第6話「はじまりの鼓動と、揺れる心… 涙の朝と、強くなる決意」
◆【“母になる”ということ】
朝、まだ外は薄暗い。
春日井真希はキッチンに立ちながら、ふと手を止めた。
湯気の上がる電気ケトルの前で、目を閉じる。
――気持ち悪い。
つわりという現実が、彼女にじわじわと忍び寄っていた。
朝の吐き気、眠気、ふとした瞬間に感じる倦怠感。
「……私の身体、こんなにも変わるのね」
これが“命を宿す”ということ。
それを、身体の芯から知っていく日々。
けれど、それ以上に彼女の心を動かしていたのは――
“お腹に、悠真との子どもがいる”という、確かな実感だった。
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◆【戸惑う夫と、見守る優しさ】
「真希さん、顔色……あまりよくない」
朝食のテーブルに向かうなり、悠真はすぐ気づいた。
「うん、ちょっと……つわりがきてるのかも」
そう言って無理に笑う彼女に、悠真は箸を置いた。
「会社、休めるなら今日は休んで。無理しないでほしい」
「……ありがとう。でも、今はまだ、仕事をしていたいの。気が紛れるから」
そう言う真希を、悠真は責めなかった。
それが彼女の強さだと知っていたから。
でも、彼の胸の奥には確かに“戸惑い”があった。
――俺は、ちゃんと“父親”になれるのか?
彼女の身体は変わっていく。
日常はすでに、今までと違うリズムで動き始めていた。
だからこそ、彼は何度も自問した。
何ができる? 何をすればいい?
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◆【母性と予感】
昼、真希は休憩室でこっそり椅子に座り、そっとお腹に手を当てた。
「……元気に、育ってる?」
まだ何も感じない。
でも、確かにここに命がいる。
不思議だった。
生きてきた中で、こんなにも誰かを“守りたい”と思ったことがあっただろうか。
“育てる”という言葉の重さが、胸にじんわりと沁みていく。
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◆【夕暮れの食卓】
夜。
悠真が作ったスープの香りが、部屋に広がっていた。
「ほら、トマトと卵の中華風スープ。真希さん、これなら食べやすいって言ってたから」
「……優しいわね、あなたって」
彼女はスプーンを手に取る。
ひと口、ふた口と運ぶたびに、ほんの少しずつ、気持ちも和らいでいく。
「ありがとう。本当に、支えられてる」
悠真は照れたように笑いながらも、真剣な目で彼女を見つめた。
「俺にできること、もっと知りたいんだ。
真希さんのことも、赤ちゃんのことも……だから、何でも言って」
「……うん。頼りにしてるわ。すごく」
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◆【ふたりの静かな夜】
湯船にゆっくりと身体を沈めながら、真希は深く息をついた。
身体はまだ慣れない変化に驚いている。
けれど、隣に悠真がいるだけで、不思議と心が落ち着いていく。
「……悠真、ありがとう。あなたがそばにいてくれてよかった」
「俺も。真希さんと一緒に、この子を迎えられるって……ほんとに幸せ」
お湯の中でそっと手を重ねる。
そのぬくもりが、すべてを語ってくれていた。
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◆【朝の光と、ぬくもり】
翌朝。
カーテンの隙間から差し込む淡い光が、寝室を照らしていた。
真希は目を覚まし、横に眠る悠真の寝顔を見つめる。
その胸の中には、愛おしさと、ほんの少しの“こわさ”があった。
――私、本当に、母親になれるのかな。
彼女は、そっとベッドを抜け出してリビングへ。
けれど立ち上がった瞬間、ふわりと視界が揺れた。
「っ……」
ソファに手をつき、息を整える。
「……ダメね、私。もっとしっかりしなきゃって思ってるのに……」
ふと、涙がこぼれた。
理由なんて、なかった。
けれど、あふれてくる涙は、止めようもなかった。
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◆【支えるということ】
その時、後ろから毛布を肩に掛ける気配があった。
「……起きてたんだね、真希さん」
悠真が隣に座り、彼女の肩に手を置く。
「つわり、またひどい?」
真希は、首を横に振った。
「違うの……そうじゃなくて……」
嗚咽混じりの声が漏れる。
彼女は、ぽつぽつと想いを吐き出した。
「なんだか、怖いの……。
この子をちゃんと育てられるか、自信がなくて……
大人なのに、母親になるってことが、こんなにも不安で……」
言葉の途中で、涙があふれて止まらなくなる。
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◆【優しい約束】
悠真は、黙ってその涙を受け止めた。
肩を抱き、額をそっと寄せ、彼女の髪を撫でる。
「真希さん、大丈夫だよ。
怖くて当然だし、不安になって当然だよ」
「……でも……」
「でもさ、俺がいるよ。
全部を支えるって、約束する。
まだ父親になる実感は、正直ちゃんとは湧いてないけど――
真希さんが“母”になるなら、俺は“父”になる。絶対に」
その言葉に、真希は顔を上げる。
「……ほんとに?」
「うん、ほんと。俺たちなら、きっと大丈夫。
不安なときは泣いていいし、甘えていい。
ふたりで、この子を迎えよう」
彼女の瞳が、涙で濡れながらも、少しずつ光を取り戻していく。
「……ありがとう、悠真。
あなたが夫でよかった……心から、そう思う」
そして、ふたりはそっと額を合わせ――
確かなぬくもりの中で、微笑みを交わした。
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◆【未来のために】
出勤準備のなかで、真希はふと立ち止まって言った。
「今日、柳瀬部長に一度話してくる。
体調のことも、今後の働き方のことも……ちゃんと向き合いたいから」
「うん。応援してる。俺も会社では、できるだけ周囲に気をつけるよ。
今は秘密でも……いつかきっと、堂々と言える日が来る」
未来のために、今できることを積み重ねていく。
涙を拭い、背筋を伸ばし、ふたりはまた、新しい一日を歩き始めた。
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