十四話「覚醒」
こちらへ向かって練り歩くザガンに向け、ソフィは杖を構える。
「ファイアー……アロー……!」
倒れ込みそうになりながら振り絞るように叫ぶと、杖の先から小さな炎が飛び出し、ザガンに向かっていった。
その炎は勢い良くザガンに飛んでゆく。
だが、ザガンの体に命中すると、まるで煙の様に炎は一瞬で消えていった。
「へえ……さすが賢者様。てめえの魔法は全部封印したつもりだったんだがな。……だが、そんなもんがこの俺様に効くわけねえだろうがよォ?」
「くっ……! なら……!」
ソフィは再び杖を構え、目を閉じて念じる。
やがて、杖の周りに複数の虹色の光球が現れ、杖の周りを飛び始める。
「第三次元……融合魔法……サンライトフレイムアロー……!」
ソフィの力の無い叫びと共に、杖から虹色の光の矢が放たれる。
その矢もまた勢い良くザガンに向けて飛んでゆく。
だが、やはりまた同様にザガンの体の前で霧と化して消えていった。
「ハハハハッ! 今のが例の融合魔法ってヤツか! だがそんな下級魔法じゃ俺様には無意味だぜえ?」
嘲笑うザガン。
ソフィは悔しげに声を漏らし、杖を地面に刺すと、その杖にもたれこむような姿勢で息を切らし始める。
ソフィの様子を見て、更に笑い声を上げながら、ザガンは近づいていく。
「ヒャーッハッハッハ!! 無力、無力!! 無様だなァ! ええ? 賢者様よォ!!」
高らかに笑うザガンに向けて、レオンが動く。
剣を構え、ザガンめがけて走り出しながら叫ぶ。
「それ以上ソフィに近付くな!!」
「いいぜェ、剣聖!! 来いよ! ブチ殺してやらァ!!」
「うおおおおおッ!!」
レオンは叫びながら、ザガンに勢い良く斬りかかる。
だが、その一撃は簡単に、ザガンの肥大化した腕に遮られた。
「そんなもん……効くわけねえんだよなァッ!?」
そしてその巨大な腕が、レオンへと襲いかかった。
レオンはそれを防ぐ事は出来ず、強烈な衝撃がレオンの上半身へと走った。
「うぐあああああああっ!!」
レオンの体は勢い良く弾き飛ばされ、そのまま岩壁へと叩きつけられた。
「がはぁッ!!」
「レオンさんっ……!!」
ソフィが杖を突きながら、レオンに駆け寄った。
レオンは虚ろな目と、弱々しい呼吸をしながら壁にもたれこむように仰向けに倒れていた。
「レオンさん、しっかりして……!!」
「う……あ……」
「今、治療するからね……! エナジーヒール……!」
ソフィは虹色に光る杖をレオンに向けるが、背後から、ザガンの声が響き渡った。
「はい、終わりィ。ジ・エンド。賢者様ァ?」
「あ……あぁ……」
ソフィはその声を聞くと、静かに杖を下ろし、ゆっくりと振り向いた。
後ろには、ニヤニヤとこちらを見下ろすザガンが立っていた。
そして、巨大な腕を高く上に掲げていた。
ソフィはその腕を見上げながら泣き出しそうな声で呟く。
「やだ……やだぁ……!」
「やだねェ? 怖いねェ? でも残念。さァ、苦しめよ、アホ賢者」
ザガンはそう言うと、その巨腕でソフィを薙ぎ払った。
轟音と共に、ソフィの体が、くの字に曲がった。
そして同時に、文字通り骨の折れる音が、ボキリと、ソフィの腕から発せられた。
「……ぃぎゃあああああああああああッ!!!!」
絶叫が辺りに響く。
ザガンはその絶叫を聞くと、気持ちよさそうに目を細め、まるで鼻歌のような声を上げながら聞き入り始めた。
ソフィの恐怖と苦痛にまみれた悲鳴が続く。
「痛い、いだいよ、いだい、いだいっ!! あああああああああ!!!!」
ソフィは折れた腕をもう片方の腕で抑え、絶叫を上げ続ける。
絶え間なく涙が溢れ出し、その場にうずくまる。
その姿を見て、ザガンは勢い良く笑い出し始める。
「ヒャーーッハッハ!! たまんねえ!! つええ奴を一方的にいたぶるの、たまんねえよ!! ヒーッヒッヒッヒ!!!!」
さも気持ちよさそうに声を上げるザガン。
うずくまり悲鳴を上げ続けるソフィ。
虚ろな目でそれを見るレオン。
レオンは、何とか体を動かそうとしていた。
だが、意思とは無関係に体は一切動かず、ただそこにあるだけだった。
「やめろ……! やめろっ……!」
レオンは必死に声だけを出す。
そのレオンの様子を見て、ザガンは更に顔を歪ませる。
「悔しいかァ? 剣聖様よォ。だがてめえが弱いのがいけねェんだぜ? てめえが弱いから、こうなるんだ。おら、見ろよ」
ザガンはソフィの折れた腕を掴んだ。
ソフィが悲痛の声を上げる。
「いだいぃっ!! やめて、やめてぇ……!! もうやだ、助けて、助けてエステルっ……!!」
「剣聖様よォ。よ~く見ておけよ? お前が雑魚で無能だから、こうなるんだぜェ?」
「やめろ……! 頼む、やめてくれっ……!」
ザガンはそのままソフィの折れた腕を引っ張り上げる。
うめき声と共に、その体は力なく宙に浮かぶ。
そして間髪入れず、ソフィを殴りつけ始めた。
一撃ごとにソフィが悲鳴を上げる。
レオンは目の前で、ただただそれを見上げていた。
それを見ている内に、やがて、レオンの心が黒く染まり始めた。
様々な負の感情が、レオンの心を満たしていく。
まるで日が沈んでいくかの様に、レオンの心の中に闇が広がっていった。
そんな中、ふと、ザガンが手を止めて、レオンの方へと視線を向けた。
「なんだか、良い匂いがすんなァ?」
匂いを嗅ぐかの様な動きをした後、レオンの体を注視し始める。
すると、ザガンは喜びの声で言った。
「……おお! これはヴァルザー様の神気!! なんと神々しい!」
そう言いながら、ザガンはソフィの腕を離した。
ソフィは地面に落ちると、そのまま力なく崩れ落ちた。
ザガンはソフィを気にすることも無く、レオンを見続けて言う。
「……で。それが染み出てきたって事は、さてはお前……絶望してるな?」
ザガンのその問いかけに答える事はなく、レオンは倒れこんだソフィを見ていた。
その目には光はなく、まさしく絶望の瞳だった。
「ははッ。いよいよ抑えきれなくなってきたってワケだな? ……そうだ、おもしれえコト考えたぜ」
ザガンはしゃがみ込むと、ソフィの髪の毛を鷲掴み、無理やりその顔をレオンの方へと向かせた。
ソフィが力無く呟く。
「やめて……もうやめて……いたい、いたいよ……」
「なぁなぁ、賢者様よォ。あいつを見てみろよ。あの情けねえ雑魚をよ」
ソフィの視界に、レオンの姿が映る。
壁にもたれかかりながら、虚ろな目でこちらを見るレオンの姿。
その姿を見せつけられながら、ザガンの言葉が耳に入ってくる。
「何でお前がこんな苦しい目に遭うか分かるか?」
同時に、誰かの声がソフィの頭の中に響き始める。
『僕は何も悪い事してないのに、何でこんな目に遭わなくちゃいけないのかな?』
頭の中の謎の声と、ザガンの声がソフィの外と内に響き渡っていく。
「お前がそんなに苦しいのはな、そこにいるゴミクズ野郎のせいだ」
『僕がこんな酷い目に合うのは、アイツのせいだ』
レオンは、ソフィの目を見た。
それは、憎しみに支配されていた目だった。
レオンは、この目をよく知っている。
かつて自分に向けて憎悪をぶつけて来た者達の目だ。
「わかるか? あいつがよえェから、お前はこんな痛い目に遭ってんだ」
『アイツが弱いから、助けてくれないから、僕はこんな痛い目に遭ってるんだ』
レオンは、心の中で、やめてくれと、そう願った。
この目を向けてくる者が一体これからどんな事を言うのかは、考えなくても分かった。
むしろ、考えなくても、勝手に頭の中で想起されていく。
かつて人々から受けた罵声がレオンの頭の中で、意思とは無関係に自動で再生されていく。
「むかつくよなァ? 憎たらしいよなァ? 死んで欲しいよなァ? なあ、恨み言の一つでも言ってやれよ、ホラ」
『ひとこと言ってやろうよ。アイツはこの世にいたら駄目な存在なんだ。少しくらい汚い言葉を吐いたって大丈夫だよ、ほら』
レオンは無意識の内に呟いた。
「やめてくれ、ソフィ……そんな目で見ないでくれ……頼む、頼む……」
ソフィのその目を見るだけで、彼女がどんな言葉を自分にかけてくるか、レオンは容易に想像が出来た。
そして、それを言われたら、自分がどうなるか、それもまた容易に想像ができた。
「ソフィ、頼む、やめてくれ……やめてくれ……!」
「さあ、言えよ、賢者ァ! 言え! 言えッ!! ぶち撒けろォッ!!」
『早く言っちゃいなよ。楽になるよ。ほら、ほら。死んでほしい人がいたら、当然言う事は一つだよね? さあ、さあ』
ゆっくりと、ソフィが口を開き始める。
レオンの心が重く、黒く沈む。
ザガンが期待の眼差しでソフィを見る。
そして、ソフィの言葉が、レオンに向けて、放たれた。
「…………生きて、レオン」
「……え?」
「……あァ?」
レオンの予想とザガンの期待とは全く異なる無関係の言葉が、ソフィの口から発せられた。
ソフィは続けて静かに語る。
「エステルは、言ってたよ……。あなたに、追いつきたいって。そう言って……あなたの事をひたすらに信じていたよ」
「ソフィ……?」
ソフィは憎しみに囚われた目で、しかしその目とは全く異なる言葉を紡ぐ。
「だから、僕は……あなたを、レオンを信じる。エステルが心から信じたレオンを信じる」
「ソフィ……!」
レオンは、何か、何かが心の奥深くで光を発したのを確かに感じた。
ソフィは、やがてその目に憎悪ではなく、希望の光を宿らせながら、力強く言う。
「だから、生きて。……生きて、エステルを助けてあげて。そして、僕達を……この世界を救って……!」
そう力強く、ソフィは語り、振り絞るかのような精一杯の笑顔をレオンに向けた。
レオンは何も言わず、震えながら、しかし希望を持った表情でソフィの笑顔を見続けていた。
ザガンは、静かに二人の様子を見ると、いかにも退屈そうに呟き始める。
「……面白くねえ。面白くねえよ、お前ら。教育が足んなかったか? んじゃ、軽く腕でも切り落としてやるか」
ザガンは再び、ソフィの折れた腕を持ち上げた。
ソフィは一瞬苦痛の声を上げる。
だが、痛みに構わず、意思を持ってレオンに言った。
「レオン! 僕は、僕は信じてる! きっとあなたとエステルが、皆を助けてくれる! 僕はそう信じてる! だから、レオン……! レオン……!!」
ソフィは、力を込め、叫んだ。
「…………生きてっ!!」
レオンは、考えた。
……剣聖とは、何だろうか?
情けない醜態を晒し、無様に叩きのめされ、挙句の果てに敵に許しを請うのが、剣聖の仕事だろうか?
……英雄とは、何だろうか?
守るべき仲間がやられるのを、地面に這いつくばりながら眺め、ただ惨めに泣き喚くのが、英雄の仕事だろうか?
……英雄の使命とは、何だろうか?
人々の希望を担う存在なら、今、ここで、何をすべきだろうか?
……『俺』は、何をすべきだろうか?
ザガンの巨腕から突き出した刃が、ソフィの腕へと向けられる。
そして、その刃が高く掲げられ、振り下ろされようとしたその時だった。
「……その汚い手をどけろ、低級魔族」
ザガンの背後から、低い声が響き渡った。
鋭く細められたザガンの目が、背後に向けられる。
その目の先には、光り輝く剣を携えたレオンが立っていた。
燃え盛る炎の様な力強い意思を感じさせる瞳が、ザガンへと向けられていた。