9.不器用な恋
「お近づきになりたいお相手がいるのでしょう? エヴェリーナ嬢のその行動力に敬意を表して、このわたくしが協力して差し上げてもよろしくてよ」
「き、協力だなんて……そんな」
エヴェリーナはしどろもどろになってうつむいた。
心臓が早鐘を打つ。まさか王妃であるメリンダにまで、自分の報われない片思いが知られているとは思わなかったのだ。
背後でゆうゆうと寝そべっている、巨体の想い人をエヴェリーナはすがるように振り返る。想い人はふふんと銀の瞳を細めた。
動揺するエヴェリーナに、メリンダが焦れたように詰め寄った。
「んもう、一体何を遠慮することがありますの? 己の望みを叶えるため、利用できるものは何でも利用すべきですわ」
「いえ、その……わたくしは、叶えるつもりはないのです」
エヴェリーナの答えに、メリンダは驚いた様子で目をみはる。
エヴェリーナはそんなメリンダからそっと視線を逸らした。
「……決して多くを、望んではおりません。たとえこの思いが叶わずとも、ただお姿を見られたら幸せなのです。側にいて、吐息を感じられるだけでいいのです。わたくしに気を許してくれずとも、わたくしは身も心も尽くしたいのです……」
かつて言った言葉を繰り返すが、声がだんだんとかすれていく。
エヴェリーナにだってわかっていた。これは嘘ではないが、完全な真実でもない。
初めてこの騎獣舎に来たときに、ジェラルドに伝えた思いに嘘はない。あのときは本気でそう思っていたし、本当にそれだけで充分だったのだ。
(だけど、今は――……)
「嘘ね」
果たして、メリンダはきっぱりと断じた。
言い当てられて、エヴェリーナが息が呑む。
「嘘でしょう? エヴェリーナ嬢にだってわかっているはずですわ。本音で話しましょうと申し上げたではないですか。――あなたは本当は、どうしたいと思っていらっしゃるの?」
エヴェリーナは泣きそうになった。
助けを求めるように再びライオネルを振り返ると、ライオネルの眼差しは静かに凪いでいた。小さく頷き返してくれた気がして、エヴェリーナは自身の心臓を押さえて呼吸を整える。
(本当は……)
「……ずっと、共に在りたいです」
消え入るように小さな声で告げるのに、メリンダは黙って耳を傾けてくれた。
それに勇気づけられて、エヴェリーナはゆっくりと顔を上げる。
「もう、遠くから見ていただけのころには戻れないのです。だって……この腕で力いっぱい抱き締めたときの、あの温もりを知ってしまったから。信じられないほどに幸福で、わたくしはもう」
「んええええッ抱き合っておられますのぉぉぉッ!?」
なぜかメリンダが目を剥いた。
「えっえっまさかもうそこまで進展してただなんて、一体あの女嫌いをどう籠絡して、ちょっそこのところもう少し詳しくエヴェリーナ嬢!!」
「は、はい?」
「というか協力なんて必要ないじゃありませんの! もうすっかり両思いじゃありませんか、ねぇそうでしょうそうですわよね!?」
「め、滅相もない!」
エヴェリーナは大慌てで否定した。
熱い両の頬を押さえ、おろおろと首を横に振る。
「両思いなどとんでもないです。だってわたくし、あのかたの笑顔を見たことすらないのですもの。いつか見せていただければ、とお願いしようとは思っているのですけれど……」
「お待ちなさい。笑顔を向けることすらしない相手と、しかも未婚の令嬢と抱き合った……ですって?」
突然、メリンダのまとう空気がすうっと冷たくなった。
「信じられませんわ……。なんという、なんという破廉恥な行動を。いたいけな女を弄ぶ悪魔のごとき所業ですわ……っ」
『ググッ、グッグッグッグッ』
「! まあ、ライオネル様! まさか笑って……!?」
メリンダが何やらぶつぶつ呟いていたが、エヴェリーナはそれどころではなくなった。
牙をむき出しにしているライオネルに大急ぎで駆け寄って、その大きな顔に寄り添った。銀の瞳が明らかに面白がっていて、エヴェリーナは感激する。
「笑って、笑っていらっしゃいますわ!」
「わたくしは義姉として、彼の非道を正さねばなりません。エヴェリーナ嬢、どうかわたくしに少し時間をくださいな」
「え? はい、もちろんですわ王妃殿下!」
エヴェリーナは満面の笑みで了承した。
せわしなく撫で続けるライオネルの巨体がなぜかグフッと震えたが、気のせいだったのかもしれない。
メリンダはそのまませかせかと出ていってしまったので、エヴェリーナは幸せな気持ちのままライオネルのブラッシングを始めた。
◇
「見損ないましたわ、ジェラルド様!」
「……義姉上。訓練中に突然なんですか」
メリンダはそのままの勢いで、騎獣舎の目の前にある飛空騎士団訓練場に突撃した。
ちなみに後ろの侍女はうんざりした顔を隠そうともしていない。
「エヴェリーナ嬢ですわ! あなた様が未婚の女性に気安く触れていると聞き、わたくしはもう腹が立って腹が立って」
「! ちょッ、義姉上! こちらへどうぞ!!」
ジェラルドが慌てたように大剣を置き、メリンダを引っ張って騎獣舎の軒下へと避難する。他の団員、特にディルクにでも聞かれたらたまったものではない。
苛つきながら、小声でメリンダに文句を言った。
「俺がエヴェリーナに気安く触れた? 一体何の話です。そんなことは誓ってしていな……あ」
ジェラルドは不意に言葉に詰まる。
(もしかしなくとも、二人乗りの話か……?)
だとすれば、仕方ないではないか。
いかにロープで結んでいるとはいえ、エヴェリーナの安全のためにジェラルドがしっかりと支えてやる必要があるのだから。
ジェラルドがそう説明すれば、メリンダは目を瞬いた。それから、バツが悪そうに微笑する。
「まあ、そうだったのですね。わたくしったら早とちりしてしまって」
「全くです。訓練の邪魔ですから、今すぐお引き取り願えますか」
「…………」
メリンダが半眼になる。
この男はやはりどうしようもない。
エヴェリーナの目は、いや、世の女たちの目は節穴なのではなかろうか。苛々と足踏みして、メリンダは必死で頭を巡らせた。
(……そうだわ)
「――それにしても、随分と無神経でいらっしゃいますこと。無骨なロープで結ぶだなんて……ああ、エヴェリーナ嬢がお可哀想」
「えっ!?」
わざとらしく嘆息すれば、去りかけていたジェラルドがぎょっとしたみたいに足を止める。
想像以上の食いつきだった。メリンダは内心してやったりとほくそ笑む。
「可哀想とはどういう意味です?」
「どうって、そのままですわ。女性に対する扱いがなっていないと申し上げているのです。……そうね、わたくしでしたらロープではなく、美しく肌触りの良いシルクのリボンをお勧めしますわ」
リボンで結ばれた美男美女を想像し、メリンダはうっとりと息を吐く。
が、ジェラルドは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「リボンなど、実用性に欠けるでしょう」
メリンダはむっとして目を吊り上げる。
「誰が実用性の話をしてますか! わたくしが申し上げているのはロマンの話ですわっ」
「ロマンよりも安全性です」
「まあ、ジェラルド様ったら少しも女心を解しておりませんのね。これまで女性を避けて生きてきた罰が当たったみたい。今にエヴェリーナ嬢に愛想を尽かされますわよ」
「ぐっ!?」
痛いところを突かれた、というようにジェラルドが顔色を悪くした。
メリンダはにんまりして、軽やかに踵を返す。
「ほほ、訓練のお邪魔とおっしゃいましたわね。それではわたくし、これにて失礼させていただきますわぁ~」
「えッちょッお待ち下さい義姉上!? ロマンと実用性を兼ね備えた、女心をくすぐるロープの代わりをぜひ一緒に考案して……!」
追いすがるジェラルドを無視してメリンダは訓練場を出た。
お気に入りのドレスの裾を汚してしまったものの、それに見合うだけの収穫はあった。どうやらメリンダが助言するまでもなく、とっくに二人は両思いであるようだ。
――ならば、メリンダがこれからすべきことはただ一つ。
(うふふふふ、ジェラルド様の不器用でポンコツな初恋、面白おかしく見物させていただこうじゃありませんか!)
上機嫌でスキップしつつ王城へ帰っていくメリンダだった。
馬車で来たのに、馬車を忘れて帰りました。




