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正規ルート

 偶然にも目の前で給仕の男が転んだのが、僕の糾弾の合図だった。


「レイン・エリオット!」


 婚約者であるダミアン様は整えられた金髪を怒りで揺らしながら、僕の方へ向かってくる。深い青は僕を見据えているようでありながら、その心は彼の腕を抱く下級生だけを捉えていた。


「今、俺は見たぞ! お前はこの男を転ばせただろう!」

「そんなことしておりません!」


 彼が転んだ近くに僕がいただけ、本当に偶然としか言いようのないことだ。


 周囲には弁明してくれるような人もおらず、慌てて反論しようとしたがそれはダミアン様によって拒絶されてしまった。


「口ではどうとでも言える。どうせ俺の気を引くためにやったんだろう。リネットの件だってそうだ、自分に魅力がないからって彼に嫌がらせをしてお前は恥ずかしくないのか?」


 思わず言葉を聞き返す。何も心当たりがないことだ。


 するとまた怒声が飛んできて、その言葉に同意するようにダミアン様の腕の中でピンク髪の少年が何度も頷いた。彼が僕から嫌がらせを受けているというリネット様本人だった。


「僕は本当に何もしておりません!」


 そう言うと、リネット様はわざとらしく肩を揺らし、ダミアン様は彼を労った。どこか芝居じみた様子にようやく彼らの行動の意味に気付いた。


「開き直って本当にお前は最低だな! それに俺はお前の不貞についても知っている」


 そういってダミアン様が指さしたのは、僕の幼なじみであるオズウェルだった。


 そんな事実あるわけがない。何故なら、オズウェルは僕だけを相手にしないからだ。


 ダミアン様は赤髪の美丈夫に返事を急かした。精悍な顔つきには何の感情もなく、興味がなさそうにしている。


 オズウェルが否定してくれれば、と望みをかけて彼の緑色の瞳に訴えかけてみたが、面倒そうに冷ややかな視線をただ返すだけで何も言わない。彼にはこの銀髪紫目の男がさぞ滑稽に映っていることだろう。そう思うと悲しくてしょうがなかった。


 存在しない罪で僕を糾弾する言葉は止まることなく、流暢に続いていく。


 どうしてこんなことになっているのだろう。ダミアン様の話を聞きながら、今までの事を思い返した。



  *



 僕は建国神であるヴェール様の聖地の教会で生まれた。子どもの頃はヴェール様の教えを破ってしまうこともあったけれど、両親はいつも優しく叱ってくれていた。


 歳の近い孤児達に囲まれて過ごす中で、僕と彼らは見えない壁があるのをいつも感じていた。きっとそれは僕に両親がいて、跡取りだからといつも気に掛けてもらえていたからだろう。両親がこの家の誰もを平等に接してくれているのは僕が一番分かっていたけれど、幼い僕達にはどうしてもそうは思えなかった。


 その申し訳なさから、幼少期はどうしようもない孤独感をずっと抱えていた。そんな時に出会ったのが、オズウェルだった。


 オズウェルの父はこの国の騎士団長で、歳が同じということもあり彼がお父様を待つ間はいつも二人で遊んでいた。


 あの頃のオズウェルは今では想像もつかないくらいやんちゃな子だった。それでいて勇敢で、いつも僕を守ってくれた。酔っぱらいに絡まれた時は僕よりも小さい身体で庇ってくれたし、重たい荷物に苦戦している時はどこからかスッと現れて僕の代わりに運んでくれたこともあった。オズウェルがいるなら、と子ども二人で市場に行くのも許してもらえていた。


 オズウェルは僕にとって太陽の様な存在だった。


 僕もそんな彼の隣に立つに相応しい存在になろうと思った。だから、それまで以上にヴェール様のお声を聞くのに専念したし、家族達にもきちんと向き合えるようになった。オズウェルはそんな僕を褒めて、甘やかしてくれた。


 オズウェルに会う夜は寝れなくなって、オズウェルが帰った夜は胸の奥が暖かいのにどうしてか寂しくなる。彼の事を思う度に身体中がざわついて、自分のものなのにどこもかしこも言うことを聞かなくなるような感覚に襲われた。夜中にこっそり抜け出して、ヴェール様のステンドグラスに彼ともっと仲良くなれますようにと願ったことも一度や二度ではなかった。


 自分の胸にある愛おしい感情が実ったのは、彼と出会って三度季節が巡った頃だった。


 雪解けも過ぎて、暖かい日差しが心地良い日だった。僕は父さんに頼まれて、玄関の花壇の手入れをしていた。


「レイン、ついてこい!」


 教会に来た第一声がそれだった。ふわふわとした赤髪が、太陽に照らされて一層輝いていた。


 困惑する僕をよそに、ずかずかとやってきたオズウェルは土に汚れた手を引っ張ってどこかへ向かおうとしていた。慌てて近くにいた父を見れば、いってらっしゃい、と手を振られる。どうやらオズウェルと父の間では打ち合わせ済みだったらしい。


 それであればいいか、と彼の背中を見た。出会った頃は僕の方が大きかったのに、気付けばオズウェルの方が大きくなっていた。でもその背中の頼もしさは、変わらなかった。


 足を早めて彼の隣に並ぶと、オズウェルは僕に合わせるように速度を落とした。


「ねえ、オズウェル。どこへ行くの?」

「秘密だ!」


 そう言って、輝くような笑顔を見せた。


 彼の目的地は僕の知らない道を通る必要があった。いつも通り市場にでも行くのかと想像していたから、違う方向に曲がる度に驚かされ、その度に彼は笑みを深めていた。


 到着したのは、国花の咲く花畑だった。小振りな純白の花びらが太陽に向いて開いている。視界一杯に広がる光景に、僕は洗濯したてのシーツを思い浮かべた。太陽の光を吸い込んで、柔らかく僕を包み込んでくれるように感じた。


 この花自体は馴染み深いもので、手入れをしていた花壇にも咲いていたし、教会の至る所にもモチーフとして使われている。だから見慣れてはいるのに、感動で胸が一杯になった。


「すごい……」


 思わず感嘆が唇から漏れる。オズウェルは自信満々にそうだろ! と返した。


「レインに見て欲しかったんだ。この花はレインみたいだとずっと思っていたから」

「ぼくみたい?」


 言葉の意味が分からず、聞き返してしまう。オズウェルは、ああ、と短く返事をして言葉を続けた。


「建国神は花となりいつも我々を見守っている、って言うだろ? この純白な花びらも、神に仕える姿も、レインのようだと思うんだ」


 オズウェルはその中の一つを手折って、茎を器用に結んでいく。彼の両手は魔法のように一本の花を指輪に変えた。


 その場で膝をついて、彼のふっくらとしたな唇が僕の名前を呼ぶ。何度も聞いたはずの音は、その瞬間は特別な響きを持っていた。


「レインに会えたのは、おれの運命だ。どうかおれの国花として、ずっと側にいて欲しい」


 きっと彼の目に映る僕はきっと間抜けな表情をしていたのだろう。顔が火傷してしまいそうなほどに熱くなって、視界は揺れる水面のようだった。


「はい」


 たった一言返事をするだけでも精一杯だった。それを受けて、オズウェルは僕の指に国花の指輪を通す。


 風に揺れて、花びらがさわさわと音を立てる。まるで僕とオズウェルを祝福してくれているようだった。


 教会に帰れば、オズウェルのお父様が父さんと話していて、僕達の手を見てにんまりと笑ったのをよく覚えている。口約束にはなるけれど、僕達は時が来れば本当に生涯を共にしていけるのだなと思った。


 それが本当に口約束でしかないと理解させられたのは、それからまた何度か季節を巡ってからだった。


 前兆はあった。いつも朗らかな両親がずっと表情を暗くして、僕達のこともよく見えていないようなことが多々あった。教会にいらした方々から、あまりの様子にご両親に何かあったの? とこっそり聞かれるということも続いた。


 両親の決意が固まった晩はひどい大雨で、僕は兄姉達と幼い子達が眠れるようにずっと宥めていた。僕を呼びに来た両親の声は、雨風が窓を叩く音に混ざってしまうほどか細く不安定だった。


 部屋を移っても、両親はしばらく黙り込んだままだった。手持ちぶさたで僕は両親の背にあるステンドグラスを眺めていた。雨に殴られてもそんな素振りを見せずに自身の輝きを二人に落としている。両親を見守るようにじっとそこに鎮座していた。


 レイン、と口にした瞬間、教会全体が違う世界に切り離されたような静けさが僕達に訪れた。


「国王陛下が、お前を第三王子殿下の婚約者にしたいと申し出て下さった……」

「婚約者……?」


 それを理解するのには時間がかかった。僕にはオズウェルがいて、死ぬまで、死んでも隣にいるのは彼だとずっと信じていたし、彼もそうであると言ってくれていた。僕達の両親だってそれを認めてくれていたはずだ。


 意味をうまく飲み込めず、発する言葉には無意識に強い熱が籠もっていた。


「どうしてですか! ぼくにはオズウェルがいて、父さんも母さんも認めてくれていたじゃないですか!」

「ごめんなさい、レイン……。私達だって二人はずっと幸せであることを願っていたいのよ」

「じゃあどうして!」

「国王陛下が先日来ていただろう? お前の姿を見て、素晴らしい子だと、神の使いのようだと言って下さったんだ。あの方は信仰深く、誰よりもこの国を大切に思って下さってる。国の更なる発展のためにお前を迎え入れたいそうだ」


 オズウェルの隣に立つための努力が、こんな形で牙を剥くとは思わなかった。


 嫌だ!


 ぼくは王配なんか望んでません!


 オズウェルの隣がぼくの居場所です!


 叫びたい言葉は山ほど出てきた。子どもの癇癪のようにそれを手当たり次第ぶつけたかった。けれど、顔を真っ青にして僕に謝り続ける両親の姿に、その言葉達は行き場を失ってしまった。こんなに弱っている彼等を僕は見たことがなかった。


 そもそも僕や両親にそれを断れるほどの権力もない。それに僕が王室に迎え入れてもらえれば、この教会もより支援してもらえるだろう。家族達の不自由が減るのは、この家の人間として一番嬉しいことのはずだ。


 僕はどうにか自分を納得させて、首を立てに振った。それは今でも頷いたとは思えていないほど、無意識に近い行動だった。


 僕と両親はその晩、互いの身体を支え合うように泣き続けた。僕達を見守るステンドグラスは力なく僕らを照らしていた。


 オズウェルはその事実を受け入れてすぐにやってきた。


 当初はどこかへ連れて行こうとしていたようだったが、僕の様子を見て困ったように立ち尽くしていた。活発なオズウェルの静かな姿に、僕の胸はずきずきと痛み責め立てた。彼を視界に留めるだけで泣いてしまいそうで、ただずっと俯いていることしか出来なかった。


 近くで彼がなにやら動いている気配を感じるとすぐに、視界一杯に彼の姿が映った。花畑の時のように僕の前に跪き、こちらの表情をのぞき込んできていた。


「レイン、どうした? 何かあったのか? 誰かがお前を傷付けたのか? 言ってくれ、おれが倒してやるから」

「ち、ちがう……」

「じゃあどうしたんだ? お前がそんな表情をしていると、おれも苦しい。レインには笑顔でいて欲しいんだ」


 彼の幼いながらも精悍な顔が、辛そうに歪む。こんなに優しい人間に僕はこれから酷いことを言わなければならないのだと思うと、消えていなくなってしまいたくなった。


 何も言えずにいる僕と寄り添うように待ってくれるオズウェル。僕達の間にある沈黙を先に破ったのはオズウェルの方だった。


 何かをポケットから取り出し、僕の手を取る。あの日の再現のような光景だと改めて思っていたが、それは間違いではなかったとすぐに証明された。


 僕の指の内の一本を優しく撫で、それから指先に何か硬く暖かいものが触れた。それは少しずつ根元へ降りていき、第二関節と第三関節の間に小さな花を咲かせた。


 驚く僕の表情を見て、彼は悪戯が成功したように微笑んだ。


 素直に喜べない立場になったのが、悔しかった。無機質なはずの金属が彼の愛情によって熱を持っていることを知りたくなかった。


 言わなければならないのに、それは音よりも先に水になって彼の手を濡らした。僕の魂を撫でる声は固く、この涙が喜びではないことは気付かれてしまっているようだった。


 僕にある運命を伝えようとすれば、嗚咽が混ざって言葉の意味は濁っていった。自分が何を話しているのかよく理解が出来ないまま、思い付く限りで言い続けた。


 記憶が曖昧で何をどう伝えたのかは覚えていない。その後の事も、霧がかかったように思い出せない。


 ただ、一つ覚えているのは、彼が顔を怒りで歪ませて、お前と関わるんじゃなかった! と出て行ってしまったことだけだ。


 両親からは僕の代わりに事情を説明したと聞いてはいるけれど、オズウェルはどう思っているのだろうか。あれ以降彼とはまともに話せたことがないから、嫌われているに違いはないのだけれど……。


 指輪は未練がましくチェーンを付けて、いつも胸元に忍ばせている。オズウェルが僕のことをどう思っていても、彼から貰った思い出はすべて僕にとって宝物で、心の拠り所だった。


 第三王子殿下であるダミアン様は、初めから僕に興味がなかった。顔合わせの日はろくに目も合わせてもらえず、こちらを見たと思えば凡庸で花のない奴と言われる始末だ。彼もこの婚約にあまり乗り気ではないのがありありと伝わった。


 これからのことを考えて歩み寄ろうと試みたが、何をしても鈍くさい、頭が固い、つまらない、と言われてしまい、僕が隣にいることをひどく嫌っていた。初めは二人きりの時だけにしか言われなかった文句も、時間が経てば隠す気もなくなってしまったらしく国王陛下の前だろうが、僕の両親の前だろうが、ご友人の前だろうが関係なく口にされるようになっていった。


 何かの糸口になればと思って、彼の好みに合わせて髪も伸ばし続けたし、学問も流行も学ぶ努力をした。結局それらが僕とダミアン様を繋ぐきっかけになることは一度もなかった。


 行きたくないお茶会も逃げることが出来ないから参加した。けれど、ダミアン様がいないだけならまだ良い方で、席を用意されないことも多々あった。


 でも、それ以上に城で護衛の見習いをしていたオズウェルに会うのが、一番辛かった。優しさを溶かした緑は、その色を失い静かに僕を睨みつけていた。彼に否定されるのが怖くて、話しかけることも出来なくなっていた。


 学園へ入学してからはどんどん二人との関係が拗れていくのを感じていた。僕の一つ上であるダミアン様はその身分や容姿もあり、すでに学園内では有名人だった。常に彼の周りには人がいて、婚約者でありながらむしろ僕の存在は一層邪魔になっているようだった。学内であれば親しくなれるかな、なんて期待していたのだけれど、一方的に接触禁止令を出されてどうすることも出来なくなってしまった。


 オズウェルもこの学園に入学して、よく授業で彼を見かけた。周りが理想的な騎士様と噂するように、オズウェルは授業成績も良く、僕以外の誰に対しても公平に接していた。


 偶然、同級生が先輩に度を超えた嫌がらせを受けているところを目撃したことがある。先生を呼ぶべきか、それとも僕が仲裁すべきか、ぐるぐると悩んでいる内に通りすがりのオズウェルが物怖じせずに割って入っていった。最初はオズウェルを殴ろうとした先輩も、彼の鍛え抜かれた身体を見て、何も出来ずに去っていったのだった。


 助けられた子が羨ましかった。僕がダミアン様関係で悪戯をされていた時はじっと見ていただけだったのに、僕でなければあの大きな背中で守ってもらえるのだと思うと悔しかった。


 どんなに心の距離が離れていっても、僕はオズウェルへの気持ちを捨てることが出来なかった。だから、せめて友達に戻れたらと何度か話しかけたことがあるが、オズウェルには相手にしてもらえなかった。その上、周囲から鞍替えだと言われてしまったものだから、声を掛けることも出来なくなってしまった。


 進級すると同時に、婚約の話はどんどん真剣みを帯びていく予定だった。大人達は実際そうではあるのだけれど、学園内ではそんな雰囲気は一切なくて、ダミアン様は新入生であるリネット様に執心された。いつも彼を隣に置いて、聞けば僕の代わりにお茶会に誘っていると聞く。確かに可憐な顔立ちのリネット様がダミアン様と並んでいる姿は、まるで絵画が動いているようだと思う。ダミアン様が彼を選ぶのもよく分かった。それにショートカットのリネット様が現れてから、彼が言った好みは僕への当てつけだったのだと気付いた。


 今日の卒業プロムが終われば、正式に僕とダミアン様は婚約者となり、本格的に結婚に向けて動いていく。……はずなのだけれど、全く実感はない。僕はダミアン様から先にホールに行ってるようにと命じられていたからだ。この場ですらリネット様を選ばれたんだろうなと、すぐに察することが出来た。


 特徴的な真紅の扉の前に立って、深呼吸をする。婚約者と一緒でない僕に、周囲がどう思うかもこの二年間で痛いほど理解出来ている。金のハンドルに映る僕の指先は不安定にぶれていて、掴むのもやっとだった。


 入る前に今一度自分の身なりを確認する。今日のために仕立てた白のドレススーツは一見するとシンプルでありながら、ジャケットの裏地には国花をモチーフとするパターンが入っている。……まあ、それを暴いてくれる人間は誰もいないのだけど。髪の毛が崩れているかどうかは流石に確認出来ないが、腰ほどまである銀髪を低い位置で結ってもらっている。鏡で確認したが、編み込みのアレンジも加えられていて自分の一部とは思えないほどに魅力的だった。


 意を決してハンドルを押した。広いホールの視線が一気にこちらに向いて、逃げ出したくなった。どうにか思いとどまって壁沿いを歩く。僕が進む方向に合わせて、人が避けて道が生まれていく。申し訳なくなり、ホールの隅に立ち存在を消すことに専念した。


 する事もなく、ぼおっとホール内を眺めた。


 給仕の一人があわあわしながら駆け回っている。新人なのだろうか?


 視線をずらせばオズウェルと目が合った。僕とは反対側にいて、柱に寄りかかるようにしてこちらを見ている。その瞳は相変わらず冷たい。グレーを基調とした騎士服に差し色で要所要所に紫使われている。よく似合っていた、僕みたいな色で勘違いしたくなる。素敵だと言いに行ければよかったのに。


 オズウェルの瞳が何かを捕らえた。それにつられて僕もその方向を見る。彼の近くで取っ組み合いの喧嘩が始まっていた。オズウェルは溜息をつく素振りを見せた後、二人を仲裁しに行った。


 ……あ、さっきの給仕が転んでる。ちょうど僕が通った後だから周りには誰もおらず、被害は床だけで済んでいるらしい。嫌われていてよかったって少しだけ思えた。


 それを見ていれば、程なくしてダミアン様はご友人達と共にホールにやってきた。勿論彼の腕には純白に金糸のワンポイントが特徴的なドレススーツを身に纏ったリネット様がいて、もはや納得以外に言いようがなかった。


 早く終わればいいのにと思いながら、視線だけのホール見学を再開した。


 いつの間にか喧嘩は終わって、オズウェルはまた定位置に戻ってこちらを見ている。僕を見張っているのだろうか? 何もするつもりはないのだけれど、疑われているのだとしたら悲しい。一人でいる彼の周囲には、どうにかお近づきになろうという雰囲気の子達がいる。オズウェルには浮いた話がないから、誰もがこのタイミングで親しくなろうとしているのだ。誰かのダンスの誘いに乗ったら嫌だと思うのは、我が儘だろうか。


 どんどん気持ちが曇ってきて、興味の矛先を捜した。不意に大きなステンドグラスと目が合う。建国神ヴェール様が国花としてこの国を見守っていることを象徴するもので、彼の方を取り囲むような国花や民を表す赤い色らが美しく輝いている。入学した時はこれを見るのをずっと楽しみにしてたっけ。かつて大きな災いがあったときに、業火の中でもこのステンドグラスだけは焼け落ちずに今と同じままで残っていたと言われている。幼少期から何度も文献で読んだことがあり、僕にとって憧れの一枚なのだ。


 見とれていると視界を何かが遮った。それから足下で甲高い音が響く。意識をそちらに向けると、先ほどの給仕がまた盛大に転んでいた。ズボンの裾がドリンクで薄ピンクのグラデーションを作っている。


 大丈夫ですか、と掛けた声は、もっと大きな音でかき消される。


「レイン・エリオット!」


 慌てて顔を上げれば、声の主であるダミアン様がリネット様やご友人達を連れてこちらに向かってきていた。


「今、俺は見たぞ! お前はこの男を転ばせただろう!」

「そんなことしておりません!」


 同意を得ようと給仕へ視線を向けたが、ダミアン様に圧倒されてか何も言えずにいるようだった。


 まずい。きっと周りの生徒もやっていないと分かってくれているはずだが、僕に味方をしてくれるとは到底思えない。このままだと僕だけでなく、家族達にまで迷惑をかけてしまう。


 反論しようとしたが、それもまたダミアン様に拒まれた。


「口ではどうとでも言える。どうせ俺の気を引くためにやったんだろう。リネットの件だってそうだ、自分に魅力がないからって彼に嫌がらせをして。お前は恥ずかしくないのか?」

「リネット様への嫌がらせ……?」


 ダミアン様はその瞳に怒りを燃やして、ぽかんとしている僕を睨みつけた。


「今更白を切る気か! お前のした事は、リネットからすべて聞いているぞ」


 彼の非難に同意するように、ダミアン様の腕の中で震えるリネット様が何度も頷いた。証拠とばかりに、袖をめくって手当した跡をこちらに見せつける。この光景に周囲がざわつき始めた。信じられない、見かけによらず性悪、聖職者とは思えない、などと口々に言われているのが僕の耳に届く。


 一体何のことなのだろう?


 ダミアン様の言っていることが、一つも理解が出来なかった。心当たりがないどころか、一日中お二人は一緒にいるのだから僕がリネット様に嫌がらせをする隙自体ない。


「僕は本当に何もしておりません!」


 言い返せばわざとらしくリネット様が肩を揺らした。大丈夫か、と労るダミアン様の口角は言葉に合わず上を向いている。


 どうやら、僕は彼等にしてやられたらしかった。


「開き直って本当にお前は最低だな! それに俺はお前の不貞についても知っている」


 ダミアン様はスッと一人の男を指さした。


「オズウェル・カークランドのことだ! 俺に相手をしてもらえないからって、オズウェルに媚びを売っていたそうだな」

「してません! だって、オズウェルは……」


 オズウェルは、僕だけを相手にしないから。認めたくない事実だったから、どうしても最後まで言い切ることは出来なかった。


「なあ、オズウェル!」


 ホール中の視線が僕達からオズウェルに向いた。スポットライトを浴びたように赤髪を輝かせる美丈夫は、ダミアン様の言葉に興味がなさそうにしている。


 どうか、オズウェル。君が否定してくれれば、この茶番は終わる。一縷の望みをかけて彼の若草色に訴えかけてみれば、再び視線がぶつかった。しかし、面倒そうに冷ややかな瞳をこちらに返すだけだった。


 返事をしないオズウェルに、ダミアン様は拍子抜けしたようだった。計画だとここでオズウェルが頷く予定だったのだろうか。むしろ誰に対しても公平で正義感の強いオズウェルなら、自分に関する不当な内容に抗議をしてもいいくらいだ。彼は相手が王族だろうが物怖じしない性格も身分も持っている。でも僕が絡んでいるから、特に否定もする気がないのだろう。


 少し慌てながらも、まあいい! と大声を上げた。


「つまり、オズウェルが返事も出来ないほどのことをしたということだ! 給仕への妨害に、リネットへの嫌がらせに、不貞に、どこまでも最低な人間だ。婚約者としての自覚がない奴め」


 ダミアン様はそれから存在しない嫌がらせについて、事細かに話し始めた。


 僕の何が悪かったのだろう。自分の出来ることは精一杯やったつもりだった。オズウェルを諦めきれはしなかったけれど、ダミアン様に好かれる努力はしたし、いつかはオズウェルと同じくらいに親しくなれればいいなと思っていた。


 リネット様が自分の泣き顔を隠すように、ダミアン様の胸元に顔を埋めた。それを合図にしてダミアン様は僕への糾弾を止めて、彼を慰め始める。


 生徒達は僕への怒りで盛り上がっていた。様々な罵倒が僕に向かって投げつけられる。給仕が今もうずくまっているおかげでドリンクを掛けられたり攻撃をされることはなかったが、彼さえいなくなればその後の僕が無事かは怪しかった。


 周囲を宥めるように、ダミアン様が手を上げた。ホールは今までにない静けさに包まれる。


「レイン・エリオット! 今までの数々の愚行は許されるものではない! よって、貴様との婚姻関係は解消とさせてもらう! お前も、お前の家も、相応の罰を受けることになるだろう。覚悟しておけ」


 もう何も言葉が出なかった。ここまでするのなら、どうして最初に話が出た段階で断ってくれなかったのだろう。僕達には国王陛下からのお言葉を拒絶することなんて初めから出来なかったのに。


 どうしてか、ダミアン様の背にあるステンドグラスと目があった。それ自体が光を放っているように眩しかった。


 ああ、建国神ヴェール様。もしも、僕すらも見守って下さっているのなら、どうかお助け下さい。僕も、僕の家族達もあなたの教えを守って暮らしています。どうか、どうか……。


 みっともないとは分かっていても、幼い頃のように祈らずにはいられなかった。


 すると返事をするように、ステンドグラスの輝きは増した。その光はどんどん強くなり、目を開けていられなくなる。身体が何か優しいものに包まれると同時に、ダミアン様の怒鳴り声はどんどん遠ざかっていった。


 光が落ち着いたのを感じて、おそるおそる瞼を開く。目の前一杯に真紅が飛び込んできた。金のハンドルには紛れもなく僕が映っている。


 何も考えずに扉を開けば、まだ人もまばらでプロムが始まる前のようだった。ふと、ホールの大時計を見上げる。


 時計の針が卒業プロムの開始前を示していた。


 驚いて僕のズボンへ目線を移せば、何もなかったように裾は白いままだ。


 どうやら、僕は本当にプロムが始まる前に戻ってきてしまったようだった。


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