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チャート構築

 ここにある事実が現実であると受け入れることが出来なかった。こんなこと、教典のどこにも記載はない。


 どうすればいいか分からず入口に立ちすくんでいたが、着飾った生徒達はどんどんやってくる。慌てて横にずれながら思案した。記憶通りであれば、オズウェルが近くの生徒の仲裁をして、給仕が転んだ後にダミアン様達はホールへ入ってくる。もしもその通りであれば、これはヴェール様が与えて下さったチャンスなのかもしれない。


 そう思ってオズウェルの方を見ようとしたら、近くで誰かの怒鳴り声が聞こえた。あの給仕の男が、誰かにぶつかったらしかった。……結構大事になっている。僕がホールの隅に行かなければこうなっていたらしい。揉め事は落ち着く気配がないが、今は気にしてはいられない。


 オズウェルもその様子を見ていたようだが、僕の視線に気付いてかこちらに意識を移した。相変わらずその瞳は冷たい。やり直せているのであれば、いっそ似合っているねと声を掛けてしまおうか。ここで失敗したら、もう彼の顔を見る機会は訪れないだろうし……。


 一歩踏みだそうとして、彼の目の前の口論は取っ組み合いに発展した。オズウェルは記憶通り溜息をついて、彼らの方に向かう。引き剥がして二人に何か言っているが、距離があるからここからは何も聞こえない。


 その様子を眺めていたら、また違うどよめきが僕の近くで発生した。ダミアン様達が入ってきたのだ。


 どうしよう、やっぱり時間が戻っている。これからきっと僕は彼らに無実の罪を擦り付けられるけれど、対抗策が何も思い付いていない。


 ダミアン様が僕に気付いて、キッと睨みつけた。無意識に後退りすると、誰かの身体に当たりバランスを崩してしまう。二人仲良く倒れることになってしまった。


 謝ろうと顔を見て、血の気が引く。例の給仕だ! なんでこんなところにいるの!? さっきまで遠くにいて謝り続けていたのに!


「レイン・エリオット!」


 僕の名を叫ぶ男の表情は一転して、どこか嬉しそうだ。結局もらった機会もろくに生かせずに終わるらしい。


 罪状は給仕への無礼に変わり、仲裁途中だからかオズウェルへの不貞が消えていた。


 前回と変わらないリエット様への数々の嫌がらせの詳細を聞き流しながら、心の中でヴェール様に謝罪した。折角の与えて下さった機会をこんなことで無駄にして申し訳なかった。本当はそのお姿を見て謝りたかったのだけれど、今度は僕の背中側にあって見ることが叶わなかった。


 ついにダミアン様によって、婚約破棄が言い渡された。その瞬間、また視界が光に包まれていく。


 気付けば僕はまた扉の前にいた。


「うそ……」


 廊下に僕の声が響く。何とも情けない音だった。


 また戻ってきている? ホールの外から確認しようにもぱっと見渡す限り、扉の横にテーブルと花瓶があるだけで、時計らしきものはない。やはり入る以外に確認する手段はないようだった。


 混乱した頭のまま、もう一度ホールに足を踏み入れた。


 流石にトラブルが起きると知ってて何もしない訳にもいかず、最初と同じように部屋の隅へ移動する。しばらくすれば彼は転んだが、先ほどとは異なり大事になってはいない。ここにいてはまた彼を転ばせたと言われてしまう。位置を変えて、彼から極力距離を取ることを心がけた。


 そもそも考えてみれば、給仕がきっかけで婚約破棄を言い渡されたのだ。給仕に接触しなければ、何も起こらないのでは?


 隅で息を潜めて、すべてが終わるのを待った。ここからはオズウェルの姿が見えないが、あの人だかりがある辺りがきっとそうだろうと見当を付けた。ホールの中央では生徒達が思い出作りにダンスを楽しんでいる。もしも、あの人だかりが消えてしまったら、僕は立ち直れないかもしれない。


 大時計はもうすぐこのパーティがお開きになることを知らせていた。そろそろラストダンスの時間だ。ありがたいことに、オズウェルはその人だかりから出てくることはなかった。


 何か慌ただしいなと思ったら、ダミアン様がきょろきょろとしていた。その視線の先が僕とぶつかって、一目散に駆けてくる。


「レイン・エリオット!」


 僕、今回は何もしてないのに!?


 ダミアン様はリエット様やご友人達を置き去りにして、僕の前までやってきた。あまりの様子だったので、ホール中がしんと静まりまた僕達に集中している。


「お前、リネットに嫌がらせをしていたそうじゃないか!」

「はあ……」

「なんだ、その返事は!」


 そこまでして、僕に罪を被せたいのか。もう反論する気にもならなかった。


「そんな態度を取って、王族の婚約者という自覚はないのか!」

「ダミアン様、僕のために……!」

「リネット!」


 初めて見るパターンだ。リネット様が怯える芝居を打たないこともあるのだな、という感心が呆れよりも先に来た。二人は抱き合い、愛を確かめるように顔を寄せ合う。


 そこからは概ねいつもと同じ流れを辿った。給仕のことはただのきっかけに過ぎないだけで、何もしなくたってこのプロムの終わりには婚約破棄言い渡されるのは確定しているらしかった。


 また真紅の前に立っていた。ハンドルを握る気力ももう残っていなかった。この先に行ったって、何もいいことはないのだ。


 いっそ入らずにいるのはどうだろう。ダミアン様はきっかけがなければプロムの真っ最中には断罪しにくることはなさそうだし、外で時間が過ぎるのを待てばいい。それか、外に出てしまうのも手かもしれない。婚約者のプロムに出席しなかった不届き者と追々言われるかもしれないが、婚約破棄されるよりマシだ。


 僕は出口に向かって歩き出した。白で統一された廊下は長く、まるで果てがないように感じる。この大ホールは学園内で一番歴史のある建物だ。建築の様々な事情でこういう作りになってしまったのだと聞いたことがある。


 にしては、やけに長い。普段こんなに歩いていただろうか? ふと窓を見れば、野鳥が翼を広げたまま宙に立ち尽くしていた。


 ひいっと僕の唇から悲鳴がこぼれ出る。情けなく尻餅をついて後退りすると、背中に何かが当たった。また給仕!? と怒るように後ろを見れば、視界一杯の真紅がそこにはあった。


 僕の当たった勢いから、扉がひとりでに開く。ホール内も窓の外と同様で、まるで模型が配置されているかのように人が静かに立っていた。


 バランスを崩して身体全体がホールに倒れ込むと同時に、中の生徒達も動き出した。入口付近の生徒が僕を見て怪訝そうにしている。気味が悪くなってホールの外に出ればまた光に包まれ、再び扉の前に戻されてしまっていた。


 この部屋の中ですべてを解決させなければ、僕はずっとここに閉じこめられてしまうのだろうか……。


 何か手がかりがあればいいのに。今分かっていることは、給仕に接触するのが危険だということと、何もなくたって最後には婚約破棄を言い渡されることだけだ。


 ふと、扉の横に置いてある花瓶に目がいった。何気なく花を抜いて、中を覗く。時が止まっている状態で水を撒き散らかしたらどうなるのだろう? 幼少期のオズウェルならすぐに実践しそうな内容だ。彼の行動力は僕を引っ張り上げてもまだまだ有り余るほどだった。


 レイン、見てろ!


 あの小さな身体で花瓶を抱えて自信満々にしている姿がすぐに想像できた。オズウェルのやることだから、きっとすごいことが起こるのだ。そして、彼のお父様にきっちり怒られる。ごめんなさい……としょぼくれて謝るまでが、一連の流れだ。


 僕はそんなオズウェルを見て、すごい! とか、かっこいい! とか、そんな言葉を掛けるのだろう。どんなありふれた褒め言葉にも、オズウェルは絶対に喜んでくれる。


 そう妄想したら、少しだけ元気が出てきた。僕も脳内の小さなオズウェルに習って、両手で花瓶を持ち上げた。自分の身体が入らないように気を付けながらハンドルを押し込んで扉を開く。僕がいつも歩いていく、給仕側の方へ向けて花瓶の水を撒いた。このタイミングなら周りに人はおらず試すのにちょうど良かった。


 水は美しい放物線を描き、ホールの時間の流れを気にすることなく飛んでいく。自身の身体すべてが床に落ちると動きを止め、それ以上広がることはなかった。


 ああ、オズウェルに見せてあげたい。あの子なら、ヴェール様のお力みたい! と目を輝かせてくれるに違いない。


 どんどん気分が良くなってきた。自分の胸に宿る幼いオズウェルが、このままホールに入ろうと誘っている。花瓶に花を生け直して、彼の言葉に従った。


 水を撒いた辺りにいた人間は突然の出来事に驚いている。本物のオズウェルは入り口付近の様子がおかしいことに気付いたのか、僕と周りの生徒達を交互に見ていた。今の君ならきっと僕を叱るのだろうか。いや、そもそも僕には注意する気すら起きないんだろうな。


 僕と幼いオズウェルの実験は、皆が突如出現した一筋の水溜まりを避け出しただけで終わった。それはそうだ、特になんの意味もないことだ。給仕は相変わらず何もないところで一人転んでいた。


 ダミアン様達が入ってきたので、さっと群衆に紛れる。彼らもぎょっとしながら水溜まりを避けて去っていったのを確認して、責任を取るために何か拭くものを取りに走った。一番近くにいた給仕は、困惑を隠せないまま僕に布巾を貸してくれた。


 急いで戻ったが、時はすでに遅く例の給仕が今度は水溜まりで足を滑らせていた。トレイに乗っていたであろう何かが僕の方に向かって飛んでくる。それの正体を知る前に、それは僕の肩に刺さった。遅れて痛みが訪れる。


 肩には綺麗にナイフが刺さっていた。


 ドレススーツが綺麗に赤く染まっていくのを、ただじっと見つめていた。痛みはどんどん強くなる。こんな子どものような悪戯をしたから、僕は死んでしまうの? せめて最後にオズウェルを見たかったけれど、それも叶わないまま光が僕の身体を包み込んだ。


「っあ〜、もう死んだと思った!」


 もはやこの真紅の扉に安心さえしてしまう。


「なんなの、あの給仕の人!? どれだけ転ぶの!? 僕があそこを通らなかったら、そりゃ大事になるよ! だって人にナイフぶつけてる可能性あったわけでしょ!? いや、あっちに進んだのってヴェール様のお声だったのかも……」


 一度言葉に出してしまえば、不満を口に留めておくことは出来なくなった。


「ダミアン様もなに!? 最初から嫌いって雰囲気出してたのなら、自分から国王陛下に言えばいいのに! そしたらこんなことにならずに済んだんだけど! リネット様もどういったご事情があるかは知らないけど、普通婚約者がいるって知ってれば距離置いたりするでしょ! 今日のドレススーツだって、よくあのデザインで行こうと思ったね! あれが許されるなら、僕だってオズウェルと、オズウェルともっと話したり……、お出かけしたり……、恋人らしいことをしたり、ああ、色々したかったなあ……」


 隣国へ旅行に行くことも約束していた。


 僕がお弁当を作って、ピクニックに行くことも約束していた。


 オズウェルの部屋に遊びに行くことも約束していた。


 二人でずっと一緒に暮らすことも約束していた。


 けれど、何一つ叶わないものになってしまった。こんな回りくどいことはせず、ダミアン様が自分の意志を示せば僕とオズウェルの関係は修復できたはずた。


 彼との約束を思い返したら、どうしてもオズウェルと話したくなってしまった。僕の心に住む幼いオズウェルも、胸元に潜むリングも、結局ただの思い出に過ぎない。冷たい態度を取られると分かっていても、彼に自分の名前を呼んで欲しかった。


 扉を開けて、僕以外の被害が出ないように迂回しながらオズウェルの元へ向かう。僕がやってくるとは思わなかったのだろう、彼は目を見開いた後に眉間に濃い皺を作った。


「オ、オズウェル、久しぶり……」


 平常を保ったつもりだったのに、存外声はひきつっていた。オズウェルは軽蔑するような表情を浮かべ、僕を視界の外に追いやった。なんだかんだ、彼がトラブル以外で目を逸らすのは初めてのはずだ。視線の先に合わせて足を進めようとしていたから、どうにか引き留めようと彼に抱きつく。身体が覚えているよりも広い身体にどきりとしたが、オズウェルの言葉に冷水を掛けられたような思いになった。


「本当に尻軽なんだな」


 僕の身体は力が入らなくなり、腕の拘束が無意識に解かれる。オズウェルはそれ以上は何も言わずに、どこかへ去って行ってしまった。


 そのまましゃがみ込むと、僕の身体が踵で蹴られる。僕の身体をクッションにするように生徒が倒れてきた。……待って、彼の近くにいる生徒ということは。


 身体をもぞもぞと動かして、どうにか大時計に目を向ける。時計の長針は彼らの到着時間を知らせていた。


 倒れているからバレないかと思ったけれど、僕達の周りはそれなりに騒ぎになっていたらしく、ダミアン様の声は一直線に僕に飛んできた。罪状には一般生徒への嫌がらせが追加され、僕が動けなくなっているからか特に芝居が入ることなく婚約破棄された。


 ここで負けてやるもんか。


「オズウェル、久しぶり」


 抱きつくのが駄目ならと、今度は去っていく方向に合わせて移動し、退路を潰してみた。結果は逃げる進路を変えただけだった。悔しいのでその退路ももう一回潰す。心の中の幼いオズウェルが楽しんでいるのを感じた。


「オズウェル! 久しぶり!」

「あ、ああ……」


 あの僕にはいつも冷徹なオズウェルが珍しく戸惑っている。視線は落ち着きがなく、ふらふらと漂わせている。なにか可能性があるんじゃないか!?


 オズウェルは何も言わずにいる。どう声を掛けるか悩んだが、結局無難に世間話でも振ろうと思った。


「あのね、オズウェ」

「レイン・エリオット! お前はついにこの場でも不貞を働くのか!」


 ダミアン様が僕達の間に割って入った。リネット様は置いてけぼりのまま、罪状はついにオズウェルへの不貞一本になった。オズウェルは相変わらず何も言ってくれない。ただ、いつもより表情は暗く、彼なりに何か思うところはあるようだ。


 いつもより饒舌なダミアン様は僕達が何か言う隙も与えずに、婚約破棄を言い渡した。また僕の身体は光に包まれていく。光にすべてを預ける直前に、こちらだけを瞳に捕らえるオズウェルを見た。


「実感はないけど、オズウェルは僕と話してくれそうだった……」


 扉の前で思わず呟いた。今までの中で一番進展があった気がする。とは言っても、その次に進展があったのなんて殺人を一件防いだことくらいなのだけれど。


 オズウェルは僕を助ける気なんてさらさらないのかと思っていた。けれど、さっきの雰囲気を見るに勝機はまだあるらしい。問題はダミアン様に気付かれる前に接触しなければならないことだ。さっきのようにゆっくりしていては、時間が来てしまう。


 とりあえずもう一回声を掛けてみよう。


「オズウェル! 久しぶり!」


 一直線にオズウェルの方へ向かい、彼の名前を呼んだ。逃げる先も分かっているので彼が動くか否かのところで、身体をそっちに持って行く。次の進路はさっきと違ったため少し出遅れながらも、なんとか彼の正面に立つことに成功した。


 前回同様立ち止まって困惑しているオズウェルに声を掛けようとして、背中をドンと押される。想定していないことについていけず、僕の視界は少しずつ床に近付いていく。倒れると思ったが、柔らかい壁にぶつかり、そのまま受け止められる。身体が何か暖かいものに包まれるのを感じた。


 顔を上げれば、近距離にオズウェルの美しい顔があった。切れ長の瞳を彩る長い睫毛が、忙しなく上下している。


「あの、ありがとう、オズウェル……」

「あ、ああ……」


 そう返事をしてはいるが、心ここにあらずといった様子だ。それにうっすらとだが、頬が赤く染まっている。もしかして、オズウェルもまだ僕のことを……。


 なんて考えてはっと時計を見た。彼の近くでぶつかってくる生徒なんてあの喧嘩していた二人のどちらかだろうと思ったが、それは正しいようだった。もうダミアン様が入ってくる時間だ。この可能性を捨てたくなくて、僕はオズウェルの拘束を払う。心なしか残念そうにしているオズウェルの手を引いて、バルコニーへ逃げ込もうとした。


 一歩その先へ踏み出したと瞬間に光と共に手にあった感触は消えて、いつも通りの真紅が現れた。


 バルコニーにも出ちゃ駄目なのか。確かに考えてみればすぐに分かることだった。


 それから同じ条件を再現するのに何度かかかって、両手が埋まり切るほどのところで彼の胸に飛び込むことに成功した。


「ありがとう、オズウェル」

「ああ……」


 やはり、オズウェルの返事はぎこちない。久しぶりの感触に名残惜しさを覚えながら、その広い胸から抜け出して、手持ちぶさたになった彼の腕を引っ張った。ダミアン様の進路は目を瞑っても再現して歩けるほどに覚えている。バレないことだけを意識しながら、オズウェルを連れて移動した。


 昔はオズウェルがこうやって僕を外に出してくれたのに、今は僕が彼を引っ張って回るなんて思いもしなかった。きっと、幼いオズウェルなら時々悪戯が成功しているか、僕の方を確認するのだろう。


 この状況なら君はどうするのかな。視界に飛び込んできたものを見て、これだ! と幼いオズウェルが言った。僕もそれに従って、大きくなったオズウェルの方に振り返る。


「ねえ、オズウェル、踊ろうよ」


 ダミアン様は糾弾しようとしてくるものの何もなければ僕を捜さないし、ダンスを楽しんでいる生徒は多いから中心の方へ向かえばすぐに見つかることもないだろう。僕が知る限り、彼らが踊っていたことは一度もない。


 僕の言葉にぎょっとしたまま、オズウェルは何も言わない。拒否しないならいいか、と僕はそのままダンスの渦の中に飛び込んでいった。


 乱暴に手を引いて、向き合うような体勢を作る。腕から手のひらへと指を滑らせて、彼の大きな手を握った。記憶よりも何倍も大きく、僕達の失われた時間がそこに詰まっているように感じた。


 これでもう逃げれまい!


 幼い君の作戦は成功したようで、オズウェルはゆっくりと指を密着させていった。


 とりあえずリズムに身を任せることに専念する。僕は幼い頃からレッスンは受けているものの実戦経験はなく、オズウェルの足を踏まないことに注意を払うだけでも精一杯だった。


 対して、オズウェルもステップはぎこちない。彼ならそれなりに場もこなしていそうだから意外だ。僕が初めてならいいな、と勝手なことを考えれば、彼の足を踏みそうになりまた気を引き締めた。


 幼いオズウェルとあのまま仲良くいられたら、きっと今みたいな時間がずっと続いていたのだろうか。


 このダンスの間なら、ようやくオズウェルと向き合える気がした。顔を上げれば、いつものようにあの若草色と目が合う。彼が僕だけを瞳に映しているのが、何よりも嬉しかった。


 ステップを踏むにつれて、僕達もまるで昔からそうだったかのように、あるべき場所にあるべき動きを取ることが出来た。掛ける言葉を考えている内に、オズウェルの方から会話を切り出してくれた。


「すまない、レイン。今までお前にひどく当たってしまって……。ずっとお前に謝りたかった」

「オズウェル……」

「あいつと婚約するって聞いた瞬間、お前は俺の運命じゃなかったんだ、捨てられてしまうんだと思って、酷いことを言った。レインのご両親からすべてを聞いた後も、あの男ではなく、レインを憎んでしまった。今までの行動はずっと俺の醜い嫉妬だ」


 初めて彼の本心を聞けた。僕は嫌われていなかったんだと思うと、身体が一気に軽くなった。


 オズウェルは僕に微笑みかけながら、話を続ける。


「だから、お前が俺の胸に飛び込んできた時、運命だと思った。素直になれない俺にヴェール様が機会を与えて下さったのだというのに、俺は何もする事が出来ないまま……。だが、お前がここまで連れてきてくれた。やはりレインは俺の運命で、俺の国花なんだな」

「……オズウェル?」


 思ってもいない方向に話が進んでいって言葉を失う。なんか、変な勘違いをされている?


 いや、そもそも、彼ってば運命に弱いんだった! ここ数年ろくに話せていなかったから忘れていたけれど、昔からこういう子だった!


「レイン、お前が俺の名前を呼ぶのが憎い。俺を呼ぶ唇があの男に汚されているのだと思うと、俺はいつも気がおかしくなりそうだ」


 もしかして、僕が名前を呼ぶ度に睨まれていたのもそれが理由!? じゃあ、最初に抱いて引き留めたときに拒絶されたのも、僕がダミアン様とそういった行為をしてると思ったから……?


 オズウェルに最悪な思い込みを抱かれては困る! 僕は慌てて弁明した。


「いや! ダミアン様とはキスをしたこともなければ、手を繋いだことすらないよ! あの方は僕に一切興味がないからね」

「本当か!?」

「本当だよ!」


 オズウェルの腕に力が入り、僕達の距離は一気に近付いた。僕の鼓動がバレてしまいそうでどきまぎしながら、忘れかけていた本題を切り出した。


「ねえオズウェル、お願いがあるんだけど」

「レインの言うことなら何でも叶えさせてくれ」

「実はね、僕この後ダミアン様から婚約破棄されるの」

「いいことじゃないか」

「それが、僕がリネット様に嫌がらせをして、オズウェル相手に不貞を働いて、婚約者としての自覚がないからって罪を被せられてから婚約破棄される。そうなると、僕だけじゃなくて僕の家の立場も怪しくなっちゃう。だから、君には僕の無実の証明を手伝って欲しいんだ」


 ご機嫌そうだったオズウェルの表情が一変し、怪訝な目で僕を見た。


「……なんでそんな詳細に把握してるんだ?」

「えーっとね、うーん……」


 僕が婚約破棄を回避出来なくて、何度もやり直しているのを伝えるべきなのだろうか? 言っても本当に信じてもらえるだろうか。……いや、彼なら信じてくれそうだ。幼いオズウェルなら絶対に信じて、すごい! ヴェール様のお力だ! と言うところだ。さっきの話を聞くに、オズウェルの本質は幼少から変わっていない。


 それにもしも信じてもらえなかったら、もう一回やり直せばいい。


「最初に婚約破棄を言い渡された時にヴェール様に助けて欲しいって願ったら、このプロムが始まる前に戻っていて。それから何度もやり直して、その度に失敗してまた戻ってきてるんだ」


 言うや否や、オズウェルはこのリズムの中心で僕を抱きしめた。周りの生徒達がこの光景に気付いて、足を止め始める。まずい、そろそろダミアン様にバレる。


「オ、オズウェル、ダミアン様来ちゃうんだけど?」

「いいさ、そんなの対して重要じゃない」


 いや、一番重要なことだよ!


「まさかヴェール様の寵愛を受けているとは。レイン、お前は本当に汚れのない人間なんだな。俺の運命、俺の国花……」


 熱に浮かされたオズウェルの顔が近付く。唇に柔らかいものが当たるとすぐに、何かが口内を犯した。それが彼の舌であると気付くのには少しだけ時間がかかった。


 驚いて彼の肉厚な舌を噛んでしまう。すると彼の若草色は嬉しそうに溶け、甘えるように僕の舌先を撫でた。


「レ、レイン! エリッ、オットォ!」


 いつの間にかやってきたダミアン様も流石に動揺している。いい気味だ。


「お前、俺の前で不貞を働くとは何事だ!」


 僕が聞きたいくらいだ。何回も繰り返して、初めて本当のことで彼に責められている。


「おい、オズウェル・カークランド! お前もその男から離れろ!」


 オズウェルは第三王子殿下の命令を聞く気はさっぱりないようで、僕との触れ合いを今だ楽しんでいる。このままでは色々とうまくないので、彼の厚い胸を叩いて離れるようにお願いした。


 ダミアン様の罵声を聞き流しながら、名残惜しそうにオズウェルが離れていく。


 溜息をついて、しょうがないといった様子でオズウェルはダミアン様と向き合った。


「レイン・エリオット、俺の婚約者でありながらオズウェルを誘惑して、どういう了見だ!」

「ええっと……」

「レインを責める前に自分の態度を振り返ったらどうだ? 下級生を側に置いてよく言えるな」

「なんだと!」


 オズウェルはそれだけ言って、僕の背中と膝裏に手を回した。途端に身体が宙に浮く。驚いて彼の首元に腕を伸ばせば、また嬉しそうに顔を綻ばせた。


「馬鹿馬鹿しい。レイン、行くぞ。この件は俺から直接国王陛下にお伝えすればいい。それに、こんな奴とお前が話すなんて、お前の純白が汚れてしまうだろう?」

「えっ、いや、オズウェル!? ちょっと、あのさ、待って!」


 僕達の事なんてお構いなしといった風に、オズウェルは出口に向かって歩き出した。何も言わずとも扉までの道が開けていく。あまりの様子に、ホール中が、あのダミアン様でさえも言葉を失っていた。


 ダミアン様の今まで行動やオズウェルの評判を考えれば、確かに良い方向へ進展する気がする。でも、本当にこの時間の流れから抜け出せるのだろうか?


「止まって、オズウェル!」

「可憐なレイン、悪いが今はお前の願いを聞いてやれない。そもそもお前のその姿が人目に晒されるのも嫌だったんだ。ああ、レインには白がよく似合う。髪も美しく結わえてあるな、その長い絹糸があいつの為でなければどれだけよかったか……」

「オズウェル!?」


 嬉しいのに、どうしてか今は全然そういう気分にならない!


 彼は一切足を止めず、身体を使って扉を開いた。瞬間、浮いていた足が急に地面につけられて、突然の身体の重みに耐えられず体勢を崩した。


 やっぱり駄目だった。


 でも、いつもここに戻される時の絶望感はなくて、身体は自然とハンドルに手を掛けていた。


 オズウェルは僕のことを好きでいてくれた。ずっと冷たく当たってきたのは、彼なりの愛情の現れだった。


 それを知れたのは僕にとって何よりも大きな出来事だった。だって、この扉を開けば、素直になれないオズウェルが僕を待ってくれているのだ。これほど嬉しいことはないだろう。


「それにしても、今までで一番上手くいきそうだった……」


 扉の前で独り言をするのはもはや癖になりつつあった。


「最初思った通り、この断罪を回避する鍵はオズウェルだ。オズウェルは偶然を装って接触すれば、僕と話してくれる。ダンスをしている間はダミアン様には見つからない。その間にどうにか協力をお願いすればいいとして、問題はオズウェルがダミアン様と話す気がないこと……」


 しかも、僕を抱いて立ち去ろうとしてしまう。そうなると止めようがないから、勿体ないけどそれは阻止しないといけない。


 この場で、という事を強調すれば、どうにか話を取り持ってくれるだろうか?


 方向が決まれば、後は試すだけだ。


 扉を開いてまた彼の元へ駆けていく。立ち位置やタイミングももう慣れたものだ。


 先ほどの考えた、この場で、ということを押し出してみる。


「オズウェル、彼と僕が対立しているときに、この場で僕の無実を証明して欲しいんだ!」

「お前があの男と話しているのを、見ていろと……? 無理だ、そんなこともう耐えられない」


 何故かオズウェルからもダミアン様への接触禁止令が出て失敗した。


 伝え方が悪かったのだろうか、言い回しを変えてみよう。


「ダミアン様が来たら、僕は彼と口論になるから、……って、ちょっと!?」

「あの男とお前が接触すると知って、なんでレインをここに置いておかないといけないんだ」


 まさかのダミアン様が来る前にホールから出ることになってしまった。すれ違ったダミアン様も流石にびっくりしていた。


 一旦初めて上手くいった時の状況を再現してみた。彼の熱を感じるのが嬉しく口内に侵入したオズウェルを受け入れると、若草色が不安定に揺れた。責めるように僕の腕を強く握り、顔が離れていくと同時に、腰に回っていた手が僕の首にかかった。


「……本当に誰にも許していないのか? 先ほどのダンスだって、随分と手慣れているようだったが」


 君だよ! 全部過去の君とやったの!


 激しい憎悪で僕を睨むオズウェルに怯えながらも、ダミアン様は頑張って婚約破棄を宣言してくれた。


「ねえ、オズウェル、君ってばそんな子だったっけ……?」


 真紅の前で幼い彼に問いかける。特に返事はない。


 もうどうすればいいんだろう。オズウェルが僕のことを好きでいてくれるのは嬉しい。そのお陰で糸口も見えてきている。でも、全然思った方向に行かない。ここに来てダミアン様に感謝し始める始末だ。


 楽しかったけれど、もうダンスは止めよう。そろそろステップを踏む一歩目から怒られてしまいそうだ。


 それに、ダンスも、キスも、すべてが終わったら彼に強請ればいい。オズウェルの本心が分かった今なら、それを快く受け入れてくれると自信を持って言える。


 今度は彼に接触してすぐに僕が巻き込まれている事象について説明することにした。


「……本当か?」


 オズウェルは拒絶はしないまでも、その瞳で僕の内を探るように覗いてくる。流石に突然幼なじみがぶつかってきたと思ったら、実は何度も繰り返してて〜なんてすぐに信じれる内容ではないか。


 何か、彼の感情を動かせるものがあれば……。そう思ってふと、胸元に潜んでいる大切な思い出が脳裏を掠めた。ものは試しとシャツのボタンを外していく。オズウェルがレイン!? と大声を出した。それを取り出して顔を上げれば、過去一番にオズウェルは顔を真っ赤にしていた。


「お、おおお、お前!? 急にどうした、場所を考えて……」

「オズウェル、これを見て。君からもらった指輪なんだけど、覚えてる? 君は嫌がるかもしれないけれど、ずっと僕の心を支えてくれていた大切な宝物なんだ」


 捨てられているかと思った、と言う声には驚愕が滲んでいる。


「どうか、僕の言葉を信じてくれないかな」

「これを見せられてレインを信じない奴がいるものか。そうか、お前はずっと俺を受け入れてくれていたんだな……」


 遠くで聞き慣れた怒声が飛んできた。オズウェルはいつもの光景に対して、本当に来たと感心している。


「俺の目の前でオズウェルを誘惑するとは、お前は本当に婚約者としての自覚のない男だな!」

「違います!」


 ……そろそろ違うとも言い切れないところまで来ているが、とりあえずそう口にしておく。


「ね、オズウェル!」

「はあ、馬鹿馬鹿しい。レインを邪険に扱った上に、自分は他の男を側に置いて、レインよりもお前の方がよっぽど婚約者失格だと思うが?」


 オズウェルは僕のシャツのボタンを締めて、手を引いた。彼からもらった指輪は見せつけるように胸元で咲いている。


「レイン、行くぞ。この件は俺から直接国王陛下にお伝えすればいい」


 またこの流れになっちゃった!


 鍛えているオズウェルの力には抵抗も意味をなさず、ほとんど引きずられるように歩みを進める羽目になった。どう手を打つか悩んでいると、遅れてやってきたダミアン様のご友人達がオズウェルの進路を塞いだ。


「どこへ行こうとしている!」

「煩わしいな」


 オズウェルは僕を解放すると、ご友人の一人をその勇ましい拳で殴った。流石は騎士団長の息子といったところで、ご友人は何かに引っ張られたように後ろへ飛んでいく。


「オズウェル!? これだと君の立場が危うくなるんじゃないかな!?」

「俺はレインさえ守れれば何でもいいんだ。行こう、レイン」


 オズウェルは幸せそうに僕に微笑みかけ、殴ったのとは反対の手で僕の腕を掴んだ。彼とは対照的に、場の空気は恐ろしいほどに凍っている。どうせやり直しだと分かったから、僕は大人しくそれを受け入れた。


「この流れはいいとして、彼が人に暴力を振るうのを止めないと……」


 昔も助けてくれたことがあったけれど、その時とは状況も腕力もまるで違っていた。


 ご友人達に退路を塞いでもらえたのはありがたかった。あとは何か彼の気を引けてなおかつ僕の無実の証明を手伝わせるきっかけを用意しないといけない。


 ホールに出直せば、僕に謝罪して、愛情を与えてくれて、時に過去の自分に嫉妬しているあのオズウェルではなく、まだ第三王子殿下の婚約者となった僕を憎んでいる彼と目があった。初めは瞳の冷たさに悲しんでいたけれど、今はその奥に秘めている熱を知っている。考えてみれば、このプロムの間ずっと彼と目が合っていたじゃないか。やっぱり、君が僕を好きでいる事実があれば、このホールを二人で出る未来を信じてもう一回頑張ろうと思える。浮かれて手を振ってみたら、顔を逸らされた。照れていたの? って、聞けないのが残念だ。


 この状況を打破する方法はなんとなく掴めてきた。僕の立ち回りを詰めて行くだけだ。


 彼と話せないのは残念だけど、オズウェルには接触せずにホールの状況を確認することに集中した。勿論、あの給仕の殺人は防ぎながら、オズウェルやダミアン様達の順路を何度も出入りしてじっくり確認する。


 不意に幼いオズウェルの好奇心が、また疼いた。思い付いた答えは上手くいくかも分からないけれど、彼に煽てられてどうしてもやってみたくなった。


 何度も二人で予行練習をして、また扉の前に立つ。何度も握った金のハンドルは、子どもの頃からあったもののように手に馴染んだ。


 真紅と向き合って、深呼吸をする。


 ヴェール様、どうか僕達を見守っていて下さい……。


 心の中で祈りを捧げて、僕と幼いオズウェルの作戦を開始した。


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