第24話 エルフ村 急
グリフォンの足が、容赦なくシドを踏み潰す。
愉悦に塗れた目が、シドに近付いた。
「守るはずの従者も森も奪われても、誰も助けてくれなかったんだぁ。魔王なのに、可哀想になぁ。三年前に大人しく死んでいりゃぁ、情けねぇ目に遭わなくて済んだのになぁ、雑魚竜さんよぉ」
シドは苦々しく、大きな鳥の目を睨み返した。
「あれだけの数の騎士団を率いて竜一匹殺せなんだ輩がよく言う。召喚した勇者もエフトラも、所詮はその程度よ」
言葉と共に笑いを吐き出す。
踏みつける足に力が入った。
内臓が潰れそうになって、息が止まった。
「虚勢も御託も要らねぇんだよ。魔王の命に価値なんか、ねぇんだからよ」
「この大陸における魔王の意味すら知らぬのか。それで良く、世直しなどと……ぁぁっ!」
ぐりぐりと少しずつ、ババルが踏み潰す力を増した。
隙間に結界壁を張って、何とか耐える。
「無駄な抵抗してないで、さっさと死ねよ。そういうの、もういいからさぁ。面倒なんだよ、マジで。人様のハーレムぶっ壊してトガルまで焼きやがってよぉ。ラーシャ様のお叱りを受けんの俺なんだから、察しろよ」
声に苛立ちが増した。
怒りが魔力に乗っている。
わかっていたが、本当に賢くないらしい。
「ラーシャ……。それがエフトラの使徒の、トップか」
「四賢者の筆頭だよ。もっと偉い人は他にいんだよ。その人にまで叱られたら俺、大変なの。これ以上、俺に時間と手間、掛けさせんな。苛々させんな。もっと素が出ちゃうだろぉ。嬲る前に一思いに殺しちゃうよぉ」
体の荷重をかけて、ババルが圧を強める。
グリフォンの顔が近付いた。
結界壁に罅が入る。
(ふざけるなよ、異物の小童が。白竜の力さえ戻れば、貴様など造作もないのに)
パキン、と結界壁に大きな亀裂が入った。
「ホラホラ、もう無理じゃん。耐えるだけ無駄じゃん。死んじゃえよ。只でさえ、お前には業腹なんだからさぁ。嬲って遊んでから殺したいのに、手加減できないよぉ。うっかり殺しちゃうよぉ」
ババルが嘲る。
小さな虫をいびるように、足に魔力を流し始めた。
「なん、だ……っ」
「俺の高貴な赤い火で炙ってやるよぉ。クソ雑魚蛇竜」
シドの足を赤い火が焼き始めた。
「っあぁ! 貴様、必ず後悔させてやるぞ」
竜の体では感じないような痛みが足をジリジリと焼く。
ババルがグリフォンの頭をシドに近付けた。
「後悔って、どんなん? 教えてみろよ、雑魚竜」
グリフォンの嘴がシドの肩を噛んだ。
くちばしの先が肩の肉を抉る。
「ああぁっ!」
シドが悲鳴を上げると、ババルが嬉しそうに笑んで目を歪ませた。
「弱くて死んじゃいそぉ。人間の皮ひん剥いて、心臓回収するかぁ」
「心臓、だと?」
「そうだよ。ひ弱ってる手前ぇの価値なんざ、心臓くらいしか……」
ババルが言葉を止めて、シドの胸に顔を近付けた。
「おぃ、心臓どこやった。何で持ってねぇんだよ。心臓、持ってねぇのに、なんで生きて……」
苛立ちより、驚きに染まった顔を眺める。
馬鹿の顔が蒼褪めた。
「……そうか、なるほど。エフトラの使徒の目的は、四大魔王の心臓か。実に、くだらん」
乾いた笑いが込み上げた。
「世直しだなんだとホザいても、結局は異物よ。やはり貴様ら、この世界を壊しに来たのではないか」
手の中に、じわじわとソウの魔力が流れ込んで、凝集を始めた。
絶妙に良いタイミングだ。
「世界の浄化に決まってんだろ。心臓を壊さなきゃ、手前ぇら魔王は死なねぇんだから……」
「浄化か、間違ってはおらぬな。魔王を殺して、その後にこの世界の命総てを奪うか。魔王の心臓で世界樹の封印を解けば、奪った命で世界樹にトガルを実らせられような。エルフの大樹のように! 何とも崇高な志よ!」
エルフ村の大樹を見付けた時から違和感はあった。
命を産みだす大樹に、強い生き物をはめ込み、生気を宿し続ける。
(サリオナとエルフの大樹は、プロトタイプ。エフトラの目的は、アレをこの世界で作ること。エフトラにとり、この世界は餌場で、トガルを生産する場所だ)
蒼褪めたババルが嘴でシドの肩に噛みついた。
「ダメだ、やめろ。魔王に目的を知られたら、俺がカドレア様に、殺される。手前ぇは、今すぐ死ね!」
「貴様が口の軽い阿呆で、良かった。思った以上に聞き出せたぞ」
持ち上げた手をグリフォンの目に翳す。
氷結の刃を大きな目に無数に射しこんだ。
「ぎぃやぁぁあ! 雑魚竜が、ふさけてんじゃ……」
「最後に滑らせた口を褒めてやる。吾のために大儀であったな」
逃げようとする首を、毛を掴んで引き寄せる。
握った薬研藤四郎を、胸の結晶に思い切り突き立てた。
「ぎぃいいい! テメェ、一思いに殺して」
「お前が死ね」
頭の上で、ソウの声がした。
長い刀がグリフォンの頭頂部に深々と刺さっている。
刀を伝って、黒い血魔術が流れる。
グリフォンの大きな体が黒い炎に包まれた。
「観ているなら、覚えておけ。西の魔王、竜王ファフニールが、必ず貴様を殺しに行くぞ。エフトラの使徒、カドレア」
赤黒い結晶に向かい、シドは顎を上げて笑んだ。
突き刺した短刀を、思い切り引き抜いた。
心臓のように拍動する種が、結晶からずるりと抜け出る。
手の中で起こしたブリザードで、剣先のトガルが凍る。
伸びてきたソウの手が、薬研の束にかかったシドの手を握り込んだ。
黒い炎が短刀を伝って引火する。
凍ったトガルが真っ黒に燃え溶け、塵になった。
グリフォンの体が横に倒れ込む。
足が浮いた隙に、ソウがシドの体を引き摺り出した。
倒れたグリフォンもトガルと同じように、塵と化して空気に流れた。
「大丈夫か、シド」
ソウが心配しきりな顔でシドの全身を確認する。
肩を足に目を向けて、苦渋の顔をした。
「すまない。守れなかった」
「馬鹿をいえ。吾は生きておる。この程度、怪我にも入らぬ」
正直、痛いが痛いだけだ。
もし、この場に独りだったら、確実に死んでいた。
(たったの一週間足らずで、もう何度、ソウに命を拾われたか知れんな)
何度もシドの命を守っている相棒は、シドが少し疲れる程度で心配する。
依頼の間だけの主という割に、言葉通り命を張ってシドを守る。
シドにとっては不可解な生き物だ。
「サリオナが、シドを呼んでる。連れて行っていいか?」
「サリオナが? 目覚めたのか?」
ソウの目が、上向いた。
気が付けば、村中に微精霊に戻ったエルフが漂っている。
「シドの命に、少しだけ背いた。トガルを焼くが、エルフを焼かない炎を放った」
ソウの落ち込んだ目が、下向いた。
「だが、エルフも焼けた。御霊になってしまった」
「御霊?」
「これは、精霊の魂だろう? 結局、死なせてしまった」
シドは思わず吹き出した。
ソウのしょぼくれた顔が面白かった。
「魂ではない。力が弱くなって、微精霊に戻っただけだ。力を蓄えれば、元の精霊に戻れる」
ソウが驚いた様子で顔を上げた。
「そうなのか?」
「見てみろ」
シドはエルフの大樹に目を向けた。
ソウの炎は本当にトガルだけを焼いたらしい。
エルフの森の大樹は葉を青々と茂らせる、昔の姿に戻っていた。
「あの大樹は元々、エルフが生まれる木だ。サリオナの精気に触れて、森の精霊となり生れ落ちる」
エルフの大樹に、微精霊たちが吸い寄せられる。
枝葉の隙間に身を寄せて、眠り始めた。
「枝葉の間でしばらく休めば、今度こそエルフとして生れ落ちよう」
「まるで大樹に:灯りが:燈ったようだ。綺麗だな」
ソウが安堵した顔で大樹を眺めた。
うっとりとしたソウの顔は微笑んで、優しい。
ソウのほうが、よっぽど綺麗に見えた。
「お前が救った命だ」
「救った? 俺が?」
ソウが意外そうな顔をする。
「違うのか? エルフを救いたかったのだろう?」
「それは、そうだが」
ソウの顔が戸惑った。
「俺はただ、シドのためにエルフを守ろうと思った。それだけだ」
「吾のため? 何故?」
意外な言葉に首を傾げた。
「シドは、魔獣もエルフも、殺したくなかっただろう」
「あぁ、そうか」
蛇の時と同じだ。
思想も信念も心もシドの一部だと、だから守ると、ソウは言った。
(出会ったばかりの相手に、何故これ程、献身できるのか)
全く理解できない。
出来ないが、感情だけは、湧き上がる。
「やはりソウは不可解だ。だが、助かった。礼を言う」
シドの顔を見詰めたソウが笑んだ。
「あぁ。シドが笑えて、良かった」
その笑顔を見ていると、心が和む。
こんな感覚は何千年振りだろうか。
同じようにソウが笑って良かったと、自然に思った。
【後書き】
頭が悪い人間は、同じ言葉を何度も使ったり、ちょっと知ってる難しい言葉を使いたがる。
そもそも賢い人は自分を賢いって言わないよね。
という発想から生まれたババルでした。
昔だったら、エフトラやトガルも救うような話にしたと思うけど、今回は命の忖度なしに、大事な命を守るために殺しに来る命を摘む選択をしたいと思います。万人を救うって神様でもできないもんね。そもそも救いってなんだみたいな話になってくるけど。いつもの如く気が変わらなければ。
初のシド目線。
今後は増えそうです。




