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第8話「それぞれの“選んだ家族”と、新しい一歩」


──『戻る場所は、“家族”という日常』


◆【それぞれの“夫婦の形”】


旅行後の週明け、ルクシアの社内には、どこか穏やかな空気が漂っていた。

それはきっと、社長・氷室結衣と、総務部の瀬川陽翔の存在が関係している。


彼らが“交際0日婚”をしていることを知るごく一部の社員は、誰ひとりとして口外していない。

けれどその代わり、周囲の視線にはどこか温かさが宿っていた。


「社長室、生活感ありますよね……なんか、観葉植物が増えてるし」


「いやあれ絶対、奥さんの趣味でしょ」


「奥さん……って、もしかして……」


そんなヒソヒソ話も、あえて止める者はいなかった。


それは、ふたりの“覚悟”が静かに社内に伝わっていたからだ。


◆【“ママ友”という新しい世界】


真希は、橘理沙副社長とのランチで、ふと打ち明けた。


「……結翔が生まれてから、“会社”と“母親”の間で揺れる瞬間が増えた気がするの。

戻りたいのに、戻るのが怖い……」


理沙はうなずき、温かい口調で言う。


「あなたは“課長”であり、“母”でもある。

そのどちらも、今のあなたをつくってる。揺れるのは当たり前よ」


「……理沙さんは?」


「私? 私はね、子どもはいないけど……それでも“誰かを守りたい”って思ったとき、

ちゃんと仕事も人も選ぶようになった。真希も、そういうふうに自分のバランスを探せばいいと思う」


その言葉は、母として、上司として、そしてひとりの女性としての真希の心に、確かに響いた。


◆【同期という“味方”】


一方――悠真は、村瀬翼・赤井美波・進藤あかりと4人で仕事終わりに居酒屋へ。


「それでさ、結翔が最近“んま〜”って言うんだよ!」


「……それ、絶対ごはんの“うまい”から来てるでしょ」


「赤ちゃんって食に正直で羨ましいわ。社会人、いろいろ飲み込まなきゃいけないしね」


そう言って笑うあかりの言葉に、悠真は静かに応える。


「……でも、俺は、全部守りたいって思った。

真希さんも、結翔も、仕事も――どれも中途半端にしたくないからこそ、ちゃんと“選んで”進みたい」


翼が頷く。


「お前は昔から、言ったことには責任持つタイプだったからな。……見てて安心するよ」


この言葉に、悠真は小さく頭を下げた。


◆【“家族”という強さと、選択】


週末の夜。

静かなリビングで、結翔の寝息を聞きながら、ふたりは寄り添っていた。


「……職場復帰、考えてるの?」


「ええ。でもまだ結翔の離乳も途中だし、預けることへの不安もあるし……」


「俺がサポートする。できることは全部やるよ。……だって、俺たち、家族でしょ」


その一言が、何よりも真希の背中をそっと押した。


「ありがとう、悠真。……私、もう一度ちゃんと働くわ。“母として”じゃなく、“私として”」


ふたりはそっと唇を重ねる。


そこにあったのは、仕事でも家庭でもなく――

“人生”を共に歩む覚悟の、優しく確かなキスだった。



──『“私にしかできない形”で、家族を守る』


◆【“母であること”と、“課長であること”のあいだで】


真希は、ベビーベッドで眠る結翔の頬をそっと撫でながら、ふと手帳を開いた。


そこには、復職スケジュールと課の進捗、託児所の空き状況、家庭との時間割――

びっしりと書き込まれた「すれ違いを避ける努力」の跡が刻まれていた。


(……私、こんなにも“段取り”ばかり気にしてる)


肩に乗ったものは、「不安」ではなく「責任」だった。

家族を支えながら、職場でも“母親として特別視されないように”振る舞おうとする、真希なりの覚悟。


けれど――


◆【“同期”という支え】


その夜、悠真は帰宅が少し遅れた。


ドアが開いた瞬間、真希の中に小さな“焦り”がよぎった。


「……おかえり。遅かったのね」


「ごめん。村瀬たちと少しだけ話してて」


悠真が差し出した袋には、春の和菓子と栄養たっぷりのスープが入っていた。


「……戻るって決めたの、嬉しいよ。でも焦らなくていい。

真希さんは“会社のため”に戻るんじゃない。

“自分らしく”生きるために、戻るんだろ?」


その言葉に、真希は少しだけ目を伏せた。


「……自分らしく、か。

難しいわよ、“母であり、課長であり、女であること”全部なんて――」


「難しいから、支え合うんじゃん。俺たち、夫婦だろ?」


悠真のその真っ直ぐすぎる一言に、不意に涙が滲んだ。


「……ほんと、あなたって時々ずるいのよ」


そう言って小さく笑い、真希はそのまま彼の胸に身を寄せた。


◆【“それぞれの形”を受け入れる】


その後日、真希は橘副社長に呼ばれ、社内の控え室でふたりきりの会話を交わした。


「……理沙さん。私……怖いんです。

“育休明けの課長”ってだけで、何か違う視線を向けられるのが」


「うん、それはあるわ。避けられない。でもね」


理沙はコーヒーをテーブルに置きながら、穏やかに続けた。


「“母親であること”を恥じる必要なんて、ない。

あなたは“春日井真希”という名前でずっと仕事をしてきた。

それはこれからも、何も変わらない」


「……そう言ってもらえると、救われます」


「何より、私はあなたが“母として悩んでること”そのものを、すごく尊敬してる。

……私には、まだその経験すらないから」


静かな沈黙のあと、真希は深く頭を下げた。


(――私にしかできない、“私の形”で進もう)


◆【“家族”という場所へ、また帰っていく】


夜。

家では悠真が離乳食を作り、結翔の寝かしつけを終えていた。


ふたりきりの時間、ソファに寄り添いながら、真希はぼそりと呟いた。


「……私、やっぱり仕事が好き。責任あることも、部下の育成も、目標を追うことも全部」


「うん、知ってる。だから、戻ってきてくれて嬉しい」


「でも……あなたがいてくれるから、そう思えるのよ。

結翔がいてくれるから、働きたいと思えるのよ」


「じゃあ、“ふたりがいるから、私はがんばれる”って、胸張って言えばいいさ」


「……うん」


そっと寄り添い、唇を重ねる。


“公表”はまだ先。

でもふたりは、もう堂々と“家族”であることを受け入れていた。


灯りの落ちた部屋で、ふたりの指が静かに絡み合う。

そのあたたかさが、なによりの“未来の約束”だった。



──『あなたとなら、すべてを選べる』


◆【“私として、母として”】


復職の話を決めた夜、真希はベッドに入りながら、天井を見つめていた。


「……ねえ、悠真。私、ちゃんと戻れるかな。

“課長”として、“母”として……どちらも中途半端になりそうで、怖いの」


横でうつぶせになっていた悠真は、真希の髪をやさしく撫でながら、真っ直ぐ言葉を返した。


「中途半端なんかじゃないよ。

ふたりとも全力でやってるじゃん。……だから、俺は何も心配してない」


その言葉に、真希は思わず目を閉じた。


(あなたがそう言ってくれるだけで、私は……何度でも立ち上がれる)


「じゃあ、お願い。これからも、隣で私を支えて」


「ううん、支えるんじゃない。隣で一緒に歩くんだよ。

俺たち、夫婦でしょ? パートナーでしょ?」


――そう言って、指先をそっと絡める。


真希は、小さく「うん」と呟き、彼の胸にそっと顔を埋めた。


◆【子どもと一緒に育っていく】


リビングに残る小さな湯気の匂い、乾ききっていない哺乳瓶、

ベビーベッドで丸くなって眠る結翔の寝息。


どれもが、今の“家族のかたち”だった。


「……この時間があるから、頑張れるのよね。私たち、きっと」


「うん。結翔に育てられてるの、俺たちのほうかもね」


ふたりはそっと笑い合った。


その笑みの奥にあるのは、“選んだ人生”への誇り。

誰に見られなくても、誰に認められなくても、

この時間こそが、ふたりにとってかけがえのない“原点”だった。


◆【揺るがぬ場所へ】


やがて部屋の灯りが落ち、

ふたりは眠る子のそばで手を取り合ったまま、ゆっくりとまぶたを閉じる。


「……明日からも、きっと大変ね」


「うん。でも、一緒なら大丈夫」


(あなたとなら、全部選べる。母としても、上司としても、私でいられる)


心の中でそう繰り返しながら、真希は静かに眠りについた。


それは、母として、女性として、

そして“妻として”――新しい朝を迎えるための、決意の夜だった。



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