第20話 血魔術の釣り
シドの指示に従い、南西方向に森を移動した。
野宿して、次の日は移動に費やした。
南下するにつれ魔力は濃くなるのに、魔獣の攻撃が減った。
まるで、こちらの様子を窺うように気配が身を潜めているようだった。
お陰で戦闘を避け移動の距離を稼げたが、気掛かりな気配だった。
陽が暮れる前に火を起こして、今日の野宿の準備をした。
近くに川が流れているのを見付けて、駆け寄った。
「シド、川がある」
「吾の居城がある山から流れる川だ。居城を覆う雪と氷が解けて、川に流れ込む」
「シドの魔力か?」
シドの魔力は、雪のように白くて美しく、冷たい。
「それもあるし、そういう土地でもある。永年、雪と氷に閉ざされた場所だ」
「そうなのか」
そんな土地に魔王討伐に入った勇者というのは、体も装備も屈強なのだろうと思った。
シドにそれを言ったら不機嫌になりそうだから、黙っておいた。
川辺に近付くと、草の匂いがした。
「:胡荽が自生している。水が清い証だ」
綺麗な沢にしか自生しない草だ。
整腸作用や解毒作用があるので、里にいた頃も薬にして使っていた。
「この世界にも、日ノ本と同じ草があるのだな」
ソウは胡荽の根元を持って、根から摘んだ。
葉も根も、日ノ本で見た胡荽と同じだ。
「パクチーか? 匂いのキツイ草だが、食事などに添えてあるな。喰うのか?」
「日ノ本では薬にしていた。腹の調子を整えたり、解毒の作用がある。不眠にも効くぞ」
振り向きざま、草をシドに近付ける。
嫌そうに顔を顰めて、シドが離れた。
「吾はパクチーの匂いが苦手だ。薬と言われると、納得だな」
シドが鼻を詰まんで距離を取る。
竜も獣と同じで、匂いに敏感なのだろうか。
「この世界では、パクチーと呼ぶのか。可愛らしい名だ」
「可愛いか?」
「可愛くないか?」
語感が可愛く聞こえたのだが。
シドが首を傾げている。
「可愛いとも思えんが。ソウは薬草にも詳しいのか?」
「里では本草学や医術を学んでいた。主を死なせないための知識だが、自分が死なないための知識でもある」
文字の読み書きから始まり、様々な学問を収めるのもまた、草の修行だ。
特に医術や薬、気象や天文は草にとっては欠かせない忍術といえる。
体術と同じくらい重要で、並行して身に付ける。
「あれ程の体術を有しながら知識も知恵もあるのか。草とは皆、そうなのか?」
「里では同じように学ぶぞ。個体差はあるし得手不得手もあるとは思うが、大体同じだ」
忍術を体得しなければ、自分の命が縮まる。
草の仕事は、地味だが命に直結する場合が多い。
シドが、ソウをじっと見降ろした。
「やはり吾は、良き拾い物をした」
シドがするりとソウの頭を撫でた。
童にするような仕草が、何だか気恥ずかしい。
川で、魚が跳ねた。
「シド、魚だ」
「川だからな。魚もおるだろう」
「今夜は魚にしよう。俺が取ってくるから、シドは薪を拾ってくれ」
「主使いが荒いな」
「それもそうか。では、薪を集めてから魚を取ろう」
「吾が木枝を拾う。さっさと魚を取って来い。あの不味い飯を食うより魚を喰いたい」
「わかった」
森に入っていく背中が、ちょっと嬉しそうだ。
主扱いされたい割に、何でもソウがやろうとすると、シドは嫌がる。
そういう性格も、少しずつわかってきた。
(王なのだから、下々に仕えられるのは慣れているだろうに。魔獣とは話ができないから、感覚が違うのか)
エルフ族はアルハのような人型だと話していた。
ならば会話も出来そうに思うが。
あまり絡みもないのだろうか。
(人と同じように思考し、会話ができる竜が何千年も一人で生きてきたのだとしたら、それはどんな気持ちだろうか)
そんなことをぼんやりと考えながら、ソウは左手に血魔術を展開した。
水面に浮かび上がる魚の気配に気を尖らせる。
静かに血を伸ばして、ひものような形状を保って、投げる。
先を静かに水に忍ばせて、魚の体を絡めとる。
掴んだ魚を地面に投げた。
「釣りより楽だ。これなら、腹が膨れる程度はすぐに取れそうだ」
血魔術の扱いも、段々と慣れてきた。
想像できる範囲なら形を変えられる。
銃のように撃ったりしなければ、血が足りなくなる心配もない。
ちょっと楽しくなって、ソウは次の獲物を定めた。
「随分、取ったな」
釣った魚の山をまんじりと眺めて、シドが呟いた。
「今日は何も食べていないから、腹が減っただろう。待っていろ。今、準備する」
鱗を取り、懐に忍ばせていた塩を振る。
木枝に刺して準備した分を火の側に刺す。
何も言う前から、シドが魚を焼く番を始めた。
「魚の内臓、取らぬのか? 町の人間は腹を捌いて取り出していたぞ」
「内臓も苦みがあって美味いぞ。勿体ないから喰え」
シドが微妙に嫌な顔をした。
竜の姿で魚を丸呑みにしたら、全部喰うだろうに。
(竜の力を戻せば、人と同じには喰わんで済むのか)
仕方がないので、シドの分だけ腑分けした。
魚が焼ける頃には、森は夜に染まっていた。
「エルフの村まで、あとどれくらいだ?」
「すぐそこだ。明日の朝に動き出せば、昼前には着こう」
「今日中に向かうべきだったか?」
「いや……」
ソウは周囲に気を尖らせた。
シドが森の中を横目にした。
森の中に、動く気配と魔力を感じる。
「喰ったら休む。明日は日の出と共に動く」
「わかった。火の番は俺が先にしよう」
「頼む」
短く会話して黙々と食事を終える。
横になったシドの隣で、ソウは木に背中を預けた。
長刀を抱えて、懐の薬研藤四郎を握る。
(気配は二つか。精霊のような気、動き方が獣ではない)
目を閉じて集中する。
まるで人のように動く気配を追いかける。
気配が矢をつがう動きをした。
開眼と同時に振り返り、刀を抜く。
飛んできた矢を斬り落とした。
血魔術の炎を纏ったクナイを二本、素早く投げる。
「捉えたか」
「恐らく」
シドが起き上がった。
ソウは森の中に走った。
【後書き】
戦国時代に隆盛した草、忍の者と呼ばれた人々は、当時の最先端の学問を学び知識を有していました。
今でいうところの医学・薬学・農学・生物学・数学・天文学・気象学・心理学などなど。
学問体系が細分化している今だとこういう表現になりますが、昔はもっと総体的に忍術として学んでいたようです。
忍術は口伝で伝えられることが多く、現存する忍術書は貴重です。




