14.譲れないこと
そうして迎えた、舞踏会当日。
きらびやかな王城の大広間に、エヴェリーナは緊張しながら足を踏み入れた。
中央の巨大なシャンデリアは神々しく光を放ち、貴婦人たちのドレスをますます魅力的に輝かせている。
こんな華やかな場に来るのは久方ぶりで、エヴェリーナは自分の姿が見劣りしていないかと心配になった。
「姉様。とてもお綺麗ですよ」
まるで心を読んだように、エスコートしてくれるトーミが優しい笑みを向けた。
今日のエヴェリーナの装いは、父からの最後のプレゼントである琥珀色のドレス。
当初髪は結い上げて、母の形見である豪華なティアラで飾るつもりでいたが、直前になって怖気づいてしまった。結局あまり目立たぬよう、ハーフアップにした金髪を暗めの藍のリボンで結ぶことにした。
トーミは不満気だったが、リボンは極上の絹で小粒の宝石も散りばめられている。決して場違いではないはずだ。
化粧は淡く、エヴェリーナ本来の美しさを引き立てる程度にとどめている。
男性貴族たちがエヴェリーナの姿を見てほうっと感嘆の息を吐いたが、エヴェリーナ自身は少しも気づいていない。
「ありがとう。トーミも素敵よ。良い出会いがあるといいわね?」
エヴェリーナは何とか口元に笑みを形作る。
高鳴る胸を押さえ、愛しい相手の姿を探して辺りをきょろきょろと見回した。一目だけでも見られれば、この浮足立った気持ちも落ち着く気がしたのだ。
談笑する招待客たちの間をすり抜けて、エヴェリーナは大広間の最奥を目指す。ピアノと管弦楽の音色が強くなった。
「ライオネル様……どこにもいらっしゃらないみたい」
「ジェラルド殿下もですよ。ご一緒に入場されるおつもりなのでは?」
トーミがこっそり耳打ちした瞬間、音楽が変わった。
穏やかなバラードから壮大なものへと。音楽に合わせ、国王夫妻が入場してきた。後ろにはジェラルドと――ライオネルの姿もある!
「……っ」
「姉様。叫ばないで。はい、深呼吸」
「すうはあ、はあはあ……ああ、なんて素敵……っ。好きすぎますっ」
ライオネルはいつもより随分ゆっくりと、しとやかな脚さばきでしずしずと歩いてくる。
舞踏会には場違いな巨大な獅子の姿に、招待客たちがざわりと動揺する。
が、国王をはじめとした王族の落ち着き払った様子を見て、取り乱してはみっともないと慌てて平静を装った。
おかしな緊張感がみなぎる中、国王サイラス・エスカルディアと王妃メリンダが手を取り合ってファーストダンスを踊った。
ライオネルも大人しく座り込み、銀の瞳で真面目くさってダンスを見守っている。エヴェリーナはうっとりとライオネルだけを見つめ、隣のトーミは笑いを噛み殺した。
「――さあ、それでは皆、今宵の舞踏会を存分に楽しんでくれたまえ!」
国王の言葉に、招待客たちも楽しげに踊り始める。
全員がさりげなくライオネルから距離を取っているため、ライオネルの近くだけぽっかりと空間が空いていた。麗しい礼服姿のジェラルドは、ライオネルの隣で国王陛下と言葉を交わしている。
「トーミ、あなたは素敵なご令嬢をダンスにお誘いなさいな。姉様はあなたのお邪魔をしたくないので、これより壁の花に徹します」
にこやかに告げて去ろうとしたら、トーミがすかさずエヴェリーナの腕を掴んだ。
「騙されませんよ、姉様。単にライオネル様のお側に行きたいだけでしょう?」
あっさり見透かされ、エヴェリーナが視線を泳がせる。
「だ、だって、今宵のライオネル様があまりに格好良すぎるのだもの。触れ合えないまでも、せめて同じ空気を吸いたいのっ」
ライオネルの耳がぴくぴくと動き、フンッと得意気に胸を膨らませた。
輝く金のたてがみは品よく編み込まれ、太くたくましい首にはつややかな絹のリボンが巻かれている。深紅のリボンが金の毛並みにこの上なく美しく映えていた。
今日の昼間、街頭パレードで見たライオネルを勇猛な騎士に例えるならば、今のライオネルは上級貴族の紳士だろうか。どちらも比べようがないぐらいエヴェリーナには魅力的に映る。
「ああ、ライオネル様。好きです。好きすぎますっ」
「姉様、どうどう」
トーミが笑いながら止めた瞬間、不意に周囲から聞こえよがしな嘲笑が響いてきた。
「――さすが、『バーレイ伯爵家の行き遅れ』ですわね。見苦しいこと」
「ねえ、ご存じ? あのかた、殿下とお近づきになるために、なんと騎獣舎にまで潜り込んだのですって。非常識にもほどがあるわ」
「あまつさえ殿下の騎獣にまで色目を使うだなんて、ああ気味の悪い。お可哀想なジェラルド殿下。頭のおかしな女に付きまとわれ、さぞかしご迷惑なさって――」
『――ガウッ!!!』
突如、それまで静かにしていたライオネルが激しく吠え立てた。
嫌らしい笑みを浮かべていた令嬢たちが、一気に顔色を失くして後ずさる。
「きゃああッ!?」
「な、なんて野蛮な……っ。い、いかに殿下の騎獣といえ、やはりケダモノはケダモノに過ぎませんわっ」
泡を食って逃げ出そうとした令嬢たちの前に、エヴェリーナがさっと立ちふさがった。
先ほどまでの舞い上がり様が嘘のように、エヴェリーナは落ち着き払って彼女たちに対峙する。
「――聞き捨てなりません。今すぐに、訂正なさってください」
「……な、なんですって?」
美しく整えられた眉を上げ、令嬢が不快げにエヴェリーナを睨んだ。
けれど、エヴェリーナにも引く気は毛頭ない。唇を引き結んで毅然と令嬢に向き合った。
音楽が止まり、しんと静まり返った大広間で、取り巻きを従えた令嬢は口元に冷笑を浮かべる。
「あら、『行き遅れ』と申し上げたのがご不快でしたのね? ですが本当のことではございませんの。もう後がないからと必死になって、あの手この手でジェラルド殿下のお気を引こうとして」
「そちらではございません」
間髪入れずにエヴェリーナが否定する。
令嬢は怯んだように口をつぐんだ。
「わたくしが『行き遅れ』なのも『後がない』のも事実です。邪な動機で騎獣舎に潜り込んだのも本当です。何と言われようと、わたくしに弁解の余地はございません。――ですが、ライオネル様を悪く言うことだけは許さない!」
頬を上気させ、エヴェリーナは叫んだ。
その迫力に、令嬢たちが青くなる。
「ライオネル様はお優しく、そして思慮深く気高い騎獣です。それを、ケダモノだなんて――!」
「エヴェリーナ。もういい」
不意に、穏やかな声が割って入った。
エヴェリーナははくはくと息をする。
極度の緊張にふらつきかけた彼女を、力強い腕が支えてくれた。泣き出しそうな顔で彼を見上げる。
「ジェラルド、殿下――……」




