20:はじめての――――
「アレキサンドライト」
「っ、酷いです。初めてを奪って、恋心も奪って、突き放して――――」
「は? 待て! はっ? はじめて? 初めてって何が」
エドがテーブルからガバリと起き上がって、イスごと少し後ろに下がりました。
なんでそんなに驚いているんですか。
「キスです」
「キス!? だって、アンタ……結婚して…………」
白い結婚だったのです。
唇にも肌にも触れることなど一度もありませんでしたし、結婚式もサインだけして簡素に終わったのです。理由は喪中だからでしたが、たぶん元夫の人は私に触れる気もなかったのだと思います。
「っ、待て……ヤバい。っあ……なんだよコレ…………」
エドが顔を真っ赤に染めて、右手の甲で口元を隠しました。そしてジッとこちらを見つめては、ふよふよと視線を泳がせ、また戻ってきます。
「エドは遊びなれてそうですし、キスくらい普通のことかもしれませんけどっ」
「……遊びは……多少していたのは否定はしねぇが…………アンタをそういう相手とは見てねぇよ……すまなかった」
エドが立ち上がって私の横に来ると、床に跪きました。
「一番大きなところは、嫉妬だった。あの男を『元夫』と呼んだのを聞いて、気が狂いそうだった。上塗りしたかった。俺だけを見てほしいという気持ちと、安全な場所で暮らしてほしいという気持ちが、ぐちゃぐちゃなんだ。俺はここを動けないから……」
「お店があるから、仕方ないとは思います」
「……店は、どこででも出来る」
「え?」
エドが動けない理由は他にあるようです。その話はちょっと長いし複雑だから、今は横に置かせてくれと言われました。
「なんで、ここにいたら駄目なんですか……嫌いじゃないなら、側にいさせてくれてもいいじゃないですか」
「さっきも言ったろ、あの男がまた来る可能性は充分にあると」
「っ…………ご迷惑ですよね」
「迷惑じゃねぇ!」
エドがひときわ大きく怒鳴り、なぜか立ち上がってズボンを脱ぎ出しました。意味が分かりません。
ズボンをストンと落とした瞬間に慌てて目を隠したのですが、エドに「ちゃんと見ろ」と言われました。
「え、あ……その、立派だと」
「……そっちじゃねぇ。緩い生理現象なだけで、勃ってねぇ」
そっちじゃないと言われて、中心以外のところに視線を向けると、エドの右太もも側面に肉が抉れたような大きな傷がありました。
「走れねぇし、戦闘も以前のような立ち回りはできない。数人で来られたら流石に厳しい。アンタを護れないかもしれない」
「だから、突き放したんですか」
「……あぁ。酔ってはいたが…………それは、言い訳だ。ただ、俺に意気地がなかっただけだ」
エドがズボンを穿き直しながら、少し淋しそうに微笑んで変なもの見せてすまないと謝りました。
こちらこそ、変な空気にしてすみませんでしたと謝ると、フハッと笑われてしまいました。
「なぁ…………やり直してもいいか?」
「なにをですか?」
「全部、最初から」
エドがスッと右手を伸ばしてきて、私の頬を包みました。そして、親指でゆっくりと下唇をなぞりながら「いいか?」と聞いてきました。
なぜか声が出せなくてコクリと頷くと、エドが真剣な顔に。
「アレキサンドライト、好きだ」
軽く触れるキス。
「愛してる」
もう一度。
「誰が来ても、何が来ても、俺が護る」
ゆっくり深まりながら、絡まり、離れる。
「アンタを護らせてくれないか?」
「っん……ひゃい、おねひゃいしまふ」
吹っ切れたように勝ち気な笑顔を零すエドがあまりにも眩しくて「カッコイイ」と呟いたのですが、それがエドに聞こえていたらしく、よかったと言われました。
「ベロンベロンだし、言動はまとまらねぇし、幻滅されても仕方ないと思ってた」
「弱さを見せてもらえるのも、嬉しいです」
「ん、そっか」
素っ気ない返事でしたが、照れているのだと今なら分かります。だって、耳を赤く染めてまたキスをくれましたから。