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3.恋は盲目

「はああ。はああ……。好き。好きすぎます」


『…………』


「らららら、ライオネル様っ。おおおお初にお目にかかりますです。わわわたくし、エヴェ、エヴェ、エヴェリーナとももも申しまする。かしこ」


『……グフッ』


 騎獣舎のライオネルは、こらえきれぬように噴き出した。

 それまでは全く興味がなさそうに寝そべっていたのに、わずかに顔を上げてエヴェリーナに銀色の瞳を向ける。エヴェリーナが感極まったように目を潤ませた。


「ら、ら、ら、ライオネル様……! あの、あの、よろしければ、御髪(おぐし)を整えさせていただける栄光をっわたくしにお与えくださいませんでしょうかっ?」


 ライオネルは少し考え、ややあって緩慢に頷いた。

 エヴェリーナは歓喜する。


「ありがとうございます! 騎獣に関する書物を、ぼろぼろになるまで読みふけりました。こちらは最上級の魔木から作られたブラシで、魔力の通りが格段に良くなるそうなのです。では、失礼して……」


 ぶるぶる震える手でブラシを握り、エヴェリーナはライオネルに歩み寄る。


 ライオネルは、金色の獅子に似た見た目をしていた。

 星を散りばめたような銀の瞳に、ふさふさした豊かなたてがみ。背中から伸びる翼は雄々しく立派で、ここだけ羽毛のような手触りだ。


「や、やわらか……っ。い、いかがでございますかライオネル様? ご不快ではございませんか?」


『グルルルル……』


 ライオネルは目を閉じて、気持ちよさそうに唸っている。

 それでエヴェリーナも安堵したようで、丁寧な手つきでライオネルの巨体をブラッシングしていく。「素敵」「極上の毛並みです」「ライオネル様は世界一格好いい」などと、合間合間に大げさな賛辞を差し挟む。

 ライオネルは素知らぬ顔をしていたが、傍観しているジェラルドには丸見えだ。三角の耳がぴくりぴくりと反応している。


「……おい、ディルク」


 地を這うような低い声に、ディルクがビクッと巨体を揺らす。


「一体何なのだ、()()は?」


「も、申し訳ありませ……」


 ディルクは苦しげに謝罪すると、ジェラルドに合図してライオネルとエヴェリーナからさりげなく距離を取った。

 エヴェリーナは少しも気づかない。ライオネルの毛並みに夢中だ。

 自分の動向に気を払わない女がこの世に存在することに、ジェラルドは静かな衝撃を受けた。


「そのう……見ての通り、エヴェリーナ嬢は大の騎獣好きなのです。彼女が騎獣に目覚めたのは齢三歳のころ、亡きお父上の騎獣に一目惚れをしたのがきっかけだったそうです」


「…………」


 『目覚め』だの『一目惚れ』だの、一般的に騎獣に使う言葉ではない気がする。

 ジェラルドは頭痛をこらえた。


 騎獣とは誰もが持てるものではない。

 上質で秀でた魔力を持つ者でなければ騎獣の(あるじ)にはなれず、そのため騎獣を持てるのは魔力の高い高位貴族に限られる。


「あれだけ騎獣好きなのに、彼女自身は騎獣を持っていないのか?」


「弟君は高い魔力を有しておいでですが、残念ながらエヴェリーナ嬢の魔力は平均以下でした。それでも諦めきれず、何度も『魔鳥卵』を入手してはみたものの、一度も(かえ)らなかったそうです」


 騎獣は『魔鳥卵』と呼ばれる魔獣の卵から生まれる。

 魔鳥は鋭く長いくちばしを持つ鳥型の魔獣で、その子育て方法はかなり特殊だ。一度の産卵で四、五個の卵を産み、最も大きい一つを除いて母鳥が巣の下に蹴落として捨ててしまう。


 魔鳥は険しい崖の上に巣を作り、寒さのゆるんだ春先に産卵をする。

 崖下に落とされた卵は傷一つ付いていない。そのままだと朽ち果てていくだけだが、人間が魔力を注いで『主』となれば、様々な見た目をした極上の騎獣が生まれるのだ。


「エヴェリーナ嬢は何年もかけて、卵に毎日必死に魔力を注いでみたそうなのですがね」


「ライオネルはたった一日足らずで孵った。短期決戦で一気に魔力を注いでこそ、強く賢く美しい騎獣が生まれるのだ」


 ジェラルドは得意気に胸を張った。


 ライオネルはジェラルドの自慢だった。

 その翼は力強く、飛空騎士団のどの騎獣よりも速く飛ぶことができる。戦闘時には言葉で指示を出さずとも、ジェラルドの意のままに動いてくれる。


「騎獣はなかなか主人以外に心を開かず、世話をできる者はまれでしょう? ライオネルがエヴェリーナ嬢を気に入らなければ、他の騎獣に割り当てるつもりだったのですが……」


 ディルクが困ったみたいに肩を落とした。


 ジェラルドは眉をひそめる。

 どうやらディルクのこの様子では、エヴェリーナが騎獣舎の世話係見習いになることは決定事項のようである。普段から細かな人事は副団長に任せきりとはいえ、伯爵令嬢が騎獣舎で働くなどとは前代未聞だ。


「ディルク。なぜ、彼女を採用した?」


「うぐぅ……っ!」


 ディルクが苦しげに胸を押さえた。

 その視線はうろうろとさまよい、額からは脂汗がにじみ出ている。


「金でも積まれたか? それとも色仕掛けか?」


「ちっ違いますッ!!」


 悲鳴を上げて、ディルクは慌てたように自身の口をふさいだ。

 ぎくしゃくとエヴェリーナの方を確認するが、彼女は何も気づいていない。嬉しそうにブラッシングを続けていて、その周囲には花が飛んでいる幻が見える。


「違う、のです……」


 強面の顔をゆがませ、ディルクがしょんぼりうなだれた。


「実は、彼女と自分は……その、元、婚約者、でして……」


「はああ!?」


 ジェラルドが目を剥く。


「親同士が決めた婚約者で、互いに好意があったわけではありません。それでも彼女が婚約の解消を申し出た時は、自分もかなり迷いました……」


 幼いころからの婚約者として、懸命に伯爵家を守ろうとする彼女を支えるべきではないのか。

 弟が成人するまで、彼女を待ち続けるべきではないのか。


 ディルクも葛藤したと言うが、ディルクの両親がそれを許さなかった。

 何よりエヴェリーナの後押しもあり、婚約は円満に解消され、一年ほど後にディルクは別の貴族令嬢と婚姻した。今では二児の父親である。


「それで、まあ、今回彼女から『どうか力になってほしい』と頼まれて断りきれませんで。騎獣舎でなど働かず、良縁を探そうかとも申し出たのですが、怖い笑顔で即座に断られてしまいました」


「……さすがに元婚約者からそんな申し出をされたら嫌だろう。その程度、男女間の機微にうとい俺ですらわかるが」


 あきれ果てるジェラルドに、「そんなものですかね」とディルクはますます落ち込んだ。


 こちらの密談など知らぬげに、エヴェリーナは大興奮でライオネルの毛並みを堪能している。

 ライオネルも満更ではなさそうで、リラックスした様子で目を閉じていた。ジェラルド以外の人間に、ライオネルがここまで心を許すのは珍しい。


(しかし、女か……。好意を向けられるのがうっとうしいな。どうしたものか)


 考え込みながら、エヴェリーナに歩み寄る。

 何度か声を掛けたが返事をしないので、業を煮やしたジェラルドは、嫌々ながら彼女の肩を軽く叩いた。エヴェリーナが驚いたように振り返る。


「あ、いたんですか?」


「…………」


 いたんですか?


 ジェラルドは我が耳を疑った。いたんですか?

 生まれてこの方、そんな問いかけは一度もされたことがない。好むと好まざるとに関わらず、ジェラルドはいつも周囲の注目の的だった。


 好意、羨望、敵意、嫉妬。

 種類は違えど、いつだって周囲はジェラルドを放っておいてはくれないのだ。


 それなのに。


 あ、いたんですか?

 いたんですか?である。いたんですか?


「……エヴェリーナ嬢。団長……いや、ジェラルド殿下に対して失礼であるぞ」


 ディルクが控えめにたしなめて、エヴェリーナははっとしたように目を丸くした。


「あッ、申し訳ございません! 言い直しますね。……まあ、いらっしゃったのですか?」


「…………」


 言い直したから何だというのか。


 ジェラルドの端正な顔から、完全に表情が抜け落ちていく。

 ハラハラしたように自分を見守るディルクの視線を感じながら、ジェラルドは静かにエヴェリーナに向き合った。


「……それでは本日より、ライオネルに誠心誠意仕えるように」


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