第7話「おかえりと、いってらっしゃい」
春日井家の朝は、静かに始まった。
いつもならキッチンに立つはずの真希が、今はベッドで安静に横たわっている。
代わりにエプロンを結ぶのは、夫・悠真だった。
「……卵焼き、ちょっと焦げたかも……」
「いい匂いするよ! パパ!」
隣で制服の襟を整えている結翔が、満面の笑みでそう言った。
リビングの窓にはやわらかな朝日が射し、どこか静かで優しい空気が満ちている。
――今日から、育休が始まる。
社会人5年目にして決断した「一時離脱」。
迷いがなかったと言えば嘘になる。
だが、家族のために選んだ道だった。
「いってらっしゃい、パパ!」
「……ただいま、って言う日まで、ちゃんと頑張るからな」
結翔と握手を交わし、ベッドで横になる真希にもそっと囁く。
「……行ってくるよ。俺、父親してくるから」
「……気をつけてね。お弁当、冷蔵庫の上よ」
「はーい、主婦力上がりそうです」
冗談のように笑っても、胸の奥には確かな覚悟が宿っていた。
•
その日、悠真は“退職”ではなく“継続”を選び、
社内での「仮引継ぎ・補佐」体制を整えるため、動き出していた。
まず頼ったのは、同期の仲間たち。
進藤あかり。
赤井美波。
村瀬翼。
瀬川陽翔。
「……引継ぎや業務の一部、頼めるか?」
悠真が口を開いた瞬間、全員が即座に頷いた。
「もちろんです。あたしでよければ、何でも」
あかりは即答した。
一瞬でも迷うことがなかった。
「課長代理って肩書き、まだちょっと緊張するけど……春日井さんの分まで頑張る」
「悠真、お前が家庭のために休むって聞いてさ――正直、ちょっと感動した」
村瀬翼がぼそりと呟いた。
「仕事人間だったお前がそこまで言うなら、俺たちも動かないとな」
「うん、何より“家族を選ぶ”って、やっぱかっこいいっすよ」
瀬川陽翔もニカっと笑う。
――男だからとか、社会人としてどうとか、
そんな“空気”の前に、ちゃんと彼らは「人として」の言葉を返してくれた。
•
そして、もうひとつ。
経営陣への「正式な」協力要請。
「社長。副社長。……ご相談があります」
悠真は、ルクシアの頂点に立つふたり――
氷室結衣社長、そして橘理沙副社長の前に頭を下げた。
「春日井真希課長の一時離脱に伴い、進藤あかりを後任代理とし、私自身は育児に専念する期間を取りたいと思っています。
業務体制上の調整やフォローについて、ご協力をお願いしたく……」
言葉が途切れる前に、氷室社長が口を開いた。
「了承します。むしろ、あなたがそうしてくれて、私は安心しました」
「……え?」
「あなたが家庭を大切にしていることを、春日井も喜んでいるでしょう。
ルクシアという会社も、“そういう決断ができる人材”を育てられる場所でありたい」
氷室の声は、いつになく柔らかかった。
「春日井さんには私からも個人的に声をかけておくわ。橘、あとは連携お願い」
「了解。進藤さんのフォローは私と瀬川で分担するわ。事務管理とプロジェクト進行の整備は私が担当する」
橘副社長は即座に動き出した。
その背中に、悠真は思わず――胸の奥で小さく、ありがとうと呟いた。
•
帰宅後、玄関を開けると、いつもと違う匂いがした。
「おかえりなさい。パパ」
ベッドから顔を出した真希が、笑って迎えてくれた。
そして、その横には……
「パパー! えほん読んでー!」
すでにパジャマ姿の結翔が、両手を広げて突進してくる。
「はいはい、まずは手洗いな?」
悠真は笑いながら屈み込む。
“仕事”という名前の鎧を脱ぎ捨て、
“父親”という役割を、いま真正面から抱きしめる。
おかえり。
そして――いってらっしゃい。
春日井家の、少しだけかたちを変えた日常が、
今日もまた始まった。
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