プロローグ「出会い」
北方大陸東部の王都『ブレイダリア』からしばらく北上すると辿り着く、炭鉱と鍛冶で栄えた街、『ハンマーステッド』。
魔族との闘いで活躍したいなら、武具はハンマーステッドで揃えろと、ブレイダリアではしばしば言われる街である。
かの剣聖が振るった剣も、この街で打たれた一品だという。
そしてその街の飲食店街の裏通り。
薄汚い大きなカバンを背負った、小汚い風貌の男が淀んだ目でゴミ漁りをしていた。
ススなのかドロなのか判別不明な何らかの汚れがまとわりついたボロをまとい、ゴミ置き場をまさぐる。
群がるネズミをどかしては、食べられるものを漁る。
「これは……無理だ。さすがに食べられない。……これはいける。これもいける」
『いける』、と言いながら手に持ったそれらは常人からすればどう考えても『いけない』物にしか見えないが、気にせず口に運ぶ。
腐臭を放つその物体が口の中に放り込まれ、粘性のある音と共に嚙み砕かれていく。
いけるものの中でも、比較的見栄えもよい焼き菓子の様な腐りにくい食べ物などは背中に背負ったカバンに詰め込む。
カバンの中は満タンとまではいかないものの、それなりの量が詰め込まれていた。
まるで冒険者が次の町までの食糧を詰め込むかのように。
男はカバンの重みを背中に受けながら呟く。
「そろそろ……次の街に行こうかな。これ以上詰めると、呪いが起こる……」
何か意味深な、しかしその意味は不明瞭な呟きを吐きながら、彼は再びゴミ漁りを再開する。
何故彼がこうなったのか?
時代が悪いのか、それとも彼の努力が不足していたのか……。
それは誰にもわからないが、少なくとも、彼の眼にはもう何の希望も宿されていなかった。
ゴミ漁りを終えて表通りに出ると、人々は彼を蔑む様な目で見たり、あるいはいないものとして無視したり、
とにかく人によって反応は様々だが、人として彼を見る者はいなかった。
男は常に下を向きながら道の端を歩く。すぐ向こうから、真昼間から酔っぱらっている荒くれが目の前まで歩いて来ていることにも気づかず。
男の肩に軽く衝撃が走り、それと間髪入れず怒号が響き渡った。
「いってえじゃねえかコラア!! どこ見てんじゃコラア!!」
荒くれは男の胸倉を掴み因縁をつけ始める。
男は慌てて謝罪を始める。
「ごめんなさい……ごめんなさい、殴らないで、殴らないで……」
「ああん? 殴らねえかどうかはてめえの態度次第だなあ? おお?」
男は荒くれの言葉を聞き、すぐに地面に伏せて頭を下げた。
「この通りです……許してください……」
「おっ? これもしかしてあれか? 『ドゲザ』ってやつか? ははは! おもしれえ!!」
男は情けなく頭を地面につけて許しを請う。その姿に荒くれは機嫌を良くし、どこかへと消えていった。
荒くれがいなくなったのを確認し、男は頭を上げ、呟いた。
「カバン、全部詰めてたら全部投げ捨てられてたかもな……不運は起こったけど最悪の呪いは起こらなくて助かった……」
再び先と同じく理解のし難い呟きを吐き、力なく歩き出した。
「今日にでも街を出よう……この街は人が多くて……苦しい」
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「突然の訪問申し訳ありません、市長さん、長老さん」
街の中心部の立派な屋敷内、上品な一室にて、神聖さを感じさせるローブを身にまとった少女が二人の男性に会釈をする。
「いえいえ、とんでもございません。ありがたい限りです。そうですよね? 長老」
「ええ、ええ。本当にありがたいことです。お目に書かれて光栄でございます」
市長と呼ばれる精悍な髭の男性と、長老と呼ばれる杖を突いた老人と、純白のローブの少女が挨拶を交わしていた。
「本当はこの町への巡礼は予定には入っておりませんでしたが……お伝えしなければならない事があり参りました」
丁寧な挨拶を交わす少女であるが、その表情には明らかに曇っていた。
二人は心配そうな表情を少女に向ける。
「どうしたのですかな? 何か急ぎの要件でも?」
「何かあればワシらが力になりますぞ」
「……この町に来た理由なのですが」
少し間をおいて、少女は重い口調で語り始める。
「……この町に、強烈な邪気を放つ魔族が紛れ込んでいるのです」
「なっ……魔族が!? 長老……!」
「なんということか……すぐに警備隊に……!」
「いえ、お待ちください、長老さん」
部屋の出口へ向かおうとする長老を少女は引き止め語る。
「私が町に着く前から、ずっとその邪気を感じていたのです。恐らく偵察でこの町に滞在しているのでしょう。余計な刺激を与えれば町中で戦闘が始まり、町の人々に被害が出ます。私の『解呪』の神聖魔法で撃退を試みますので、それまでは隠密に事を進めたいのです」
「おお……! さすが……!!」
「頼もしい限りですぞ……」
頭を下げる二人に、少女は拳を軽く握り胸の前にあてた。
「私にお任せください。この町は必ず守ります。聖女として!」
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「これが終わったら……ふっ、ふっ。
広場のほうに行って最低限の道具は買わないとな……ふっ、ふっ。
それにしても「ドゲザ」って便利だなあ。……ふっ、ふっ。
頭を床にこするだけで皆許してくれるんだもんな……ははっ……ふっ、ふっ」
自虐的な笑いと発言をうわごとの様に呟きながら、
男は何故か空き地の隅で棒切れを剣のように構えて素振りしていた。
どう見ても精神障害の類を起こした者であるが、誰も関りなどしないし救いの手は差し伸べない。
一人で歩いている人間は男に気付いたとしても、誰もそこにいないかのように、何も見なかったかのように過ぎ去り、
誰かと歩いている人間は男などなるべく視界に入れず談笑をしながら過ぎ去る。
過ぎ去った後に空き地で棒を振る狂った男が一体何者だったのかを話に出す程度だ。
次に来た二人組は、男には気付かず談笑を続けながら通りかかった。
「なあ、聖女様が来てるってホントかよ?」
「どうやら本当らしい、しかもすっげえ美人だってよ、早く見てえよ!」
過ぎ去る人々の内、誰かが放ったその言葉を聞いた瞬間、男は手を止めた。
「市長の屋敷にいるらしいぜ? 広場に行くついでに見に行こうぜ!」
「マジか! イイね!」
しばらく男はその場に何もせずただ立ち尽くし、一言だけ呟く。
「けど、俺はもう……」
呟いた後も立ち尽くし考え続け、しばらく経った頃、
何かを決心したかのように、
「聖女様」の方へと向かったであろう人々の後を着けていった。
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市長の屋敷には噂を聞きつけた人々が集まっていた。
屋敷の入り口に立つ市長が外の人々に向けて語りかける。
「皆さん、お集りいただきありがとうございます。噂通り、聖女様はこの町に来ておられます。早速お披露目と行きましょう。聖女様、どうぞ!」
屋敷のメイド達が市長の言葉に合わせ、入り口の扉を開けた。そして同時に人々の歓声が上がり始める。
聖女の持つ杖、ローブ、表情、物腰、その全てから一般の人間でも神聖さを感じることができ、紛れもなく聖女であることが確信できた。
ある者は手を合わせながら祈り、あるものは諸手を挙げて喜び、あるものは聖女の美しさにみとれている。
皆の視線を一様に浴びながら、聖女は皆に語り掛けた。
「皆様、お初にお目にかかります。本日は聖女としてこの町に巡礼に参りました。唐突な訪問をお許しください」
歓声が上がり指笛が鳴らされる。
「今、この世界は危機に瀕しております。世には私が倒れればいよいよこの大陸も終わりと、そう嘆く方々もいらっしゃいます。
ですが、どうか安心してください。悪魔王は先代聖女が作り上げた、解呪の神聖魔法で必ず滅してみせます。
悪魔王におびえる日々は、私の代で終わらせます!」
大きな歓声が上がる。人々に向けて長老が語り掛ける。
「今日は聖女様の歓迎パーティをこれから開くぞい!! さあみんな寄った寄った。ほれほれ皆屋敷に入るのだ」
長老が人々を屋敷に誘導し始めた。人々が屋敷へと移動をはじめ、だんだん屋敷前の人だかりが少なくなってくる。
そして人だかりが解消されると、
少し遠くの方にボロをまとった一人の男が立っている様が屋敷の入り口からはっきりと見えるようになった。
聖女はその男を見ながら市長に耳打ちする。
「市長さん、あの者で間違いありません。これから屋敷前は戦場になりますが、被害は出しません。聖域を張って屋敷前だけを隔絶します」
「かしこまりました、聖女様。後はよろしくお願いいたします……ささっ! みんな屋敷の中へ! 長老の後に続いて!」
屋敷へと入り込む人々を見送りながら、聖女は男のほうへと歩みを進める。
「何を考えて人間の町に潜伏していたのかは存じませんが、聖女と出会ってしまうとは不運な魔族ですね」
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男は焦っていた。ただ少し聖女の様子を見に来ただけのつもりだった。だが事態は最悪な方向に転換した。
理由はわからないが、少し先にいる聖女と思わしき、
何か神聖さをたたえた少女が明らかな敵意をこちらに向けて、白く光を放つ杖を構えている。
そして獲物を狙うハンターの様に、少しずつこちらににじり寄ってくる。
誰がどう見ても、こちらを攻撃しようとしていた。
何故こうなったのかを考えている間に、聖女が語り掛けてきた。
「あなた、かなりの高位の魔族のようですね。人間の擬態がとてもよくできていますね」
「人間の……擬態……?」
男は聖女の言葉が理解できなかった。まるで、自分が人間じゃないといわんばかりの口っぷりだ。
これまでの放浪生活で人間らしい扱いはされなかったが、どんなに記憶をたどっても魔族扱いなどさすがにされたことはない。
聖女なりのブラックジョークなのかもしれないが、本能的に男は反論を試みた。
そうしなければ問答無用で殺される、そう思わせる何かを感じ取った。
「違う、俺は魔族じゃない、人間だ! 一体何と勘違いしているんだ!!」
身振り手振りを交え、説得を試みるが聖女は意にも介さず話をつづけた。
「そのおぞましい邪気。町から離れた場所でも感じることができましたよ。四天王の一人ですか?
それだけの力を持つが故に、単独でどうこうできると思ったのでしょうが、不運でしたね。
その驕りがあなたの死を招いたのです」
「お、おい、何言ってるんだ! おい!! やめてくれよ!」
男の制止も聞かず、聖女は何かに向かって語り掛けた。
『純白の鍵、聖なる祈り、高貴な光』
「おい!! 何するつもりなんだ! 魔法か!? やめてくれ!! なあ!!」
『我らはここにあり、貴方の光をここに願う』
男は自問自答した。何故こうなったのだろうか?
何がいけなかったのだろうか?
この一瞬の合間に様々な考えが頭をよぎるが、得られた結論は自分は今ここで死ぬという事実だけだった。
その事実に辿り着いた時、力無く呟いた。
「そうか……。これが……、これが『不運』の呪いか……」
男の呟きに合わせ、聖女は眩いばかりに輝く杖の先端を男に向けた。
「消え去りなさい。第十次元神聖魔法、解呪≪クリアランス≫」
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男は、目の前の少女が命乞いを聞き入れてくれたのかと思い安堵していた。
それとは裏腹に、聖女は目を見開き驚愕していた。
「な、なぜ……なぜ立っていられるのです……」
命乞いを聞き入れてくれたから、今自分が立っているのではないかと、男はそう思った。
だが、目の前の聖女の様子を見る限り違うようだった。
「間違いなく直撃したはず……」
間違いなく直撃してはいないはずだと、男は思った。
あんな強烈な魔法を受けて無事な人間がいるはずもない。
故に聖女が何を言っているのか訳が分からなかった。
だが本能的に、このまま突っ立っていたらやられると思い、全力で走り始めた。
走り始めた瞬間、聖女は再び驚愕した。
人間業と思えない程の速度で聖女の真後ろに、男は移動したのだ。
「え……?」
目の前にいた男が、突然自分の後ろの方に向かって高速で移動したのだ。
何が起こったのか聖女は分かりかねたが、すぐさま構えなおし、叫んだ。
「アブソリュートバリア!!」
そう叫んだ途端、聖女の体が光り輝く虹色のオーラに包まれた。
「……なるほど。四天王というのは一筋縄ではいかないという事ですね」
オーラに包まれ、神々しい光を放つ聖女は男の方へ振り向くと険しい表情を見せた。
一撃で倒せるような生易しい相手では無い事を理解したのだろう。
次の言葉を男に問いかけようとしたが、その前に男の方が何か独り言を呟いている事に気付いた。
「う、嘘だろ……この技、この動きは、あの頃の……!」
「何をぶつぶつと……。油断していましたが、ただの魔族とは格が違うようですね。
ですが、ここで消えてもらいま……あら?」
杖を構え直そうとする聖女だったが、突如構えるのを中断して男の方を注視しはじめる。
注視するにつれて徐々に険しい表情が取れていき、やがて不安そうな顔へと変わっていき、そして男に問いかけた。
「あ、あなた、先ほどの邪気は……? まさか、あなた……。人間……?」
「……え? あ、ああ! そうだ! 俺は人間だ! やめてくれ!!」
独り言を続けていた男だったが、聖女の問いかけに慌てて答える。
一刻も早く人間であることをアピールしなければ生き残れない。そう感じていた。
「見ての通りわかるだろ! ちょっと小汚いかもしれないけど、人間だ! 一体何と勘違いしたんだ!」
「え、ええ、そうね、人間ね」
少し鼻をおさえながら、至近距離にいる男から若干距離を置く聖女。
杖をゆっくりと下ろすと、彼女を取り巻く虹色の光もゆっくりと消えていった。
「それにしてもあなた、一体何者なのです? 先程の邪気は間違いなく魔族の放つ者でした」
「邪気? っていうのはよくわからないけど、説明させてほしい。心当たりならあるんだ。かつて俺は、悪魔王から呪いをかけられたことがある」
「悪魔王の呪い……」
「ああ、おそらく邪気ってのはその呪いが放つものなんだろう。聖女ならきっとわかるのかもしれない。あんたが聖女なんだろ?」
「ええ、私が聖女だけれど……」
男の言葉を聞き、聖女は改めて男の体を見回した。
どこをどう見ても確かに普通の人間であり、聖女の目からしても邪気は消え去っていた。
「ごめんなさい、確かにその様ね。でも安心して、私の解呪魔法であなたの……」
そこまで言いかけた所で、再び聖女の表情に険しさが戻った。
そして杖を男へと向ける。
「前言撤回。そういう魂胆ね」
「え? おい、何を言って……」
「邪気。しっかりと戻ってきてるじゃない。やはり魔族は信用ならないわね」
「お、おい……よせよ」
聖女の目には、一度は消えた邪気が確かに、しかしゆっくりと再生している様が映っていた。
人間であると油断したところを討ち取る魂胆なのだろうと、聖女はそう判断した。
聖女の杖が光り始める。
「やめ、やめろよ……! あんなのもう一発食らったら」
「そうね、今度こそ死ぬわね、あなた」
「やめてくれ、それは困る、頼む……!」
『ああ、本当にそれは困る』
突然聖女の背後から謎の声が発せられた。
それと同時に聖女は杖の光を自分自身に向けて放った。
本能的に察したのだ。何か、一言で纏めるなら『死』という概念そのものが自分のすぐ後ろに立っているかのような。
聖女の反応は素晴らしいものであった。だが一歩遅かった。
「あがあっ!!」
聖女の腹部を鋭い刃のような物が貫いた。
男は聖女の腹部から突き出た刃を見下ろす。
そして次にその刃の出処であろう、聖女の背後の人物に目を向けた。
その人物は黒いローブを身をまとい、下卑た笑みを浮かべていた。
「おや? 刺さりはしたが、急所を逸らされたな? 大分戦い慣れしているな、聖女よ」
聖女の背後にいた何者かは、手に持った大鎌を聖女の背中に突き立てていた。
「ごぼっ、おごっ、おげえっ!!」
聖女が血反吐を吐き出し、純白のローブが汚れていく。
その何者かは変わらず下卑た笑みを浮かべながら、大鎌を聖女の背中から勢いよく引き抜いた。
悲痛なうめき声を上げながら地面に力なく倒れこむ聖女。
だが聖女が倒れこんだのと同時に、男が動き出していた。
「せやあっ!!」
浮浪者の姿からは想像もつかない、熟練の格闘家のような鋭い蹴りが、
何者かの首筋に向けて狙いすまされたかのように放たれた。
が、次の瞬間にはその何者かは消えており、男の足によって虚空だけが轟音と共に切り裂かれた。
『おお、怖い怖い。懐かしいねえ。その動き』
何者かは男の背後に瞬間的に移動していた。だが背後を取ったにも拘らず攻めてくるわけでもなく、ただただ会話を続けた。
『久しぶりの再会なんだ。拳じゃなく言葉で語り合わないか?』
その言葉をかき消すかのように、男は自身の背後に向けて体を回転させ、強烈な風圧を足に纏わせながら回転蹴りを放った。
が、これも何にもあたることはなく、豪風だけが何もない空間に吹き荒ぶ。
『取り付く島もないねえ。良いことだ。実に良いことだ。憎たらしくて殺してやりたいよ。残念ながらできなくなっちゃったけど』
再び男の背後から声が発せられる。
まるで古い友人に語り掛けるかのような口調であるが、話す内容は全くそれとは違っていた。
男はその声の発生源に向けて語り掛ける。
「殺してやりたい、か。残念ながら俺はそうじゃない。俺は貴様を、今この場で殺す。悪魔王」
その言葉を発したと同時に、男は的確に、悪魔王と呼ぶ何者かに向けて蹴りを放ち、更に続けて連続で蹴りを放ち続けた。
しかし、どの蹴りも寸分違わず悪魔王の喉元を捉えるものの、次の瞬間には消えてしまう。
繰り返される蹴りと回避により、男と悪魔王の周りは竜巻のように風が乱れていた。
そんな中、屋敷の方から叫び声があげられる。
「聖女様!!」「聖女様が倒れてるぞ!!」
屋敷から見守っていた人々が慌てて屋敷の入り口から出ようとしていた。
その様子をみた聖女は、慌てて人々を制止する。
「駄目です、来てはなりません……!! ごぼっ、うっ……その聖域は超えないでください……!!」
聖女は屋敷の入り口を指さしながら告げる。喋るたびに彼女の口から血がこぼれていった。
そんな様子を見ながら悪魔王は笑いながら語り始める。
「聖女よ、わざわざ観客を用意してくれたのか。だがこれは見世物ではない。ゴミ屑がゴミ屑らしく死んでいく様を見せてやろう」
屋敷の扉の他にも、屋敷内の窓から様々な人々がこの戦いの行く末を見守っていた。
その人々に悪魔王は大鎌を向け、低く冷たい声で言い放った。
「散れ。虫けら。イグニッションフレア」
そこまで言い切った瞬間、悪魔王の体が一瞬縦に引き裂かれたと同時に消えた。
悪魔王のすぐ後ろには男が立っていた。
「今のは確かに命中した。だが手ごたえが無い……」
男は宙に向けて突き出された自身の片足を見ながら呟いていると、市民が声を上げた。
「聖女様が!!」
すぐに聖女の方へ目を向けたが、悪魔王は聖女に向けて今まさしく鎌を振り下ろしていた。
振り下ろされた鎌は一瞬聖女の体に食い込んだかのように見えたが、その瞬間強烈な光が聖女から放たれた。
「第十次元星天術……聖者の裂光!!」
聖女から放たれた強烈な光の奔流が大鎌ごと悪魔王を吹き飛ばす。
「ぐおおお……!!」
天に向かって吹き飛ばされるが、途中で踏みとどまるかのように勢いを止め、やがて宙で静止した。
遙か高みから屋敷を見下す悪魔王、痛みで呻く聖女、恐怖に慄く市民、拳を握り締めながら悪魔王を見上げる男。
各々の感情が混ざり合う屋敷に向けて、悪魔王は両手を構え始める。
「どうやら少し見くびっていたようだな。聖女。ならばもう遊びは終わりだ。ここで死ね」
『……聞け。彷徨う魂どもよ。従え。我が声に』
悪魔王の両手に向かって黒いオーラが収束し始める。
誰が見ても、一目でこの先どうなるのかはすぐにおおよその想像がついた。
絶叫を上げ始める市民と、その市民に向けて力なく手を伸ばす聖女。
「皆さん、逃げて、ごぼっ……逃げて……」
「うわあ、うわあ、うわあああああ!!」
屋敷の中は恐怖と絶叫で満たされた。誰もが正常な判断を見失なっていた。
そんな中、一人の人間が声を上げた。
「皆! 聞いてくれ!」
すぐにざわめきが止まり、屋敷に向かって響き渡ったその声に向けて皆の視線が注がれた。
声を発したのは、あの男だった。
「まずは、何でもいい! 戦う為の剣をくれ! 素手では奴には及ばないが、俺は剣があれば奴を倒せる!!」
男の言葉に、戸惑いながらも素直に考え始める市民。
たった剣一本で、天を覆うあの黒い塊がどうこうできるのか、一体この男は何者なのか、様々な考えが脳裏を飛び交う。
だがそれ以上に、男の言葉とその瞳には、人の心に訴えかける力強い意思が宿っていた。
「剣はどこだ!?」「剣なんて屋敷にあるのか!?」「いいから探すんだ!」
その意思に応えるようにすぐに市民は動き始め、同時に長老もまた声を上げていた。
「市長! あの剣を!!」
「長老……!? ですがあの剣は!」
長老の何かの提案に市長は驚きの声を上げるが、長老は構わず続ける。
「きっと今がその時なのだ! 急ぐのだ!!」
「……!! わかりました! 皆、私に付いてきなさい! 剣を取りに行く!」
屋敷で様々な人々が動き出す中、男は力なく横たわっている聖女に声をかけた。
「聖女様。俺に力を貸してほしい」
「う……あ……」
飛びそうな意識の中で、聖女は男の声に反応する。
「最初に俺に向けて放ったあの魔法を、もう一度俺に向けて撃ち込んでほしい」
「な……何をとんでもない事を……」
「頼む。あの魔法は、俺達を救ってくれる。あの魔法をもう一度受ければ、俺は確実に奴を倒せる」
男は黒い天を見上げながらそう語る。
天の上では悪魔王が両手を高く掲げていた。
『妬みの黒。恨みの闇。怒りの海に沈み、御前の魂は黒き天となる』
天を覆う黒い影は更に濃さを増しており、もはや一刻の猶予も無い事が見てわかる状態であった。
そんな中、野太い声が屋敷の内から外へと向けて響き渡った。
「おいアンタ! これだろ! とってきたぞ!! 受け取れ!!」
屋敷の上階の窓から、屈強な男が息を切らしながら叫び、
そして光り輝く何かを男に向けて全力で投げ渡してきた。
高速で回転しながら飛来するその何かを、男は造作もなく自然な動作で掴み取る。
それは一本の剣であった。
「……いい剣だ」
男が見惚れるかのように剣を眺める。
聖女もまたその剣を眺めながら呟く。
「完成していたのね……」
光り輝く剣を携える男の姿は、何か救いの様なものを人々に感じさせていた。
薄汚れたボロを身に纏っているはずなのに、
その剣で困難全てを切り払ってくれるかの様な、特別な何かを人々は感じ取っていた。
「聖女様。頼む。俺に魔法を」
「……わかりました。もうこれが最後です。全て貴方に委ねます」
『我が声が聞こえるでしょうか。愛しき女神。我らの希望よ』
男は目を閉じ、剣を構え、ただ静かに聖女の詠唱を聞いていた。
同時に、天から呪詛のように降り注ぐ悪魔王の詠唱が屋敷を包む。
『天より何を見る? 闇より何を求む? その目に映るは暗き願いの宛先なり』
再び市民に動揺が走る。
「ちょ、長老……! 我々はどうなるのでしょうか……!!」
「ただではすまぬだろうよ……。だが、あの者をわしは知っておるぞ。
あの者の、あの剣の構え。そしてあの瞳。間違いない、あの者は……」
『純白の鍵を我らにお与えください。魂の鎖を解き放つ、貴方の光を』
『今こそ降りかかれ。その先に御前の望む世界があらん』
長老は目を細め、一言呟いた。
「……裏切りの剣聖」
『全ての魂に救済あれ。第十次元神聖魔法、解呪≪クリアランス≫』
『全ての魂に災いあれ。第十次元呪殺魔法、禁呪≪カオス≫』
光り輝く一筋の光が、黒い天を貫いた。