15.支えてみせる
「ジェラルド、何をぼうっと突っ立っている? メリンダの取りなしがあったから今回ライオネルの入場を許可したが……お前、まさか女避けにライオネルを使うつもりではあるまいな?」
(……違う、俺はここでエヴェリーナを待っているだけだ! いいから兄上こそどこかに消えてくれ!)
兄の小言に、ジェラルドはきつくこぶしを握り締めた。
無論ジェラルド自身はダンスに誘うつもりだが、何せ相手はあのエヴェリーナである。彼女のことだ、まずは心ゆくまで今夜のライオネルを鑑賞したいと願うはず。
それを待たずに今ジェラルドが申し込んだところで、片手間で断られるのは目に見えている。いたんですか?などとまた言われようものなら、あのころの数百倍はダメージを受けるに違いない。
「まあ、陛下。ジェラルド様の邪魔をなさってはなりませんよ」
にこやかに歩み寄ってきたメリンダが、国王サイラスの腕を強引に取った。
目で合図を送ってきたので、ジェラルドは感謝を込めて小さく頷き返す。メリンダの鼻息は荒く、その目は使命感に燃えていた。
「さ、さ、わたくしたちはあちらで軽いお酒でも――……きゃあああッ!?」
メリンダが悲鳴を上げてサイラスに抱き着いた。
突然、傍らのライオネルが落雷のごとく吠えたのだ。
ジェラルドも驚いてライオネルを見る。
ライオネルは憤怒を顔に浮かべ、ある一点だけを睨んでいた。ライオネルの視線を追って、ジェラルドは考える間もなく走り出す。
(――エヴェリーナ!!)
「……あら、『行き遅れ』と申し上げたのがご不快でしたのね? ですが本当のことではございませんの。もう後がないからと必死になって、あの手この手でジェラルド殿下のお気を引こうとして」
令嬢の心ない言葉が耳に飛び込んで、ジェラルドは怒りで目がくらみそうになる。
ちゃっかりと後ろを付いてきていたライオネルも、剣呑な唸り声を発した。お前は手を出すなよ、とジェラルドが身振りでライオネルをなだめる。
ジェラルドとライオネルの姿を見て、人波が慌てたみたいに割れていく。
開けた視界の先に、毅然と立つエヴェリーナの姿があった。
「わたくしが『行き遅れ』なのも『後がない』のも事実です。邪な動機で騎獣舎に潜り込んだのも本当です。何と言われようと、わたくしに弁解の余地はございません。――ですが、ライオネル様を悪く言うことだけは許さない!」
その力強くも美しい声に、ジェラルドは胸を衝かれた。
(……本当に、お前は強いな。エヴェリーナ)
凛としたエヴェリーナをじっと見つめる。
きっと彼女は、ジェラルドの助けなど欠片も必要としていないに違いない。けれど。
(……たとえお前に必要とされずとも、関係ない。俺はいつだってお前の力になりたいんだ)
それはきっと、ライオネルも同じだろう。
ライオネルと視線を絡ませ、ジェラルドは小さく笑う。
「――エヴェリーナ。もういい」
悠然と進み出て、緊張に倒れかけたエヴェリーナをすばやく支えた。エヴェリーナの目がこぼれ落ちそうなほど見開かれる。
「ジェラルド、殿下……」
「ご苦労だったな、エヴェリーナ。お前の主人として労をねぎらおう」
ライオネルにいつもしてやるように、よしよしと頭を撫でてやった。何やら令嬢たちから悲鳴が上がった気がするが、ジェラルドはそのまま聞き流す。
「主人である俺に代わり、よくぞライオネルをかばってくれた。次は俺の番だな」
「……え?」
瞬きするエヴェリーナに、にやりと人の悪い笑みを向けた。ついでに乱れてしまった髪を、指先でちょいちょいと整えてやる。
「前に言ったろう? 俺はお前の主人として、お前を気にかけてやる義務がある。――お前が侮辱されたならば、やり返すのは俺の役目だ」
跡形もなく笑みを消すと、ジェラルドは令嬢たちを振り返る。その冷え切った……憎悪を込めた眼差しに、令嬢たちはみるみる色を失くしていく。
「ジェ、ジェラルド殿下……違うのです……っ」
「わたくしたちはただ、殿下のために」
「いらぬ世話だ。俺のエヴェリーナを貶めることは、俺を貶めることと同義と心得よ」
支えているエヴェリーナの肩が震えた気がしたが、ジェラルドは構わず令嬢たちだけを睨めつける。
騎士であるジェラルドに、ここまでまっすぐに殺気をぶつけられて動けるはずがない。ジェラルドがそれきり口を閉ざしてしまったので、数秒が永遠に感じられるほどひりひりとした緊張が大広間に満ちた。
硬直して震えるばかりの彼女たちを冷淡に眺め、ようやくジェラルドが低い声で沈黙を破る。
「――どうだ。今宵の舞踏会は楽しめたか?」
「!……はっはい! も、もう充分に堪能いたしましたので、わたくしたちはこれにて失礼させていただきます! どうぞ退出をお許しくださいませっ」
弾かれたように礼を取ると、令嬢たちは互いに突き飛ばし合うように我先に出口に向かった。
ライオネルの側を怖々とすり抜ける瞬間、『ガウッ』と吠えられまた腰を抜かしかける。
エヴェリーナはあっけに取られた様子で彼女たちの後ろ姿を見送っていた。
トーミが泣き出しそうな顔で、エヴェリーナに駆け寄ってくる。
「姉様、大丈夫で――」
『ポッケキョォォォォッ!!』
『きぃやあああああッッッッ!!?』
「…………」
扉の向こうの廊下でまた何やら騒ぎが起こっている。もう嫌ぁっ、と涙交じりの悲鳴が響いた。
エヴェリーナとトーミが無言でジェラルドを窺えば、ジェラルドはわざとらしく肩をすくめた。
「実はディルクのやつが、ライオネルが舞踏会に出席するのなら、自分も自慢のギデオンを出したいと主張してな。が、さすがに騎獣が二匹もいては招待客が仰天するだろう? ライオネルが大丈夫そうならば、ギデオンも途中参加する予定でディルクとともに廊下で待機していたんだ」
だが、この分なら残念ながら無理そうだな。
ちっとも残念そうでない口ぶりでジェラルドが言う。
目を丸くしているエヴェリーナに、うやうやしく手を差し伸べた。
「――エヴェリーナ。どうか俺と一曲踊っていただけないか?」
「…………」
その途端、我に返ったみたいに大広間ににぎやかな音楽が再開する。
エヴェリーナは声もなく、茫然と周囲を見回した。
トーミは「姉様、早くお受けして!」と言わんばかりに頷いていて、国王サイラスはぽかんと口を開けている。王妃メリンダはうっとりと頬を染め、「もっとロマンチックな曲を奏でなさい!」と楽団に指示を飛ばした。
「エヴェリーナ?」
「――っは、はい殿下! わた、わたくしでよろしければ、喜んでっ」




