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第1話「はじめての“3人の朝”」



◆【午前4時の泣き声】


「……ふえ、……えぇえん……」


その小さな泣き声に、春日井真希はぼんやりと目を開けた。

ベビーベッドでぐずるのは、生後5ヶ月になる息子――結翔ゆいと


「……起きたか」


横で眠っていた高槻悠真が、目をこすりながら体を起こす。


「私が行くわ……交代よ」


「いや、今日は俺。昨日真希さんが夜中2回も対応してくれたでしょ」


「ううん……ありがとう。じゃあ……お願いね」


まだ外は暗い。

しかし、この“3人の朝”は、いつもこの泣き声から始まるのが日常になっていた。


◆【ミルクと寝落ちと、静かな幸せ】


結翔を抱き上げ、キッチンで哺乳瓶の温度を確かめる。

「お湯ちょっと熱かったかな……でも、泣き止んでよかった」


ミルクを飲ませながら、結翔が安心したように目を細める。


「……可愛いなぁ、もう」


寝落ちしかけるわが子の頬を指先でなぞりながら、悠真の顔には、自然と笑みがこぼれる。


寝室のドアの隙間から覗いていた真希も、そっと微笑んだ。


「こういうの、たまらないわよね」


「育児って大変だけどさ、こういう瞬間あると全部ふっとぶよな」


互いに目を合わせ、声もなく笑い合うふたり。

それは、恋人としてではなく、“親”として分かち合う、かけがえのない感情だった。


◆【社内の“視線”】


その日の昼下がり。ルクシア本社、開発部。


「なあ、聞いた? 春日井課長、最近すっごく優しくなったって」


「わかる。なんか、“母性出てる感”ない? あの人、もしかして……」


「えっ、いやまさか。でも妙に落ち着いてるよなあ最近」


――噂は、風のように広がる。


本人は何も言っていない。

だが、彼女のまとう空気と、時折の“遠い目”が、周囲に不思議な予感を与えていた。


◆【ふたりの秘密】


「……あのさ、もしかしてだけど。真希さん、最近“会社でバレるかも”って思ってる?」


帰宅後、ソファで結翔を寝かしつけながら、悠真がぽつりと口にした。


「正直……ちょっと感じてる。育休復帰してから、視線が微妙に変わった気がするの」


「でもさ、今までだってギリギリで隠してこれた。俺たちなら大丈夫。絶対、守るから」


「……ふふ、頼もしいのね。悠真、“パパ顔”になってきたわよ?」


「それって……褒めてる?」


「もちろん。世界一、素敵な“夫”で“パパ”よ」


そっと手を伸ばし、指先が触れ合う。


それだけで安心できる関係。

けれど、この“秘密の時間”が、いつまで続くのか――


誰にもわからない。


◆【同期たちの“知っている沈黙”】


昼休み、ルクシア本社の社員食堂。

静かに並ぶランチトレイと、適度な雑談が飛び交う中――


「ねえ、悠真。最近、寝不足そうじゃない?」


声をかけてきたのは、同期のひとり、赤井美波。

清楚で知的な雰囲気だが、こういう時は鋭い。


「まあ……色々あるってだけ。な?」


「“色々”って便利な言葉ね」

隣の席に座った進藤あかりが、意味ありげに微笑む。


「深夜のミルクタイムとか、オムツ替えとか?」


「おいおい……声、声……!」


慌てて目配せした悠真の向かいでは、村瀬翼がサラダをつつきながら肩をすくめた。


「俺たち、別にバラしたりしねーよ。な?」


「うん、もちろん」

「絶対に言わないわよ」

ふたりの声は静かに重なる。


この3人は、春日井真希と悠真が“既に結婚していて”“子どもが生まれている”ことを知っている、数少ない理解者たちだった。


彼らには、真希の妊娠中から見守ってもらっていた。

だからこそ――「この関係を守りたい」という想いも、誰より強い。


「でもさ、そろそろ……社内の空気、気づいてる人もいるっぽいよ?」


赤井がそう言うと、進藤あかりも真剣な顔でうなずく。


「“春日井課長、最近すごく柔らかくなった”って声、ちらほら聞くし」


「だよなぁ。目つき変わったとか、誰かと付き合ってんじゃね?って憶測も飛んでるっぽいし」


悠真は、そっとトレーの端を見つめる。


「……でもさ、それでも、俺たちは“いま”を大事にしたいんだよ」


「わかってるって。だから、俺らも支えるんだろ」


「……ありがとう、みんな」


その言葉に、誰も声を返さない。

ただ笑って、昼休みのざわめきに紛れていく。


それが、彼らなりの“守る誓い”だった。


◆【夜の静寂、ふたりの時間】


帰宅後、結翔をベビーベッドに寝かせたあと。

真希は湯上がりの髪をタオルで拭きながら、ふと悠真に問う。


「……今日、翼くんたちに会った?」


「うん。昼休み、ちょっとだけ」


「……バレそう?」


「大丈夫。あの3人は、絶対に守ってくれるよ。なんなら“バレそうになったときの演技”までしてくれそうな勢いだったし」


「ふふ、それは頼もしいわね……」


真希は、ふっと表情を緩めた。


「……でも、気が抜けないわね」


「うん。でもさ、こうして一日が終わると――やっぱり俺は、幸せだなって思うよ」


悠真がそっと、真希の肩を抱く。

背中には眠る赤ちゃんの寝息が、穏やかに響いていた。


――それが、ふたりにとっての“かけがえのない家族の音”。



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