第19話 草の故郷 花笑の里
それまで普通に話していたシドの表情が、思い出したように急に歪んだ。
「あの勇者もどきめ、吾の寝込みを襲いおった。ぐっすり寝てさえいなければ、負けはなかったのだ」
「冬眠中を襲われたのか。守る者はなかったのか?」
暗殺の際、寝込みを襲うのは常套手段だ。
ソウの感覚としては悪くない手だと思う。
やられる方は堪らないだろうが。
「それがエルフを始めとする森の精霊や魔獣よ」
嫌な予感しかしなった。
ここまで森を歩いてきて、魔獣はかなりの数がトガルに寄生されている。
「あの老婆のように、人間もトガルに寄生されるのだろう。精霊もトガルに支配されるのか?」
老婆は死体にトガルが寄生していた可能性が高い。
生きた状態の人間や人と同じ形の者に寄生したら、どうなるのだろう。
思考まで奪われるのだろうか。
「それを確かめに行く。エルフは武術に長けた精霊族だが、ここまでの森の状況を考えると、どうなっているかわからん。寄り道を選んだのは間違いではなかったな」
シドは最初、北に向かおうとしていた。
心臓を取り戻してから動くつもりでいたんだろう。
その選択は間違っていないと、今なら余計に思う。
(魔力が体に馴染んで、魔獣を相手にすると肌で感じる。今のシドの魔力はとても弱い)
ソウが奪ったせいなのか、勇者に討たれたせいなのか。
両方なんだろうが。
今はソウの方が遥かに魔力が強い。
(同じ魔力を共有すると言っても、平等に分け合っている訳ではないのだな)
ソウがシドの分の魔力まで吸い上げてしまっている。
体感的には、そんな感じだ。
「勇者に討たれて、心臓を隠して。その後はどうしていたんだ?」
「一つ所に留まって魔力を回復していた。動けるまでになったら魔獣や人の死骸を転々とした」
「死骸?」
「生きている者を乗っ取れるほどの力がなかった。この体も、ちょうどいいのが死にかけていたから、拾った」
「俺は、乗っ取れると思ったのか」
確か、初めて会った時、脳を喰らって乗っ取ろうと思った、とか言っていた気がする。
「お前には、……がっついた」
シドが気まずそうな顔をした。
「美味そうだったから、がっついた。魔力も回復してきていたから、取れるなら欲しかった」
思わず手を出した、みたいな顔をしている。
ソウは吹き出した。
「取れなくて残念だったな。けど、期待通り俺が美味くて、良かったな」
シドの照れを隠した顔が面白かった。
「今は空腹ではないか? 腹が減ったのなら、喰っていいぞ」
ソウはシドに向かって手を差し出した。
「簡単に他者に生気を与えようとするな」
「シドにしかしないぞ」
シドが何とも言えない顔をしている。
「竜は人のように日に何度も喰わない。生気は数カ月に一度で充分だ」
「そうなのか。便利だな。だが今は、人と同じ食事も必要なんだろう。大変だな」
「人間は頻繁に食事をしないと生きられぬ。使ってみて思い出した。何とも面倒だ」
ソウは懐から革袋を取り出した。
シドがあからさまに嫌そうな顔をした。
「おい、それはあの不味い丸薬か? 気付なら要らんぞ」
「これは兵糧丸だ。保存もきくし持ち運べる便利な飯だ。一粒で一日程度なら動ける」
一粒取り出して、ずいと差し出す。
「快気丸より、不味くないぞ」
「その言い方は、美味くもないんだろう。いらん」
「いいから、喰ってみろ」
シドの顎を掴んで口に捻じ込む。
無理やり口に押し込んで、噛ませる。
ジタバタ抵抗しながらも、シドが兵糧丸を喰った。
「……不味くはない。が、何とも言えん味だ。美味くはない」
「そうか? 俺の里の兵糧丸は他と比べると味が良いのだが」
自分の口にも一丸、放り込む。
「草とは、他にも里があるのか?」
「日ノ本に点々とある。呼び名も仕事も里による。俺の里は:花笑の里と呼ばれて、他に比べると少し特殊だ。この世界の魔術に似た術法を持っている」
「初めて会った時のお前に、魔力はなかったが?」
ソウは革袋を仕舞いながら、思い返した。
「里の始祖が:花笑調という男で、神が治める蘇りの国の住人だったらしい。:呪禁師という者で、霊力が備わっていたそうだ。:里長は調と同じ妖術を使う。俺には、その才はなかった」
だから、他の草や忍びと変わらない仕事をしていた。
この世界の魔術をすんなり受け入れられたのは、妖術が身近だったせいかもしれない。
「なるほど、魔力を受け入れる下地はあったわけか」
才はなかったから、下地があったかはわからないが。
シドがソウの顔をちらりと眺めた。
「花笑か。面白き響きの名だ」
「花が笑うと書いて、花笑だ。調が鬼からもらった名らしい。花が咲くように笑う男だったそうだ」
「ソウとは程遠いな」
「言われてみれば、笑う機会はあまりないかもな」
手が伸びて来て、シドがソウの顎をすぃと撫でた。
「さっき笑った顔は少しだけ、花が咲いたようだったぞ」
そう言ったシドは穏やかで、まるで花が佇むように笑って見えた。
「さて、不味い飯も食ったし、移動するか。流石にこの場所で野宿は、ぞっとせんからな」
トレントを焼き殺した場所で寝るのは、ソウも気が引ける。
「エルフの村は近いのか?」
「遠くはない。二日もあれば着くだろう。今日中に、もう少し南下しておきたいな」
ソウはシドの体を放り投げて、背中に背負った。
「なら、こうして俺が走ろう。その方が早い」
「相変わらず扱いが雑だ」
何のかんのと文句は言うが、シドは背負われることを嫌がらない。
歩くのも走るのも、今の体は限界が早いのだろう。
主なのだから、背負えと命じればいいのに、と思う。
思うが、言えないのがシドなのだろう。
何となく、シドの性格がわかってきた。
「乗り心地が悪かったら、言ってくれ」
「お前は走るのが静かだから、眠くなる」
「そうか。眠ってもいいが、道がわからないな」
「眠りはせんから、さっさと走れ。一先ず南西だ」
「わかった」
たわいないやり取りにも慣れてきた。
シドにソウと呼ばれるのも馴染んできたなと思いながら、ソウは走り出した。
【後書き】
ソウの故郷、花笑の里は神奈川県相模原市にあります。
ソウと:調は、自作他作品『仄暗い灯が迷子の二人を包むまで』(現代ファンタジーBL)に登場する花笑:円の御先祖様です。
:呪禁道を収めた変り種の草という設定で登場します。
仄暗の花笑円はゴリゴリの異能者ですが、本作のソウは普通の草です。
本人が話す通り、呪禁道に適性がなかった草でした。
直系ではないけど、調の血は混じっているから、多少の素質はあったんでしょうね。
ちなみに、花笑調の出身地、神様が治める蘇りの国は熊野です。
平安より昔、京に飽きた調が全国を転々として探し出した拠点が武蔵国です。
だからソウは、秩父山の狼の事情とか詳しかったんですね。