一話「悪魔王」
ハンマーステッド、市長屋敷。
この街の豊かさを示すその大きな屋敷の煌びやかな大食堂にて。
テーブルの上に並ぶ彩り豊かな料理の数々の前で、椅子に座り口を開けながら見つめる男。
小奇麗な服に身を包んではいるが、その服に見合わない振る舞いと無精髭が少し目立つ。
「お、ほ、ほんとに、ほんとに食べてもいいのか? これ? なあ?」
「もちろんですとも、どうぞどうぞ、剣聖様」
「全部平らげてしまってよいのですぞ、剣聖殿」
「じゃ、じゃあ……遠慮なく」
市長と長老に勧められるままに手を動かす。
おぼつかない手つきでナイフを使い、肉を切って頬張る。
頬張ったかと思うと動きを止め、唸る。
唸ってはまたぎこちない手つきで肉を切って頬張る。
金属がこすりあう甲高い音を立たせながら、遠慮なくもてなしを受けていた。
「素晴らしい料理ですね。ディヴィニアでは精進料理しか許されないので、とても嬉しいです」
「そうでしょうそうでしょう聖女様。この街は鍛冶だけがウリではないのです」
聖女は上品かつ精巧にナイフを操り、しとやかに口に肉を運ぶ。その動きはまるで王族のごとく洗練されていた。
そのせいで目の前に座る男の落ち着きのない動きや立てる音が、否が応でも目立ってしまっていた。
「いやあ、おいしい、本当においしいよ。一生食べてられるね。聖女様も認める料理が食えるなんて光栄だよ」
「そうですね、剣聖様。ところで、まだお互いに名乗っていませんでしたね」
「あっ。そういえばそうだった。俺はレオン。5代目の剣聖だ。会えてうれしいよ」
食器を握りしめながら聖女に向けて軽く頭を下げるレオン。
剣聖とは名乗るが、人々が想像する『剣聖』とはだいぶ異なっているであろう。
少なくとも、口の端にソースを付けながら喋る人物が剣聖かと言われると認めがたいところである。
レオンの挨拶を受け、聖女は食器を下ろし口を拭い、話し始める。
「エステルと申します。5代目聖女を務めております。お会い出来て幸栄です。レオン様」
レオンに向け、丁寧に会釈するその姿には誰もが気品を感じるだろう。
まさしく『聖女』にふさわしい物腰に、レオンも少しかしこまる。
「おお……あ、いや、レオン様なんて大層なもんじゃないし、レオンでいいよ」
「そうは行きません。レオン様。あなたはアウロラリスにおける最も重要なお方なのですから。
けど私の事は気軽にエステルと呼んでくださいね」
「え、あ、そう? じゃあエステルって呼ばせてもらおうかな?」
「ええ、よろしくお願いします。レオン様」
自己紹介を和やかに済ませ、改めて食事を再開する。
肉料理、スープ、サラダ、様々な料理が並べられていたがいずれも絶品であり、
レオンもエステルもその料理に舌鼓を打つ。
時折軽く談笑を挟みつつ、皆で食事を楽しんでいた。
「エステル、もう怪我は治ったのかい? 明らかに重症だと思ったけど……」
「もう大丈夫ですよ。少し時間をかければどんな傷でも治せますので」
レオンはエステルの腹部に向けて視線を向ける。
エステルの着ているローブの脇腹にかけて、大きな縫い目があるのが見えた。
悪魔王の大鎌によって開けられた大穴を縫った後であるのが伺える。
当然縫い目の下は見えないが、重症を負わされた様な形跡はもう見当たらない。
「いやあ、聖女の魔法ってのはすごいんだなあ。感服したよ」
「レオン様の剣技も素晴らしかったですよ。本当に助かりました」
「いやいやそんな……」
和やかに談笑するレオンとエステルに、二人を温かい目で見守る市長に長老。
緩やかな雰囲気の中、満足ゆくまで食事を楽しんでいた。
食事を終え始めた頃合で、食器がメイド達によって下げ始められる。
メイド達が下がった所で、お互いに気になっている点について語り始めた。
神妙な面持ちでエステルはレオンに声をかける。
「レオン様。どこから尋ねればよいのかわかりませんが……」
「……ああ」
「そうですね。まずは、これまではレオン様はどうなされていたのでしょう?」
「そうだな……」
軽く息を吐きだし、腕を組みながら少し上の方向を見上げる。
「知っていると思うが……俺は、国王陛下を……殺害した」
食堂内の空気がひりついた。
エステルは表情を変えずレオンの話に耳を傾けるが、
少なくとも傍で聞いている市長と長老の表情は決して良いものとは言えなかった。
眉をひそめ、口を固く結び、レオンの語る話を静かに聞いていた。
「あの事件の後、俺はずっと逃げ回っていた。
街から街へと転々とし、誰かが俺の顔を覚え始める頃には街を出て、ずっとその繰り返しだった。
剣技も封印され、何も出来ずずっと彷徨っていた」
「そうだったのですね……剣技の封印とは、悪魔王の呪いの事ですね?」
「ああ……。戦闘スキルに加えて身体能力まで封じられているし、何もしても悪い事が起こったりもする……」
組んだ腕を解き、儚げな力の無い目で自身の拳を見つめる。
「剣聖と呼ばれた頃の剣技なんて何一つ使えやしない。ただのゴブリン一体ですら命がけだ……。
一応、放浪生活の中でも日課の剣技の鍛錬だけはずっと続けていた。
習慣は体に染みついていたからな。それでもこの有様さ」
「なるほど……。では、あの凄まじい剣技は……」
「ああ。解呪だったか。あの魔法を受けると呪いが一時的に緩和されるみたいだ。
全盛期にはまだ遠く及ばなかったが、それでもあの頃の手ごたえを確かに感じ取れた」
エステルの脳裏に、一閃の光が放たれた瞬間が想起された。
巨大な闇の塊がたった一振りで全て吹き飛び、気付けば悪魔王も消えていた。
「あれが全盛期には……」
あの凄まじい剣技が全力とは比べ物にならない。
そう考えただけで無意識のうちに体が強張っていた。
「自分の不甲斐無さを痛感しました……私では、まるで歯が立たなかった……」
目を閉じ、拳を握りしめ静かに言葉を絞り出すエステル。
何も出来ず、ただ剣聖に全てを委ね、地に伏せて見上げる事しかできなかった。
悔しさがこみ上げ、握った拳に力が入る。
「エステル。そうでもないさ。君の解呪の魔法は素晴らしい物だった」
「レオン様……?」
「あの解呪の魔法、神聖な力も人に与える魔法なんだと思う」
「それはつまり……?」
「思っていたよりも遥かに強力な一撃を放てた。あれは俺一人だけの力じゃないんだ」
「そうだったのですね……」
レオンの脳裏にあの一撃を放った瞬間が想起される。
レオンとしてはかつての様に剣を振るっただけであったが、
それとは別の強い力が剣に宿り、剣技を後押ししてくれていたのだった。
その感触を思い出しながら、更に別の、古い記憶を引き出した。
「17年前に……あの魔法があればな……」
「それは……レオン様が悪魔王を撃退したという……」
「ああ……撃退は出来たが、倒すことは出来なかった」
17年前の記憶がレオンの脳裏を駆け巡る。
巨大なクレーター跡の中心部にて、悪魔王とその配下の四天王に単騎で挑み、勝利を収めた記憶。
四天王の内の三体を打ち取り、残る四天王の一体と、更に悪魔王までをも撃退し、
英雄と称されたあの日々が思い起こされた。
「やはり、剣聖は聖女と揃って初めて真価を発揮するんだろう。君がいないと悪魔王は倒せないんだ」
「なるほど……。レオン様のお役に立てるのなら、これほど誇らしい事はありません」
先程までの苦しい表情から一転して、希望に溢れた表情を取り戻すエステル。
そんなエステルを見ながら、レオンは少し安堵の表情を浮かべていた。
「次にそうだな……この呪いがかけられた経緯について話そうか」
「はい。ずっと気になっていました。私達には女神の加護があるはずなのですが……」
「ああ……奴に、ヴァルザーに良いようにしてやられたんだ……」
「ヴァルザーに……やはりあの悪魔王が絡んでいるのですね」
悪魔王ヴァルザー。二人がその名を口にすると、食堂内にわずかな緊張が走った。