12.勇気を出して
自室に戻ると、ジェラルドは大きくため息をついた。
美しいプラチナ・ブロンドを荒っぽくかき回し、豪奢なソファにどっかりと腰を下ろす。
(……せっかく、良い雰囲気だと思ったのにな)
ライオネルから渡してもらう、という当初の計画は変更になったものの、エヴェリーナはベルトの安全具を大喜びで受け取ってくれた。
その後、自然な流れで二人乗りに誘うこともできた。湖畔では二人(正確には二人と一匹)で寄り添って過ごし、これはもはや恋人同士と言っても過言ではないのでは?とジェラルドは舞い上がった。
――だが、しかし。
『お前がライオネルに一目惚れした建国祭が、今年もじきに開催されるわけだが』
内心緊張しながらそう切り出したのには、ちゃんと理由がある。
建国祭では街頭パレードも見どころだが、一番の目玉はその夜王城にて開催される舞踏会。
王侯貴族が一堂に会する、一年で一番華やかな夜になるのだ。
当然のごとく、ジェラルドはエヴェリーナを誘う気だった。むしろ、エヴェリーナ以外と踊るつもりなどさらさらない。
一世一代の勇気を振り絞り、彼女をダンスに誘おうとしたのだが――……
「ジェラルド様? よろしいですか?」
不意に扉からノックの音が響き、ジェラルドははっと物思いから覚める。
うんざりと扉を眺め、いやいや腰を上げた。
居留守を使おうかとも思ったが、今のはジェラルドの義姉であるメリンダの声だった。ジェラルドが応じるまで何度でも訪ねてくることは想像に難くなく、面倒事は早めに済ませておく方がいい。
「義姉上。何かご用ですか?」
「ああ、よかった。いらっしゃったのですね」
メリンダが嬉しげに室内に入ってくる。
珍しいことに侍女の一人も連れておらず、ジェラルドは思わず顔をしかめた。
「義姉上。いかに義理の姉弟の間柄とはいえ、王妃が男と密室で二人きりになるなどと」
「あら。わたくしにそんなことを言ってよろしいの? ロープに代わる安全具を考えて差し上げた恩をお忘れかしら?」
「ぐっ!? で、ですが最終的にベルトを思いついたのは、義姉上ではなく俺ですよ!」
ジェラルドはうっと詰まりながらも反論するが、「わたくしとの議論で思いついたのだから、わたくしの功績です」とメリンダは自信たっぷりに言い切った。
「ですからわたくしには、結果を聞く権利がありますの。変に噂が立ってエヴェリーナ嬢が困らないよう、おしゃべり好きの侍女だって置いてきましたわ。さ、さ、それで首尾はいかがでした? エヴェリーナ嬢は喜ばれまして?」
「……はあ。わかりました、話しますよ」
ジェラルドはあきれながらも、メリンダのために手早く茶を淹れてやった。
王族でありながら騎士でもあるジェラルドは、身の回り程度のことは自分でこなせる。凝り性なたちもあり、茶を淹れるのは得意だった。
「まああ! ジェラルド様のお茶が飲めるなどいつぶりでしょう!」
「迷惑ですので、今日で最後にしてください」
「……あなたね。その物言いを直さぬ限り、恋は決して叶いませんことよ」
メリンダは半眼になるが、ジェラルドにだってわかっている。
エヴェリーナが好きなのはライオネルだけなのだ。少しでもジェラルドを思ってくれているならば、ダンスの相手を断られるはずがない。
メリンダの前に茶器を置き、ジェラルドはうなだれた。
「まああッ! 断られましたの!?」
「はい。実は……舞踏会そのものに、出席するつもりがないのだそうです」
ため息をこぼし、ジェラルドは今朝のエヴェリーナの様子を思い出す。
ジェラルドがエスコートを申し出た途端、それまで楽しげだったエヴェリーナの表情が曇ったのだ。
『……お気持ちは嬉しく存じます、ジェラルド殿下。ですがどうぞ、舞踏会には他のかたを誘ってくださいませ……』
「――どうやらエヴェリーナは、弟のことを気にかけているらしいのです。舞踏会は出会いの場。行き遅れの姉が側にいては、弟の邪魔になってしまうから、と言われまして」
「まあまあ……。バーレイ伯爵家の事情はもちろん存じ上げておりますが、行き遅れだなんてとんでもない。エヴェリーナ嬢は伯爵家の令嬢として、己の責任を全うしただけですわ」
メリンダも悔しげに唇を噛む。
一緒になって感情をあらわにしてくれる義姉を見て、ジェラルドは少しだけ気持ちが救われた。
頬をゆるめるジェラルドを、メリンダがキッと睨みつけた。
「何を笑っておられますの! エヴェリーナ嬢は弟君だけでなく、ジェラルド様のことも気遣っておられますのよ! ちゃんとわかっておりますの!?」
「え、お、俺の? ですか?」
ジェラルドが目を白黒させる。
メリンダは大きく頷いた。
「そうですわ。エヴェリーナ嬢が騎獣舎で働いていることが、少しずつ社交界でも広がり始めているんですの。泥まみれで働くなど普通の令嬢のすることではない、エヴェリーナ嬢は気が触れているに違いない、などと心ない噂をする者たちまで現れる始末で」
「……なんだと?」
ジェラルドの顔からすうっと表情が抜け落ちていく。
鞘に納められた大剣に鋭く目を走らせたので、メリンダは大慌てで首を振った。
「噂をしていた者たちには、わたくしがきちんと口止めしておきましたわ! 王妃の名において、エヴェリーナ嬢の名誉を貶めることは許さない、とね。ですが……」
メリンダはため息をつくと、湯気の立つカップに手を伸ばした。
上品に一口飲んで、ぱあっと顔を輝かせる。
「とっても美味しいですわ! ジェラルド様はお茶を淹れる天才ねっ」
「そんなことより『ですが』の続きは!?」
「ちょっとお待ちになって、もう少し喉を潤してから……ってああッ取らないでくださいましー!」
「いいから早く続きを教えてください! エヴェリーナが俺の一体何を気遣っていると!?」
カップを遠くに没収され、メリンダはしぶしぶエヴェリーナの気持ちを代弁してやった。
「――おそらく、エヴェリーナ嬢はとっくに己に関する噂をご存じですわ。貴族の女はみな早耳ですもの。そうでなくてはやっていけません」
噂を聞いて、エヴェリーナはきっとこう考えたはずだ。
行き遅れの変人と陰口を叩かれている自分が、ジェラルドと共に舞踏会に出席したらどうなる?
相手は王弟という尊い身分、そして騎士としての確かな才能、麗しい見目で大人気のジェラルドである。自分などに構ったばかりに、ジェラルドの評判まで地に落ちてしまうかもしれない。
「そんな……、エヴェリーナ……!」
取り返した茶を優雅に楽しみ、メリンダはうっとりと目を細めた。
「エヴェリーナ嬢は奥ゆかしいこと。あまりにいじらしくて、わたくし俄然応援したくなって参りましたわ」
こぶしを握るメリンダを、ジェラルドはもう見向きもしない。
騎士団のコートを手にして荒々しく立ち上がったので、メリンダが目を丸くする。
「ジェラルド様? どちらへ行かれますの?」
「バーレイ伯爵家へ。もう一度、エヴェリーナを誘ってみます」
振り返りもせずに告げるジェラルドに、メリンダは破顔した。
「気概のありますこと。……そうね。エヴェリーナ嬢の気が変わるよう、何か餌を用意することをお勧めしますわ」
「餌?」
ジェラルドが足を止める。
メリンダは悠然と頷くと、いたずらっぽく微笑んだ。
「舞踏会まではもう日もありませんし、ドレスを贈るのはさすがに無理でしょう。ならば、舞踏会で身につけてほしいと、ネックレスなどを贈るのはどうかしら? 髪飾りや腕輪でも、エヴェリーナ嬢が喜んで飛びつく『何か』をご用意すればよろしいかと」
「――そうか! エヴェリーナが喜ぶものなど、改めて考えるまでもない!」
ジェラルドは一転して顔を輝かせると、足取りも軽く出ていった。




