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競馬雑文学その6いらないレース

自分の選択を後悔することが、度々ある。

今の生活に不自由している訳ではない。けど、決して自分に満足もしていない。


本当なら、もっといい場所にいられたのではないか。もしあの時、あの選択をしなければ、もっと良い位置に、自分はいられたのではないか。そんな後悔が、時々私に浮かび上がるのだ。外れた馬券を見返して、私は過去を悔いている。


私は大学に行っていない。

当時、熱狂的に愛していたアーティストがいて、そのアーティストみたいになりたくて、肌に合わない芸術に齧りついた。それでも自分には才能がないことを知っていたから、美大を受ける決断はしなかった。

ただ、同時に、あの時周囲の高校生に紛れて、素直に平凡な日常に埋もれていく決断を下す勇気もなかった。あの時は、無謀な選択、幻想に逃げ続けることが、勇気だと勘違いしていた。

結局それは、大人しくゲートに入ることを嫌い、騎手を振り落とし、誰もいないターフを一人熱心に猛烈な何かにむかって走り続けていただけに思う。


あの日の私は、大学と言う名の社会のゲートで堅実にレース開始のファンファーレを待つ同級生に呆れられ、スタンドから嘲笑の入り交じる歓声を聞いて、その気になっていた。

社会は私の身勝手な創作に、羨望と可能性を感じている、注目されている、そう思っていた。

元気だね、若いね、青春っていいねとかけられる言葉は、私にそのままの意味でしか届くことがなく、その裏に隠された皮肉めいた意地悪な精神を見抜けるほど、あの日の私は大人ではなかった。


私は薄々気付いていた。ただ、見ないふりをしていただけだ。いまどれだけ、このターフを走ったところで、私はレースから除外された競走馬である。サラブレッドはレースで走らなければ価値がなく、一度クラシック路線から外れれば、ダービーを走る機会は与えられない。

人生で一度の選択を、私は無邪気に、捨て去ったのだった。


高校を卒業し二年がたち、私たちは成人し、四年がたつと、同年齢の友人らは社会人へとステップアップした。

彼等より一足早く専門学校で紹介を受けた職場で社会人としての経験だけを積んでいた私は、誰よりも早く月に二十万円程の初任給を手にし、一丁前に大人になった気がしていた。友人らも私を大人として扱い、尊敬に似た態度すら、示していた。

しかし、大学を卒業した彼らは瞬く間に私の収入を追い抜き、ボーナスを手にし、車を買い、やがて家庭を手に入れ、念願のマイホームを買った。

都内に狭い三階建てなんて、センスがないと小さなオンボロアパートの一室で、密かに鼻で笑っていた。本当はその、必死に働きようやく手に入れる、一般的な幸福が、死ぬほど羨ましかったのに、そんな気持ちに気付かないふりをしていた。

子供なんて金がかかる。若いときは良くても、次第に年取る女と結婚すれば、やがて生理だの、更年期だのでささくれだち、すれ違いの末に不幸になる。歳を取っても思っているほど子供は自分等を労ってはくれないだろうし、孫でも出来れば金の無心にくるだけだ。

そんな、ありったけの理由をかき集めて、自分の選んだ“外れ馬券”を肯定していた。

その馬はまだ、ゲートにすら入れていなかったというのに。


今日は久々に、一人で馬場に来ていた。

社会人に成り立ての頃、職場の先輩に連れてきて貰った思い出の競馬場だ。

新卒で就職したデザイン会社を辞め、職を転々とし、今はフリーのカメラマンとしていくつかの仕事を請け負っている。収入は少ないが、自分なりに性に合っていると納得している。

しかし今日はその仕事ではなく、趣味を兼ねてカメラを持参し、サラブレッドの優雅な姿をカメラにおさめていたが、次第にレースを見ているうちに、馬券を買いたくなった。


久しぶり買う馬券は、案の定外れた。

感覚が戻らず、年間のスケジュールすら忘れていて、その馬が今どれくらい強いのか、全く見当がつかなかった。

三連単など、到底当たるわけはないから複勝で買ったのに、掠りもしなかった。


それでも、自分の買った馬がゲートから飛び出て、他の優等生の馬たちと必死にしのぎを削る姿に興奮した。

負けたって、彼は自分のできる限りのこと、全速力で駆け抜けるために必死になっていた。「負けるな!差せ!」

私は思わず叫んでいた。


そんなことをしていたら、うっかり最終レースまで遊んでしまった。

私の選ぶ馬は、私のカメラから覗いて、美しいと感じた馬だ。だから勝ったり負けたりした。

結果的に、収支はややマイナス。我ながらに、よく頑張ったなと思う。

それなのに、私は少し後悔を抱く。

「あのレースと、あのレースは買わなくても良かったかな」

見るからにオッズが高く、直近の成績も悪い馬を、私は躊躇わず直感で買い続けた。その馬券がなければ収支はプラスだったかもしれないと。

「それに、もう少し早く切り上げても良かったかもしれないな」

こんなに負けるなら。すべての選択に私は疑心を抱く。

夕日が寂しくターフを染め上げていた。それは美しい光景だった。子供をつれた家族の、賑やかな声がする。

負けたと言うのに、なんて清々しい気分なのだろう。


負けたっていいじゃないか。自分はその瞬間を楽しんだのだから。必死に勝負を、楽しんだんだから。

そう、思った。

勿論、勝つにこしたことはないのだけれど。

人生の勝ち負けなど、自分が決めれば良いのだ。

私はターフを写真に収めて帰路につく。

買わなくて良かった選択肢など、私にはないのだった。

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