだったのに、胸が震えるほど温かな言葉までくれたのだ。
エヴェリーナ自身にも自覚がなかったけれど、ずっとずっと誰かに言ってほしかった言葉を。
「……嬉しい、です。殿下に気にかけていただけるなんて――……わたくし、世界一の果報者になったみたい」
泣き笑いで告げて、エヴェリーナは深々と頭を下げた。また一筋、涙がこぼれ落ちた。
「……これを」
低く押し殺した声に、エヴェリーナは顔を上げる。
しかめっ面のジェラルドが、ハンカチを差し出してくれていた。おずおずと受け取って、エヴェリーナはハンカチを目元に押し当てる。
「申し訳ございません……。このような、子どもじみた振る舞いを」
「別に構わない」
ジェラルドが怒ったみたいな早口でさえぎった。
エヴェリーナが驚いてジェラルドを見つめれば、ジェラルドはバツが悪そうに目を逸らす。
「泣きたいのなら、泣けばいい。疲れたなら俺やライオネルに寄り掛かればいいし、笑いたくないときには無理して笑うことはない」
「…………」
「お、俺はお前の主人だからな。俺に一切の遠慮は必要ない。……あ、だがディルクは違うからな。ディルクにはきちんと線引きして遠慮するように!……俺と、それからライオネルにだけだ。お前が好きにわがままを言っていい相手は」
言葉を失うエヴェリーナに、ジェラルドはぶっきらぼうに告げる。
(わがままを、言っていい……)
エヴェリーナは考え込み、小さく首を傾げた。目が合った瞬間に、どうしてだかジェラルドがまた赤くなる。
「な、なんだ。早速何かあるのか。構わんから言ってみろ」
「う、はい……。その、あの、わたくし……」
チラッと物欲しげに空を見上げれば、ジェラルドはすぐさま理解した。ははっと声を上げて笑い出すので、エヴェリーナは恥ずかしくなってしまう。
「こ、このようなお願い、厚かましいとは重々承知しているのですけれど」
「気にするな。わがままを言えと言ったのは俺の方だ」
――ライオネル!
ジェラルドが空に向かって叫ぶと、ライオネルはすぐさま気がついた。
地上の二人に向かって一直線に降下して、地面にたどり着く寸前にスピードをゆるめてふわりと着地する。大きな翼から風を受け、エヴェリーナの胸がわくわくと高鳴った。
「ロープを取ってくる。少しだけ待っていろ」
「――あ、あのっ!」
騎獣舎に取って返したジェラルドに、慌てて手を伸ばす。
手と手が軽く触れ合う。ジェラルドの端正な顔立ちに似合わぬ、騎士らしいごつごつとした固い手だった。
「ジェラルド殿下。きっと殿下が思われるよりずっと、空を飛ぶのはわたくしにとって特別なことなのです」
エヴェリーナは興奮に頬を染め、花が咲いたように微笑む。
ジェラルドをつかむ手に、ぎゅっと力が入った。
「本当に本当に、大切な夢だったのです。殿下のお心遣いに報いるすべは、今のわたくしにはないかもしれません。それでも必ずや、この大恩を返してみせます。ですからどうぞ、わたくしに何かできることがあれば――……」
「でっでっでっ、できることならあるっ! ロープを取ってくるから、今すぐに手を放してくれないかっ!」
「……まあ。そうでしたわね」
エヴェリーナはおっとりと笑って、照れたみたいにジェラルドの手を放した。「ロープならわたくしが取ってきますわ」と、弾む足取りで騎獣舎へと駆け出した。
うきうきと急ぐエヴェリーナの背後から、「笑うなライオネル~ッ!」というジェラルドの怒声が響いてきた。
(……まあ? ライオネル様も笑うのね!)
それはエヴェリーナだって、ぜひとも見てみたい。
次のわがままはそれにしてみようかしら、なんて、エヴェリーナはのんきに考える。
足が軽い。
まるで自分にも羽が生えたかのように、どこまでも飛んでいけそうな気がした。




