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2.ジェラルドという男

 ジェラルド・エスカルディアは王弟であり、そして二十二歳という若さで飛空騎士団の騎士団長を務めていた。


 肩でゆるく縛ったプラチナ・ブロンドの髪はやわらかく艶めき、晴天での飛空中は陽光を弾いて美しく輝く。

 きめ細かい白皙(はくせき)の肌に、瞳は珍しい碧と琥珀色のオッド・アイ。すらりとした美丈夫で、その細腕で驚くほどの大剣を意のままに振るい、襲い来る魔物から王都の平和を日々守り続けていた。


 周囲を魅了してやまない彼は、王弟という高貴な身分でありながら妻帯しておらず、そもそも婚約者すらいなかった。

 理由は単純明快である。


 ――ジェラルドは、筋金入りの女嫌いだったのである。



 ◇



 他者からの好意というものは、ジェラルドにとって煩わしい以外の何物でもない。

 ジェラルドはただそこに存在しているだけなのに、周囲の注目を根こそぎ集めてしまう。耳が痛くなるほど甲高い嬌声を浴びてしまう。うっかり目でも合おうものなら失神させてしまう。

 うっとうしいことこの上ない。


 今日もジェラルドは遠巻きに熱い視線を送ってくる女性たちを完全黙殺し、足早に訓練所へと急ぐ。

 飛空騎士団に属する騎獣たちのため、騎獣舎を兼ねた訓練所には広大な敷地が割り振られていた。緑にあふれたこの場所に来ると、ジェラルドはいつもほっとする。


「おはようございます、団長」


「ああ。おはよう、ディルク」


 出迎えてくれた副団長であるディルク・ルーベルに挨拶を返し、ジェラルドはあからさまに眉を跳ね上げた。

 ディルクの後ろに、見知らぬ女の姿が見えたからだ。ディルクはすぐさま察した様子で、一歩下がって女性の隣に立つ。


「紹介いたします。こちらはバーレイ伯爵家ご令嬢、エヴェリーナ嬢です」


「エヴェリーナと申します。殿下にお目にかかれて光栄です」


「…………」


 ジェラルドは無言でエヴェリーナを見やった。随分と奇妙な令嬢だ、といぶかしく思う。


 エヴェリーナはドレス姿ではなく、男物のズボンを身に着けていた。

 そしてあろうことか化粧をしておらず、素顔がむき出しだった。せっかく豪華な金髪は、装飾もなく後頭部で一つに結んでいる。


「エヴェリーナ嬢は、その、実は……」


「わたくしは、今日からこの騎獣舎で見習いとして働かせていただくことになったのです」


 言いにくそうに言葉を濁すディルクの後を引き取って、エヴェリーナがはきはきと告げた。


「ジェラルド殿下。お耳汚しとは存じますが、我がバーレイ伯爵家の事情をお聞き願えますか?」


 そうして生真面目な表情を崩さぬまま、エヴェリーナが静かな口調で語り出した。



 ◇



 先代バーレイ伯爵――エヴェリーナの最愛の父親が病で亡くなったのは、今から八年前のことであったという。

 跡継ぎである弟は、当時まだたったの十一歳。エヴェリーナたちの母親は弟を産んですぐに亡くなっていて、つまりはエヴェリーナたちには頼れる保護者がいない状況だった。


「わたくしは当時十八で、かろうじて成人はしておりましたが、世間知らずの若輩者でございました。伯爵家の家督に目がくらんだ親戚たちはわたくしたちを侮り、我先にと後見を申し出ました。……乗っ取りを企んでいたのは、誰の目からも明らかでしたわ」


 エヴェリーナは、それをきっぱりと退けた。


 幼い弟が成人するまでは、エヴェリーナが後見として弟を支える。大切な父を亡くした悲しみに浸る間もなく、親戚たちには堂々とそう宣言した。

 エヴェリーナは当時結婚を控えた身の上だったが、婚約者に事情を説明し婚約は解消となった。


 それから八年。

 エヴェリーナは自らの幸せは捨て、弟と伯爵家のために尽くした。伯爵家当主代行として日々励み、名ばかり当主である弟を厳しく教育し、亡き両親に代わってありったけの愛情を注いだ。


「――その甲斐あって、弟は昨年立派に成人いたしました。それから早一年、少しずつわたくしも手を離し、今では完璧に伯爵家当主として独り立ちしております」


「それは喜ばしいことだ。……それで、あなたがここで働く、というのは?」


 苦虫を噛みつぶしたような顔でジェラルドが問うと、なぜか副団長であるディルクがその巨体を縮こまらせた。

 冷や汗をかきながら、「実は……」と言いにくそうに口を開く。


「その、エヴェリーナ嬢に、頼み込まれまして。何度も断ったのですが、しつこくしつこく食い下がられまして」


「わたくしはこれまで、己の人生をバーレイ伯爵家に捧げてまいりました。それ自体は別に構わないのです。父の遺した家督を守るため、そして何より愛する弟と共に生きるためだったのですもの。……けれど今、こうして自由を手にしたからには、己に正直に生きていこうと決めたのです」


 ディルクの言葉をさえぎって、エヴェリーナが一歩前に進み出た。

 八年前に十八ということは、今では二十六歳のはずだ。けれども化粧っ気がないせいか、ひっつめ髪ですべすべの額が丸出しのせいか、ジェラルドの目からはとてもそうは見えなかった。まるで十代の無垢な少女のように映る。


(……化粧も香水の香もしない女など、初めて会ったな)


 ジェラルドはまじまじとエヴェリーナを見つめた。

 ジェラルドのぶしつけな視線にも、エヴェリーナは少しも怯まなかった。頬を赤らめる様子もなく、生真面目な表情を崩すこともない。

 ジェラルドの胸に、むずがゆいような初めての感覚が広がっていく。



「――ずっと、お慕い申し上げておりました」



 苦しげに絞り出された声音に、ジェラルドははっと現実に引き戻された。

 エヴェリーナの言葉が浸透するにつれ、一度熱を持った心が急激に冷めていく。


 ……ああ、またか。

 やはり女というのは、誰も彼も皆同じだ。


 失望するジェラルドには少しも気づかずに、エヴェリーナは必死の様子で言葉を重ねる。


「たとえこの思いが叶わずとも、ただお姿を見られたら幸せなのです。側にいて、吐息を感じられるだけでいいのです。わたくしに気を許してくれずとも、わたくしは身も心も尽くしたいのです」


 熱をはらんだ、潤む瞳でジェラルドを見る。

 ジェラルドは嫌悪を感じて、端正な顔をゆがめた。明確な拒絶を示すため、手のひらをエヴェリーナに突きつける。


「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」


「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣――……ライオネル様のことがっ!」


 突き出されたジェラルドの手を握り、エヴェリーナが叫んだ。

 頬どころか耳まで真っ赤に染まっていて、キャッ言っちゃった!というように恥ずかしげに目を伏せる。


「……………………は?」


 ジェラルドの口から、大層間抜けな声が漏れた。

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