一話「旅の始まり」
「レオン様、それでは出発しましょう」
「あ、ああ。緊張するなあ」
市長屋敷エントランス。
格調のあるシャンデリア、真っ赤なカーペット、均一に並び立つ柱。
どこに視線を向けても気品と趣きを感じられる空間にて。
相変わらず空間に合わせる事もなく、落ち着きなく動き回るレオン。
背中には新品の大きいカバンを背負っている。
そんなレオンとは対称に、空間に自然と溶け込み品格のある立ち姿のエステル。
レオン程ではないが、大きめの旅人用のカバンを背負っている。
身支度を終え、いよいよ出立の時を迎えていたのだった。
「大丈夫です、堂々としていればよいのです」
「分かってはいるんだけど……うわあ、たくさんいる」
レオンは屋敷の玄関の隙間を覗き込みながらそう呟いた。
早朝だというのに、外には大勢の市民が詰めかけていたのだ。
市民の目的はもちろん、剣聖と聖女である。
「昔はこういうの慣れてたんだけど……」
「またすぐに慣れますよ。さ、行きましょう、レオン様」
「あ、ちょっと、待って、心の準備が……」
「行きますよ」
エステルを止めようとするレオンであったが、
そのエステルはレオンの事は気にもせず玄関扉を開け放った。
その瞬間、爆音の様な歓声が屋敷を瞬く間に包んでいった。
『剣聖様あああああああああ!!!!』
『うおおおおおおおおおおお!!!!』
熱狂的な市民達の叫び声がレオンを包み込んだ。
その場にいる誰もが張り裂けんばかりの歓声をレオンに向けていた。
「お、おお……」
「ほら、行きますよレオン様。堂々としてください」
「あ、はい」
エステルに小突かれながら屋敷を出るレオン。
あまりにも力強い人々の声援を受け、
一歩踏み出すたびに転びそうになるような感触を味わいながら歩を進める。
「はは……なんだか、懐かしいなあ……」
「レオン様、もうちょっとキビキビ歩いてください。それでは示しがつきません」
「あ、はい」
エステルに言われるまま背筋を伸ばすレオン。
だが少し歩いた頃にはもう慣れはじめ、手を振る人々に手を振り返す余裕も生まれていた。
かつて王都に凱旋したあの時の様に、剣聖としての歩みを再び進めていた。
声援に受け答えながら歩みつつ、レオンとエステルは会話を始める。
「レオン様。私達は、この人々の希望そのものです」
「ああ。そうだな」
「私は皆の期待に応えたい。そう思っています」
「ああ。俺もだ」
「どうか、お力をお貸しください。レオン様」
「もちろんだ。全力を尽くすよ。エステル」
歓声の中、エステルはレオンに向けて静かに、しかし強い声で語った。
レオンもエステルも、お互いに顔は向けず市民に笑顔を振りまいていたが、
その声からは強い意志をお互いに感じ取っていた。
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ハンマーステッドから外に続く街道に出てしばらくした所にある馬屋にて、馬の手配をしている時だった。
レオンは自分を呼び止める様な声を聴いた。
声のする方を見ると、どうやらハンマーステッドの方から一人の男が手を振りながらこちらに駆け寄ってきていた。
「剣聖様ーーーー!! お待ちくだせえ! お待ちくだせえ!」
荒くれの様な風貌の男が大急ぎでこちらに駆け寄っているのが見えた。
そしてその手には光る小さいコインの様な何かを持っており、
それをレオン達にアピールするかのように大きく左右に振っていた。
「どなたでしょう? お知り合いですか?」
「うーん……知らない人だなあ」
駆け寄ってくる人物の顔を目を細めて見るレオンであったが、知っている人物では無かった。
そしてその人物はレオンのすぐそばまでやってきたかと思うと、
突然地面に頭をこすりながら大声で叫び始めた。
「申し訳ございませんでしたああッ!!!!」
「え、なになになに」
唐突に謝罪される理由など思い浮かぶはずもなく、驚くレオン。
そんなレオンに向けて、男は手に持っているコインをレオンに差し出した。
「せめてものお詫びですッ!!」
「え、なに、これは」
「剣聖様とはつゆ知らず、本当に申し訳ございませんでしたああああッッ!!」
もはや会話になっていなかったが、レオンは差し出されたコインを受け取った。
それは綺麗なオレンジ色の光を放つ金色のコインであった。
「おお、何かすごそうなコインだ。もらっていいのかい?」
「もちろんです、お役に立ててくだせえ!! ではあっしはこれで!!」
男はそういうとすぐに立ち上がり、レオンが礼を言う間もなくハンマーステッドの方へと駆け足で戻っていった。
男の背中を見送った後、レオンとエステルはコインの放つ美しい輝きに目を奪われていた。
「これはアーティファクトですね。見た目はルミナリス金貨ですが、とても神聖な力を感じます」
「へえー。てことは南方大陸のアーティファクトかな?」
「ええ。恐らく魔除けの効果があるのではないかと思います」
「おお……。かなり良い効果じゃないか」
「これで安全に旅ができますね。あの方に感謝いたしましょう。ところで……」
エステルはそう言いながら先程の男の方へと再び視線を向ける。
「結局どなただったのでしょう?」
「わからん……見覚え無いんだけどなあ……めっちゃ謝られたけど俺なんかしたかな……」
レオンもまた男の方へと視線を向けるが、男が何者だったのかは結局分からないままであった。
男の背中から視線を外し、手に持っているコインを見上げながら呟く。
「アーティファクト、昔は沢山もってたんだけどな。全部無くなっちゃった」
「あらまあ……」
「泥水が綺麗な水に代わるやつもあったんだけどな」
「似たような物なら持っていますよ。土と水を入れて混ぜると野菜が出てくるツボです」
「あら便利」
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「今日はこのあたりまでにしましょうか」
「ああ。ここまでは順調に来れたと思う」
「ええ。魔除けのコインのお陰ですね」
日が沈み始め薄暗くなり始めた頃合いにて。
二人は岩陰のあたりで荷物を下ろし、野営の準備を始めていた。
エステルは慣れた手つきで準備を進める。
レオンは馬の背中をなでながら、エステルの様子を見ていた。
「なんだか大分手馴れてるね」
「ええ。幼い頃から巡礼で各地を回ったりしてますから」
「すごいねえ。さすが聖女様だ。エステルって何でも出来るよね」
「そうでもありませんよ、私にも苦手な事はあります」
「へえー。苦手なんて無さそうだけど」
「例えばそうですねえ……」
荷物を広げながら、エステルは考え始める。
「私、結構人に細かいんです」
「へえ、そうなんだ」
「それで人からちょっと距離を置かれたりしてしまって」
「なるほどねえー。難しいところだよね」
「はい。なので、友達は少なかったりします」
「意外だなあ。……あーでも俺も友達少なかったかもな。一日中剣ばっかり振っててさ」
「ああ、わかります。私も魔法の修行ばかりしてて」
「だよねえ。じゃなきゃ剣聖だの聖女だのなんてやってらんないよね」
こうしてレオン達は東部前線に辿り着くまでの間、
様々な会話を交わし、お互いの話に相槌や共感を挟みつつ、親交を深めていった。