1:妻ではなかった?
「…………はい?」
目の前にいる夫を見つめ、首を傾げました。
だって、何を言っているのか分からなかったので。
「だから出て行けと言ったんだ」
「なぜ、でしょうか?」
「なぜ? お前は他人だからだよ」
夫だと思っていた男が、なにかの書類を私の足元に投げ捨てました。それを拾ってみると、両親との契約書のようなものでした。
『体裁を整えるための妻として、アレキサンドライトを貸し出す。対価として、貸し出し中の金銭的支援――――』
このアレキサンドライトというのは、宝石ではなく私の名前。瞳の中心が赤く、周りは緑色だったことから産みの母が付けてくれました。
八歳のころに母が天に召され、暫くして父が後妻に迎えたのは、酷く自分勝手な女性でした。地位が高く、プライドも高く、美しいひと。父は自分には過ぎた人が妻になってくれたと有頂天。
義母は、散財するのは当たり前のような感覚で、資産を湯水のように使い、我が家は潰れる直前まで来ていたものの、夫の支援により我が家は持ち直していました。
契約結婚だというのは理解していたのです。
夫には召使いのように扱われていましたし、嫁いだのが十五でしたので、ずっと白い結婚ではありました。
それでも、求められて結婚したのだと思っていました。
わがままな義母や、私に関心のない父の側にいるよりも、多少はマシだと思っていたところもあります。なので、愛だ恋だのは気にしてはいませんでしたし、お互い様のような関係ではあったのでしょうね。
だけど、まさか、貸借関係だったとは――――。
「妻にしたい女をやっと見つけた。お前はもう用なしだ。さっさと出て行け。まったく、爵位を継ぐために妻が必要だったが、仮初とはいえ、お前のような愚鈍な女が妻だったという事実が恥ずかしい!」
「そう…………ですか。五年間、お世話になりました」
出て行けと言われれば出て行くしかないのでしょう。元夫にカーテシーをし、私室に向かいました。元より私物はそこまで多くないので、直ぐに荷物をまとめ終えるでしょう。まだ午前中ですし、今日中には出て行けるでしょうね。
持っていきたい物を少し大きめのトランクに詰め込みましたら、一つで終わってしまいました。本当に私物が少ないんですよね。結婚してから買ったものは、布とレース糸くらいでしょうか。それで下着などを縫ったり、デイドレスの補修をしていましたので、服自体は増えていないのですよね。
なけなしのお金で買ったレース糸でレース飾りなどを作って売っては、そのお金でまたレース糸を買い売りまくっていたので、そこそこお金は持っています。
元より何かを買うという趣味も興味もないので、ただいつか何かのときに使える自分のお金として、この五年間ずっと貯め続けていました。
街に出かけることは許されておらず、召使いのように扱われていたとはいえ、夫だった男が気が向いたときだけ命令してきていたので、結婚当初から暇を持て余していました。
部屋でレース編みをしていたとき、徐々に仲が良くなっていたメイドのカリナに「売り物のようだ」と言っていただき、販売することにしたんですよね。
彼女が販売や材料の仕入れを請け負ってくれました。
彼女のおかげで、今の私があると言っても過言ではありません。
「本当に助かっていました。今までありがとう」
「奥様……」
「ふふっ、もう奥様じゃないんですよ?」
カリナにお礼を言い、他の使用人たちにも挨拶をして部屋に戻りました。
――――さて。
実家に戻るという選択肢を選びたくないので、ここが貯めたお金を使うタイミングなのでしょう。
これを元手に、平民街で住む家を見つけ、そこでまたレース仕事でもすれば、きっと一人で生きていけるはずです。