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4.その瞬間に

「……何を与えている?」


 翌朝。


 いつも通り騎獣舎に来たジェラルドは、エヴェリーナに怪訝そうに問いかけた。

 ライオネルの前には大きな白皿があり、皿の上では特大のステーキが湯気を立てている。


 ひざまずいていたエヴェリーナは、すぐに立ち上がって優雅に礼を取った。


「おはようございます、殿下。こちらは牛肉のステーキでございます」


「それは見ればわかる。俺が聞きたいのはそうではなくて」


「ええ、わかります。ミディアム・レアですわ」


「焼き加減を聞いているわけでもないっ」


 エヴェリーナと会話していると、どうにも頭が痛くなってたまらない。

 不思議そうに首を傾げるエヴェリーナに、ジェラルドは歯を食いしばって説明する。


 騎獣は(あるじ)の魔力だけを(かて)とする。

 その命すら主と分かち合っていて、主が生きている限りどれだけ傷ついても死ぬことはない。その代わり、主が死を迎えるとき、騎獣もまた終わりを迎えるのだ。


 エヴェリーナは少しだけ顔を曇らせた。

 胸に手を当て、ややあって伏し目がちに頷く。


「……存じております。わたくしの父も、騎獣を飼っておりましたから。ですが栄養としては必要なくとも、楽しみとしての食事は必要かと存じます」


 エヴェリーナはきっぱりと顔を上げると、澄んだ青の瞳をジェラルドに向ける。


「我が父の騎獣も、好んで果物や野菜を食べておりました。ライオネル様は獅子のような見目ですから、お肉がお好みなのではないかと推察いたしました」


 そう言って、確かめるようにライオネルに視線を向けた。

 ライオネルは興味津々といった様子でステーキの匂いを嗅ぎ、躊躇なくばくりとかぶりつく。驚いたように瞳孔を開くと、またたく間に完食してしまった。


「ライオネル様、ご満足いただけましたか?……わあっふふっ、くすぐったいですっ」


 じゃれつくように、ライオネルがエヴェリーナに毛並みをこすりつける。

 どこか悲しげだったエヴェリーナの顔がゆるんでいく。可憐に頬を染め、うっとりとライオネルのたてがみを撫でた。


「……ライオネル。そろそろ朝の飛行に行くぞ」


 低く命じたジェラルドに、ライオネルはぴたりと動きを止める。

 しばしエヴェリーナを見つめると、ゆっくりとひざまずくようにその巨体を伏せた。


 まるで、「自分に乗れ」と言わんばかりに。


「……っ。ライオネル!?」


「まあ。ライオネル様」


 エヴェリーナは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに寂しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。ですが、わたくしは行けません。空を駆けたらどれだけ素敵だろう、と幼いころより夢想しておりましたが、父は決してそれを許しませんでした。父の騎獣に乗せてもらったことは、一度たりともないのです」


「…………」


 ジェラルドは眉根を寄せてエヴェリーナを見やる。


 朝の飛行は、あくまで肩慣らしだ。

 魔物が活性化するのは魔力が一日で一番強まる夕暮れ時であり、その時間帯は飛空騎士団で集中的に上空を見回りする。これが夕方の飛行であれば、ライオネルは決してエヴェリーナを誘わなかっただろう。


「……おい。ライオネル」


『グルル~』


 ライオネルはじっと純真な瞳でジェラルドを見上げた。

 尻尾がぱたぱたと左右に揺れている。「おいしかったの」とその瞳が言っていた。


「…………」


 飛空騎士団の中でも、己の騎獣におやつを食べさせる騎士はそれなりにいる。けれど、ジェラルドは一度もそうしたことはなかった。

 必要のないものを、わざわざ与える意味がわからなかったからだ。


(……だが、これほど喜ぶのだな)


 ジェラルドはこれまでの自分の行いを悔いた。ライオネルを喜ばせるのは、いつだって自分だけでありたいのに。


 はあ、とジェラルドの口からため息が漏れる。

 踵を返してロープを取ってきて、「乗れ」とエヴェリーナに指示を出した。


「え?」


「先に乗れ。それから落ちぬようにロープで固定する。……空を、駆けてみたいのだろう?」


 信じられない、と言うようにエヴェリーナが目を見開く。

 小さく震えながら、ライオネルを振り返った。ライオネルは鷹揚に頷くと、エヴェリーナが乗りやすいよう再び地面にぺたりと伏せる。


「……っ。し、失礼、いたします……」


 恐る恐る、エヴェリーナがライオネルにまたがった。

 感激したように何度もライオネルを撫で、豊かなたてがみにそっと顔を埋める。うっとりと目を閉じた。


「準備が整いました、殿下……。さあどうぞ、わたくしとライオネル様を、ぴったりと隙間なく縛り上げてくださいませ」


「阿呆。縛るのはライオネルとお前ではなく、俺とお前だ」


 あきれて突っ込みながら、ジェラルドもひらりとライオネルにまたがる。

 エヴェリーナを後ろから抱き締めるようにして、腰の辺りにロープを巻きつけた。


「よろしいのですか? 失礼ながら殿下は、女性があまりお得意ではないと伺っておりますが……」


「得意不得意で表すならば不得意だが、お前に関しては別に何とも思わない」


 ジェラルドはそっけなく告げる。


(そもそも、これは女ではないしな)


 ジェラルドに好意を持たず、ジェラルドの顔に見惚れず、ジェラルドに色目を使わず、そして挙句の果てには「いたんですか?」である。ジェラルドにとって、それはもはや女の定義に当てはまらない。


「しっかり掴まっていろ。――飛べ、ライオネル!」


 ライオネルの翼がはためく。


 ぐんと一気に飛び上がり、風に乗って高度を上げる。エヴェリーナの口から声にならない悲鳴が漏れた。


「……っ」


 空はどこまでも晴れ渡っていて、雄大な王城があっという間に豆粒大に小さくなっていく。

 上空の空気は澄み渡り、遠くで湖が光を弾くのが見えた。エヴェリーナが大きくあえぐ。


 その肩が激しく震えているのに気づき、ジェラルドは眉根を寄せた。

 騎士でもない、まして令嬢には刺激が強すぎたかと、気遣おうとした瞬間だった。


 泣き濡れた顔で、エヴェリーナがジェラルドの方に身をよじる。


「……すごい。すごいです、殿下」


 頬を寄せ、吐息がかかりそうなほど距離が近づく。おくれ毛がジェラルドの唇にかすかに触れた。


「ずっとずっと、夢だったのです……。けれど、決して叶うことのない夢なのだと、諦めてもいたのです」


 涙交じりの声で告げると、エヴェリーナは、へにゃり、と子どものようにあどけない笑みを浮かべた。


「わたくしに、こんなにも広い世界を見せてくださって――……心から感謝いたします。ジェラルド殿下」


「……!」


 心臓がドクンと大きく跳ねる。

 触れ合う体が熱い。ジェラルドは大慌てで赤くなった顔を背けた。


 ……どうして、「女ではない」などと思ってしまったのだろう?


 動揺するジェラルドには少しも気づかずに。

 エヴェリーナは体勢を戻すと、無邪気に空の旅を楽しんでいた。

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