四話「人々の失望」
翌朝。レオンの部屋にて。
「わたくしは、エステルさんの言いつけも聞かずに有り金を全部酒場で使いました」
「はい。それから?」
正座で己の罪を独白するレオンと、そのレオンを腕を組みながら見下ろすエステル。
とても冷たい目線をレオンに向けている。
「このお金は、食料や温かい衣類を買うためのお金だから、大事に使ってくださいと言われたのに使ってしまいました」
「そうですね。この町から北はあんまり町が無いから、しっかり補給しましょうねって、言いましたよね」
「そのお金をわたくしは使い込んでしまいました」
「よくわかっていますね。ではどうしましょうか?」
「えー……あの……その……」
答えるべき答えが見つからず、しどろもどろになるレオン。
そんなレオンに追い打ちをかけるエステル。
「もうレオン様にお小遣いはあげません」
「そ、そんな……! それはちょっと」
片膝をあげ、エステルに申し立てようとするレオンであったが、エステルは冷たく言い放つ。
「当然の処置ですよね? まさか全部使うなんて」
「……はい」
「これからはお小遣いゼロです。お金は私が全て管理します」
絶望の表情を浮かべるレオン。もう二度と酒に溺れられる日は訪れない。
そう考えるといてもたってもいられず、何とかエステルを説得し始めようとする。
どうすればエステルを説得させられるか考えたところで、ふと昨日の出来事を思い出した。
「そうだ、エステル! 昨日自警団からオーガ退治を頼まれたんだ!」
「そうですね、その話もしたかったので、話を進めましょう」
やった、と言わんばかりに拳を握るレオン。
「昨日な、報酬も出すから自警団本部に来てくれって頼まれたんだよ」
「そうなのですね。その報酬があれば物資の補充が出来そうですね」
「ああ! だからそのお金でお小遣いを……!」
レオンは希望のこもった声をエステルにかけたが、エステルは変わらず冷たい声をレオンにかけた。
「却下です。オーガは倒します。我々がすべき当然の努めです。
お小遣いの件とオーガの件は全く関係ありません。
レオン様が大事なお金を使い込んだ事実は変わりません。
早く準備してください。自警団本部に行きますよ」
レオンは力なくその場にへたり込んだ。
その眼にはもう何の希望も宿されていなかった。
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この町は高い崖に囲まれており、基本的にこの崖に沿って建物が建っている。
そしてこの崖の反対側には崖と並行するように川が流れている。
川と崖に挟まれ、自然で出来た要塞の様な形の町となっているのだ。
そして自警団本部はその崖の窪みの部分となる一番奥の方に建っていた。
「ここか。入口の支部と違ってがっしりしてるなあ」
「一番奥にありますし、非常時の避難場所なのかもしれませんね」
辿り着いた自警団本部は、建物というよりは砦に近い様相をしていた。
入口の近くには訓練用のダミー人形や射撃用の的なども設置されていた。
自警団のメンバーが訓練をする場でもあるのだろう。
そんな本部の様子を二人が眺めているところで、誰かが声をかけてきた。
「あんた……来てくれたのか! ようこそ自警団本部へ」
声のする方へと視線を向けると、そこには昨日レオンに声をかけてきた団長が立っていた。
昨日のレオンはほとんど団長の姿を見ていなかったが、その体躯を見て改めて感心する。
服の下からでも分かる、とてもよく鍛えられた筋肉が目立ち、顔つきもまさしく歴戦の戦士そのものであった。
「ああ、力になれると思ってね」
「ありがたい、最近は戦える奴も少なくなってきてな。いよいよ危うかったんだ。
そっちのお嬢さんは、昨日話してた娘さんか? 魔導士の様にも見えるが」
団長はエステルの方を見ながらそう言った。エステルはいつもの様に丁寧に挨拶をする。
「エステルと申します。魔法がいくつか使えますのでお役に立てると思います」
「おお、やはり魔導士だったか。ありがたい。奴らの皮膚は硬くてな。素人じゃ刃も通らんのだ」
団長は喜びながらエステルを迎え入れる仕草をする。
エステルはレオンへと手を向けながら話す。
「こちらはレオン様です」
「よろしく、レオンだ」
「……レオンだって?」
レオンの挨拶を受ける団長であったが、その表情は曇っていた。
「レオン……レオンに、エステル……エステルだって……? その名前、あんたら……」
団長の言葉とその表情から、エステルは察した。
レオンには指名手配がかかっている。きっと国王殺しの犯人だと思っているのだろう。
エステルはすぐに団長へと事情を説明する。
「ご安心ください。レオン様の反逆罪は冤罪なのです。すぐに指名手配も解除されるでしょう」
「そうか……」
団長は目を閉じ、息を吐いた。その様子をみて、レオンとエステルは分かってくれたのだと思った。
だが、団長は二人の思惑とは異なる言葉を向けた。
「なら、帰ってくれ。剣聖サマなんぞに用は無い」
「え……?」
冷たく、どこか怒りのこもった表情を浮かべながら、団長は二人に言い放った。
レオンは全く訳も分からず固まる。
エステルは、すぐに聖女の目で団長とレオンを見つめた。
レオンの邪気が影響しているのかと思いレオンと団長を交互に見るが、全く影響は無かった。
団長は至って正常であるし、レオンの邪気も撒き散らされている形跡もいない。
全く団長に冷めた態度をとられる理由が無かったのだ。
二人が混乱していると、団長は二人を無視するかのように本部の入り口へと向かった。
「俺は忙しいんだ。さっさと消えな」
大きな足音を立てながら団長は歩く。
エステルは団長に向けて声をかけた。
「お待ちください、どうなされたのですか……? せめてお話を……」
エステルがそう言ったところで、団長は声を荒げながら叫んだ。
「黙れ!! この詐欺師ども!!」
怒りに満ちた団長の大声が辺りに響き渡った。
近くにいた人々も驚き、皆一様に視線を向けた。
そして、本部の扉が内側から開かれると中から何人かが顔を出した。
「団長? どうしたんです」
「父さん? なんかあったの?」
自警団のメンバーと思われる男達に加え、小さな少年が中から出てきて団長へと声をかけた。
周りにいた人々も本部の方へと集まってきて、騒ぎが大きくなっていく。
「なんだなんだ?」
「どうしたんだ?」
「さっきなんかレオンとか聞こえたぞ」
「レオンだって?」
「え、レオン? またなの?」
人々はゆるやかに騒ぎ始め、その中の一人がレオンの名を出すと他の者たちもみなレオンの名を口にし始めた。
人々が口に出した『また』という言葉にエステルは問いかけた。
「また、とは何でしょう……? レオン様のことで何かあったのですか……?」
エステルが人々に向けてそう尋ねると、人々の表情が一様に暗くなっていった。
レオンは訳も分からず固まりつつも、記憶を辿っていった。
少なくともこの町に来た事は一度もなかったはずである。
何故人々が暗い表情をするのかも、団長が声を荒げたのかも見当もつかなかった。
そんな中、団長はため息交じりに説明を始めた。
「前に、お前達のような奴らが来たんだよ。剣聖だなんだと名乗ってな」
ぽつぽつと、団長が語り始める。
先程までの怒りの表情は無いが、少なくとも暗い表情ではあり、そこには悲しさも含まれているように見えた。
「その時はみんな信じ切ってたよ。
昨日話したと思うが、この町はオーガに狙われてる。
そいつらはそのオーガを倒してやるといってな。
みんなで金を集めてそいつらにオーガ討伐を頼んだんだ。だがな……」
団長は目を閉じ、下を向きながら呟く。
人々は団長の言葉に合わせるかのように、暗い表情であったり、悔しそうな表情を浮かべ始める。
「結局そいつらは戻ってこなかったよ。金だけ取られたのさ。
でもな、それ以上に……俺達は……」
エステルも、レオンも、悲しげな表情を浮かべて団長の話を聞いていた。
お金を奪われたと団長は語っていたが、奪われたのはもっと大切な心だったのだろう。
オーガは危険なモンスターであり、その被害も少なくない。
ようやく危険から解放されると信じ切っていたところを裏切られたのだ。
二人は団長や人々が何故悲しい表情を浮かべるのか理解した。
エステルは団長に優しい声で話しかけた。
「皆さんのお気持ちはわかりました。どうか、もう一度私達を信じていただけないでしょうか?」
目の前の人々を救いたい。その一心でエステルは声をかけた。
だがその団長の表情は変わらず、そして団長はレオンへと声をかける。
「そうだな。信じたいよ。なら……」
そう言うと団長は歩き出し、入り口の近くに立てかけてあった木剣を手に取った。
「試させてくれよ。お前が本当に剣聖なのか」
そう言うと団長はレオンへと木剣を投げた。
急に投げられた木剣が勢いよくレオンへと飛んで行く。
「うわ、あ……!」
レオンは情けない声を発しながら、ぎこちない動作でなんとかその木剣をつかみ取った。
そんなレオンの様子を、団長は冷たい目で眺めながらもう一本の木剣を手に取り、構えた。
エステルは慌てて団長に声をかける。
「お待ちください、レオン様は今は……!」
「行くぞ」
エステルの制止も聞かず、団長は素早く動いた。
それなりの距離が離れていたのにも関わらず、瞬時にレオンへと間合いを詰め、
そしてレオンへと攻撃を放った。
「せああああああああっ!!!!」
掛け声と共に、風圧をまとった木剣による強烈なスイングがレオンへとむけられた。
レオンは何とか手に持った木剣で防ごうとするが、もはや何の意味も無かった。
団長の一撃は木剣ごとレオンの体を吹き飛ばした。
「うああああっ……!!」
レオンは人々の目前へと吹き飛ばされ、そしてそのまま勢いよく地面に叩きつけられた。
全身に走る鈍い痛みに悶えながら呻く。
「あがあっ……!! あぐぅ……」
「レオン様!!」
慌ててレオンに駆け寄るエステル。目立った外傷は無かったが、レオンは固く目を閉じ呻いていた。
レオンの近くにはへし折られた木剣が転がっており、人々の目から見ても尋常ではない一撃であったことがわかる状態だった。
こんな弱弱しい人物が剣聖であるはずがないと、人々はそんな冷めた目で、痛みに悶え苦しむレオンを見降ろしていた。
「期待した俺がバカだったよ。さっさと失せな」
団長はそう冷たく言い放ち、本部の方へと戻っていった。
人々もレオンを見下しながら去っていく。
「やっぱ偽物だったか……」
落胆した声で立ち去る人。
「そもそも『裏切りの剣聖』だぜ? とっくにどっかで野垂れ死んでんだよ!」
怒りに満ちた声を上げる人。
「はあ……だから俺はあの時止めたんだよな。みんな騙されてるって」
呆れの様な声を上げる人。
「もうこの町も終わりね……」
悲哀に満ちた声を上げる人。
誰もが皆口々に不安を吐き出しながら去っていった。
何も言わず無言で立ち去る者もいたが、当然その表情には希望などは無かった。
そんな中、一人の少年だけがその場に残っていた。
その少年は悔しそうな表情をレオンに向けていた。
「なんでだよ……なんでだよ……」
拳を握りしめながら言葉を吐き出す少年。
エステルとレオンは少年に視線を向ける。
少年は二人の視線を受けると、涙を浮かべ始めた。
「どうして、どうして誰も助けてくれないんだよ……!!
かたきを討ってくれるって言ったのに、なんでだよ……!!」
涙を浮かべながら語る少年に、もはやエステルとレオンは何も言えなかった。
レオンが少年と何かの約束を交わしたことはないが、
少年が語るそれは、前に来たという偽物の口からの出まかせだったのだろう。
「俺は……俺は……」
レオンは少年に向けて何かを言わねばならない気持ちになり、声をかけようとしたが、何も思い浮かばなかった。
力を封印され、団長に一撃でのされ、醜態を晒した男に、どんな言葉をかけられるというのだろうか。
少年と同じく、レオンは拳を握りしめるだけで、何も言う事が出来なかった。
少年は何も言わないレオンに向け、言葉を絞り出す。
「母さんの仇を取ってくれるって……!
オーガもいなくなるって……!
なんで、なんでみんな嘘つくんだよ……!!
声と体を震わせ、涙があふれ出し、少年は叫んだ。
「……なんでそんな事するんだよ!!」
少年はそう叫び、あふれ出した涙を手でぬぐいはじめた。
そんな少年に向けて、本部の中から戻ってきた団長が声をかけた。
「おい、そんな奴らと話すな」
「父さん……だって、だって……!!」
「わかってる、もうよせ。
……おい、お前らいつまでいるんだ。早く消えてくれないか」
脇腹を抑えながら、エステルに肩を貸されつつ立ち上がるレオン。
エステルはレオンに肩を貸しながら団長に頭を下げると、何も言わずその場をレオンと共に立ち去った。
レオンもエステルに肩を貸されながら立ち去っていったが、立ち去りながらも少年の方へと視線を向けた。
少年は団長に急かされ本部の中へと入っていくところであったが、未だにレオンの方を見ていた。
レオンと目が合うと、少年は救いを求めるかのような、悲しげな眼だけを向けて中へと入っていった。
閉ざされた扉を、レオンはしばらく見つめていた。