13.今さらですよ?
エヴェリーナは落ち込んでいた。
騎獣舎での仕事を終え夕刻には家に帰り着き、それからずっと自室にこもりきりだ。
原因はわかっている。ジェラルドからのせっかくの誘いを断ってしまったせいだ。
(……だって、仕方ないじゃない)
クッションを抱き締め、きつく目をつぶる。
男の格好をして騎獣舎で働く、頭のおかしな令嬢。
きっと目当てはジェラルド殿下に違いない。
身の程もわきまえず、非常識な手段を取ってまで殿下に近づこうとする、あさましい女。
エヴェリーナの耳に入ってきたのは、おおむねそんな内容だ。
本当のことを言ったところで信じてもらえるはずもなく、エヴェリーナは噂を否定も肯定もせずただ口をつぐんでいた。
(舞踏会……)
無意識に腰を上げ、ワードローブの前に立つ。
伯爵家当主代行のころにまとっていた、黒や灰色の地味なドレス。それらに隠れた奥の奥に、エヴェリーナが娘時代に愛用していたドレスがあった。
「……駄目。これは派手すぎるわ。年甲斐もなく、なんて笑われて、非難の種をますます増やしてしまいそう」
鮮やかな色のものは脇に避けて、エヴェリーナは一心不乱に捜索を続ける。
ふと、手が止まった。
(……これ……?)
生前、父が最後に贈ってくれたドレスだった。
落ち着いた琥珀色は、当時のエヴェリーナの目にはひどく地味に映ったものだ。花柄があしらわれてはいるものの、透かし模様なせいで一見すると無地に見える。
――もう、お父様のご趣味ったら。華やかさに欠けすぎよ
そんなふうに口を尖らせたのは、決して本心からではなかった。拗ねた振りをして、甘えてみせただけなのだ。
父もしっかり見抜いていて、おどけたみたいに肩をすくめた。
――お前の持っていない色を贈りたかったのだよ。ほら、エヴェリーナの髪は明るい金だから、黄色のドレスは一着もないだろう?
どうやら父は職人に相談して、エヴェリーナの髪にも合わせやすい生地を選んでくれたらしい。
ドレス単体で見れば地味だが、エヴェリーナの金髪と合わせれば一気に華やかになる。
そう嬉しげに説明してくれた父の顔を思い出し、エヴェリーナは涙をこらえた。
「……ええ、お父様。これなら今のわたくしでも、充分に着られるわ」
姿見鏡の前に立ち、エヴェリーナはドレスを当ててみる。
髪は豪奢に結い上げて、その分ネックレスや耳飾りを細身のものにしてみたらどうだろう?
全体のバランスが取れ、控えめながらも美しく仕上がるに違いない。
そう楽しく想像して、エヴェリーナははっとする。
(駄目よ、舞踏会には行けないのだから。そう決めたでしょう?)
唇を引き結び、ドレスを元の場所に片付けた。
再びソファに座ったのに、視線は未練がましくワードローブに戻りそうになってしまう。
(あの琥珀色……まるで、ジェラルド殿下の瞳の色のよう)
ジェラルドの瞳は、碧と琥珀色のオッド・アイ。
舞踏会の誘いを断ったときの、彼のがっかりした顔までつられて思い出され、エヴェリーナの胸がじくじくと痛んだ。
「……姉様? よろしいですか?」
「! トーミ、どうぞ!」
慌てて招き入れた弟は、なぜかエヴェリーナと同じく痛そうな顔をしていた。
黙ってソファに腰を下ろし、隣に掛けたエヴェリーナを探るように見つめる。
「姉様。仕事から戻られてからずっと、浮かない顔をしています」
「…………」
「何かあったのですか? もしや、心ない噂などが耳に入って……ん?」
不意にトーミが言葉を止めた。
不審に思って、エヴェリーナは伏せていた顔を上げる。トーミの視線を追えば、そこにはワードローブからはみ出した琥珀色のドレスの裾があった。
(あ……っ!)
真っ赤になるエヴェリーナを見て、トーミはすぐに何やら察したらしい。
機敏に立ち上がり、ワードローブを開けてドレスを引っ張り出す。しげしげと眺め、やがてにっこりと笑った。
「姉様。舞踏会に着ていくドレスですか?」
「ちっ違うの! わたくしは、参加するつもりなんてありませんから!」
大慌てでの弁解など、トーミは少しも聞いていなかった。
エヴェリーナにドレスを当て、感心したように何度も頷く。
「さすがは父様の見立てです。姉様によくお似合いだ」
大仰に褒めそやすと、うやうやしくエヴェリーナに手を差し伸べた。
「――姉様。どうか建国祭の舞踏会、この僕にエスコートさせていただけませんか?」
「トーミ……。でも、わたくしは……」
「まさかとは思いますが、姉様ともあろうおかたが噂好きの連中を気にしておいでですか? 当主代行としての務めを終えたからには、やりたいことをやる。これから夢を叶えてみせるのだと、僕に堂々と宣言したではありませんか」
エヴェリーナはますます赤面した。
トーミの顔を直視できずにうつむく。トーミは優しくエヴェリーナの肩を叩いた。
「……わたくしは、わたくしのような姉がいるせいで、あなたまで悪く言われるのが嫌なの」
勇気を出して、エヴェリーナは自身の気持ちを打ち明ける。
トーミは優しい眼差しをエヴェリーナに向けると、ふわりと微笑んだ。
「姉様。そんなの今さらですよ?」
「…………え」
目を丸くするエヴェリーナに、トーミは思いっきり失笑する。
「姉様が騎獣舎で働いている時点ですでに、学生時代からの友人たちから散々からかわれていますよ。今さら罪状が一つ二つ増えたところで、たいして変わりはありません」
「ざ、罪状って」
「やりたいことをやる。好きなことをあきらめない。……そう言って、姉様は騎獣舎に勤めだしたのではありませんか。それなのに、またあきらめるのですか?」
トーミの偽りのないまっすぐな視線を受けて、エヴェリーナは息を呑んだ。
(……そうだわ。わたくしは――!)
「旦那様っ、お嬢様っ! お、お、お、お客様がお見えですっ。大至急客間へ、はっ殿下っ!?」
取り乱した家令の声が聞こえ、エヴェリーナとトーミは顔を見合わせた。
固まるトーミより、エヴェリーナの方が行動が早かった。扉を開け放ち、想像通りの人物が立っていて目を見開く。
「ジェラルド殿下?」
「終業後にすまない、エヴェリーナ。一つだけ、伝え忘れていたことがあってな」
エヴェリーナは言葉を失って立ち尽くした。
騎士服をまとったジェラルドが、やけに凛々しくて目に眩しい。
騎獣舎では見慣れているはずなのに、ジェラルドが自分の部屋にいるという事態に思考が追いつかない。ぼんやりと見惚れるエヴェリーナに、ジェラルドは咳払いする。
「舞踏会の件だ。――実は、今回は特別にライオネルも出席させる予定でな」
「……えっ!?」
「舞踏会仕様で見栄え良く着飾ってやるつもりなんだ。さぞやお前も喜ぶだろうと思ったんだが……うん、確か欠席するとか言っていたか?」
もったいぶった口調でジェラルドが確認する。
エヴェリーナの頭は真っ白になったが、後ろでトーミが噴き出すのが聞こえて、カッと頬が熱くなった。考える間もなく、天井に向かって勢いよく手を突き上げる。
「――行きますっ! 建国祭の舞踏会、わたくし何が起ころうと出席させていただきますっ!」




