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番外編⑥:プロポーズ未遂編 ――「言えなかった。でも、伝わってしまったが… まだ言葉にならない想いも、ちゃんと届いていた」


■約束の待ち合わせ


日曜の午後五時。

悠真は駅前のカフェで、胸の奥を静かに落ち着けながら待っていた。

指輪の入った小箱は、上着の内ポケットにしっかりと収めてある。


「今日こそ、“決める”。……ちゃんと伝えるんだ」


数分後、真希が現れた。


白のロングコートに、薄桃色のスカーフ。

そして耳元には、小さな一粒パールのピアス。


「……真希さん、すごく綺麗です」


「え? あ、ありがと……そ、そんなに褒めないでよ、緊張するから」


お互いに、空気を読むように笑った。



■静かなレストランにて


予約していたのは、郊外の丘に建つ、小さな隠れ家レストラン。

大きな窓からは、やわらかく沈む夕日と、街の灯りがちらちらと見えていた。


個室のテーブルに案内され、軽い乾杯を済ませて、料理が運ばれてくる。


「……なんか、特別な日みたいね」


「そうですね。……特別な日に、したかったんです」


悠真は、内ポケットに指をかけた。


“今なら言える”。

料理がひと段落し、空気がふたりきりになったこの瞬間なら。


けれどそのとき――


店の入り口から、大きな音と、声が聞こえた。


「すみません! すみません、私、予約の名前間違えてたみたいで!」


真希がそっと眉をひそめる。


(えっ……この声、まさか――)


ドアが開き、スタッフの後ろから現れたのは、

社内広報チームの佐伯美奈だった。


彼女の視線が、こちらの個室にチラッと向く。


(うわっ……!)


悠真と真希、同時に内心で悲鳴をあげる。


幸い、彼女はこちらに気づかず、別の部屋へ通されていったが――


完全に“ムード”が壊れた。



■結局、言えなかった


「……なんだか、急に現実に引き戻された気がするね」


真希が苦笑いを浮かべた。


悠真は、ポケットにかけた手を、そっと戻した。


「……今日は、言わない方がいいかもな」


自分の中で、何かがほどけた気がした。

それは諦めではなく、もう少し丁寧に届けたいという想いだった。



■帰り道、でも彼女は気づいていた


帰りの車内、助手席の真希がぽつりと呟いた。


「……ねえ。今日って、もしかして……“特別な日”にしようとしてくれてた?」


「……えっ」


「分かるよ。あなた、最近ずっと何かを準備してた。

たぶん……“そういう日”になるんじゃないかなって、どこかで思ってた」


「……本当は、そうだった。

でも……ちゃんと“ふたりだけの空間”で、真希さんだけを見て言いたかったから。

今日は……やめた」


少しの沈黙のあと――真希は、静かに笑った。


「……正解だったと思う。

今日の私は、もしかしたら“受け取る心の準備”が、ちょっと足りなかったかもしれないから」


そして、悠真の手をそっと握った。


「でもね。言わなくても、伝わってたわよ。……あなたの“想い”も、“覚悟”も」



■未遂でも、絆は深まる


その夜。

何も起きなかったはずの一日は、ふたりにとって忘れられない夜になった。


プロポーズは、未遂に終わった。

けれどその分だけ――


“そのとき”は、もっとふたりにとって確かなものになる。

そう信じて、次の“決行日”を心に描く悠真の目には、もう迷いはなかった。


■静かに揺れる夜のドライブ


「……ごめんね、変な終わり方になっちゃって」


帰りの車内、悠真がそっと口を開く。

ワイパーがリズムよく窓をなぞり、フロントガラスの外には小雨が降り始めていた。


「ううん。むしろ、感謝してる」


「え……?」


「今日、“言わない”選択をしてくれたことに、よ」


真希はハンドルを握ったまま、前を見ながら優しく言った。


「ムードが壊れてたのもあるけど……それよりも、私の中で、“ちゃんと受け止められる自信”がまだなかったの」


「真希さん……」


「でも、だからこそ思った。

あなたってほんとに、私を“女”として見てくれてるんだなって。……ちゃんと、タイミングまで私に合わせようとしてくれて」


その声は少し震えていて、でもどこまでも澄んでいた。



■小さな“ありがとう”の代わりに


帰宅後、玄関先で靴を脱ぎながら、真希がふとつぶやく。


「ねえ、今日の予定、ひとつだけやり残してない?」


「えっ?」


「……観覧車、ないけど。代わりに、家の中で“キス”してもいい?」


振り返った悠真の手を、真希がすっと引いた。

そのまま、何も言わずに軽く背伸びして――唇を重ねる。


(……ああ、言葉じゃない。こうして気持ちって、伝わるんだ)


たった数秒のキスだった。

けれどそれは、“言えなかったプロポーズ”の代わりになるほど、深いもので。



■夜更け、指輪の箱に触れながら


その夜、悠真はひとり、クローゼットの奥から指輪の箱を取り出した。


「……まだ、お前の出番じゃなかったけど――次こそは」


指先で、箱をなぞる。

真希の薬指に、このリングがぴったり収まる瞬間を思い浮かべながら。


それはまだ“未来”の話。

でも確かに、その未来はすぐそこまで来ている。



■そして、彼女もまた……


同じころ。

真希もまた、引き出しから小さなアルバムを取り出していた。


そこには、数年前までの“仕事一筋”だった自分の写真たち。


「こんな私が、誰かに“プロポーズされるかもしれない”なんて……」


ぽつりとつぶやいて、アルバムを閉じる。


でも、笑っていた。

その頬は、やさしく紅潮していた。



■未遂という名の、通じ合い


ふたりは、まだ“何も交わしていない”。


指輪も、誓いの言葉も、婚約の報告も――すべてはこれから。


けれど、心はもう決まっていた。


だからこそ“未遂”のままでも、今夜は幸せだった。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます!

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