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6.エヴェリーナの涙

 沈み込むジェラルドをよそに、二人は楽しげに会話を続けている。


「エヴェリーナ嬢のお父上の騎獣は、かなり小柄でしたからね」


「ええ、ですがプクリエーヌは力持ちでしたわ。いつもお父様……立派な成人男性を背に乗せて、軽々と運んでおりましたもの」


 ……プクリエーヌ。

 それがエヴェリーナが初めて恋に落ちた騎獣の名か。


 嫉妬に胸が焦がれそうになり、ジェラルドはライオネルのやわらかな巨体に寄り添った。

 ライオネルもきっと、自分と同じ焦燥を感じているに違いない。そう思ったからだ。


『フガァ~……』


「…………」


 しかし案に相違して、ライオネルはゆうゆうとあくびをしていた。

 その余裕たっぷりの様子にジェラルドは絶句する。ライオネルはフンと鼻息を吐くと、悠然とした足取りで動いた。


「きゃッ、ライオネル様? ふふっ、重いですわ」


『グルルル~』


「やあ、飽きたのかもしれないな。すまんライオネル、すぐに準備するから待っていてくれ」


 ライオネルがエヴェリーナにじゃれつけば、慌てたようにディルクがエヴェリーナから離れていく。ギデオンに手早く馬具を装着するのを眺め、どうだ、と言わんばかりにライオネルが振り返る。


 その得意気な顔に、ジェラルドは思わず噴き出してしまった。

 まるで重石が取れたように、心が一気に軽くなる。


(そうだ。今さら一体何を焦る必要がある?)


 自分はエヴェリーナの初恋の騎獣どころか、ライオネルにだって大きく遅れを取っているのだ。不利な場所からスタートしたならば、これから巻き返しを図ればいいだけだ。


「……これでよし、と。いかがですか団長、それにエヴェリーナ嬢?『威風堂々』とはギデオンのためにある言葉だと思いませんか?」


 馬具を付けたギデオンが、翼を閉じたままゆっくりと立ち上がる。

 満足気な主人と、大興奮で拍手を送るエヴェリーナを見比べて、鼻の穴を膨らませた。牙をむき出しにしたその顔は怒っているように見えるが、ディルク曰く「満面の笑み」を浮かべているだけらしい。


 ギデオンは胸を膨らませると、大きくいなないた。


『ポォォォォウッ』


 その巨体と馬のような見目に反して、ギデオンは鳥のさえずりのような声で鳴く。

 待ちきれない様子で足踏みするギデオンを、ディルクは笑いながら騎獣舎の外へと誘導した。


 外に出た途端、ギデオンは朝の空気を腹いっぱい吸い込んで、再び轟くように雄叫びを上げる。


『ポォォォウ――……ッポケキョッ!!』


「はあ……素敵なお声です」


 エヴェリーナがうっとりとつぶやいた。そうか?とジェラルドは密かに首をひねる。


『ガウ~ッ』


「まあ、ふふ。もちろんライオネル様のお声だって素敵ですわ」


 わざとらしく声を上げるライオネルに、エヴェリーナがくすくす笑った。

 ライオネルは鷹揚に頷くと、空中に飛び立ったディルクとギデオンを見上げる。目顔でジェラルドに問いかけるので、ジェラルドは少し考えてその背中を軽く叩いた。


「先に行け。俺が呼ぶまで空で遊んでいるといい」


『ガウッ!』


 ライオネルも地を蹴って、瞬く間にギデオンの隣に並んだ。

 対抗心がむき出しなのがおかしくて、ジェラルドは思わず頬をゆるめる。


『ガウ、ガルルル~ッ』

『ポケキョッ! ケキョケキョッ!!』


 空を飛びながら二匹で鳴き声の応酬だ。

 普段は澄まして互いの存在を無視しているくせに、エヴェリーナが関わるとこうも変わるのかと感心してしまった。


「お二方とも、本当にお可愛らしいです。騎獣はみな……愛すべき存在ですね」


 エヴェリーナも目を細めて二匹を見上げていた。

 そのどこか寂しそうな横顔に、ジェラルドの胸がざわつく。どうしたのだと尋ねようとした瞬間、はっと思い至った。


(……そうだ。主が死ねば、騎獣もまた――)


 エヴェリーナの父親が亡くなったのは八年前。

 父親を喪うと同時に、エヴェリーナは最愛の騎獣までも喪ったのだ。


 ジェラルドは絶句して立ち尽くす。


 こんなとき、うまい慰めの言葉ひとつ思いつかない。

 けれどエヴェリーナに悲しい顔のままでいて欲しくなくて、ジェラルドは懸命に声を絞り出す。


「……お父上の、騎獣は」


「え?」


 はっとこちらを向いたエヴェリーナと、まっすぐに目を合わせた。


「お父上の騎獣は……幸せだったと思う。これほどに長い年月が経っても、こうして懐かしんでくれる者がいる。悼んでくれる者がいる。お前の優しい想いはきっと――かの遠き天の国にだって届いているはずだ」


「…………」


 エヴェリーナの瞳がみるみる潤んでいく。


 慌てたようにうつむき、せわしなく目元をぬぐった。耳が赤い。ジェラルドはぼんやりと、エヴェリーナの小さな耳を眺め続ける。


「……ありがとう、ございます」


 ややあって、エヴェリーナがささやくように告げた。

 はにかみながら上げた顔に、涙の跡はもはやどこにもない。


 エヴェリーナは一人で泣きやめる女なのだ。彼女の強さが眩しくもあり、寂しくもあった。

 もっと自分に甘えて頼ってくれたらいいのに。ジェラルドは強くそう願う。


「……無理はするな。遠慮せず、全身全霊で俺に寄り掛かるといい」


「はい?」


(っていかん勝手に口から漏れ出てたぁっ!?)


 まだ出会って間もないくせに、「寄り掛かるといい」など馴れ馴れしいにもほどがある。……気持ち悪い、とでも思われたらどうしたらいい?

 ジェラルドはその場に崩れ落ちそうになった。


 案の定、エヴェリーナは驚いた様子で目をまんまるにしている。

 真っ赤になって、ジェラルドはしどろもどろで言い訳する。


「いやあの、そう、俺はライオネルの主人なわけで、そしてお前は、ライオネルの専任の世話係なわけで、そうだろう間違いないなっ?」


「は、はい。そうですが」


「だったらあれだ、つまりはあれだ、俺はお前の主人の主人なのだ。だから俺には主人として、ライオネルと同じくらいお前のことを気にかけてやる義務があるわけだっ」


「…………」


 一息に告げれば、エヴェリーナが呆けたように立ち尽くした。穴が空くほどジェラルドを見つめ、それきり何の言葉も発しない。


(駄目だ、誤魔化せなかったか……!?)


 居心地が悪くなるほどに、長い沈黙が場を支配する。


 おろおろと空を見上げるが、ライオネルは遥か高みで楽しそうに飛び回っているばかり。

 こちらの事態に気づいていないのは明らかで、ライオネルの助けは期待できそうにない。主人のピンチに少しも気づかないとは何事だ、と理不尽と知りつつ心の中でライオネルに八つ当たりする。


「わたくしを……きに、かけてくださる?」


 やがて、エヴェリーナの口からぽつりと言葉が漏れて、ジェラルドははっとした。


「エヴェリーナ?」


 その唇も指先も、小刻みに震えているのに気がついた。ジェラルドは驚き、考える間もなくエヴェリーナの華奢な肩へ手を伸ばす。


 今にも触れそうなぐらい近づいた瞬間。

 エヴェリーナの両の瞳から、突然ぼろっと大粒の涙がこぼれ落ちた。

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